第26話 解放区からの転落

 薬師楓やくしかえで紅葉もみじの兄妹は、元々は解放区で暮らしていた。といっても裕福な暮らしではない。両親はいつも「外」で働いていた。父は大手運送会社の下請け。母は民間の医療センターに勤めていた。生活はギリギリだったが、食うに困るほどではなかった。あの日までは。

 

 、 ヘッドマウントディスプレイが無いからアバターも持っていない楓は授業風景をタブレットで見ながら授業を眺めていた。

 誰も彼もが自前のアバターを持っているわけではない。学力の格差は能力によるクラス分けによって生徒たちには見えづらくなっているが、経済的格差は如実に現れてしまうのが現代の学校であった。

 楓本人はそのことを気にしたことが無いわけではなかったが、だからといって格差がなくなるわけでもなかった。


 だが、気楽さもある。

 居間のディスプレイで動画をつけっぱなしにしながらタブレットを眺められる。

 アバターが無いから教師に当てられることもない。


「眠い……」


 あくびをしながら、大きく伸びをする。

 涙の滲んだ目でちらりとをディスプレイを見やるとテロップで臨時ニュースが流れていた。


「運送会社で発症者? オヤジの働いてるとこじゃんか。親父は? 親父は無事なのか!?」


 ――結果として、楓の懸念は悪い方に当たってしまう。

 無事ではなかった。発症者は父親だったのだ。以前行われていた検査結果の陰性は偽陰性であり、父親は業務中に突如発症。僅かな時間でレベル5に至りZodiac化。父親は家には戻って来なかった。この事態は関東の物流の停滞を招く結果となった。


 母親は公安局に保護され、楓と紅葉は自宅待機を命じられた。だが、抵抗して引きずられるように連れていかれる母親が最後に唇だけを動かして声を出さずに、兄妹にこう告げた。


 逃げなさい、と。


 楓は持てる限りの荷物をリュックに詰めて、幼い妹の手を取って家から逃げ出し、行きついた先が閉鎖区だった。

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