第23話 少女の同僚と上司

 普段の棗はどちらかといえばおとなしい部類の少女だ。


 いつもなら委縮して何も言い返せなくなっていたかもしれない。だがこの時、棗の内心を埋め尽くしていたのは、強面に脅される恐怖よりも彼に対する怒りの感情だった。なんだろうか。この人は。何の権利があって私に返れなどと言うのだろうか。見たところそんなに年齢が離れているわけでもなさそうだ。せいぜいふたつみっつ年上なだけなのに居丈高な態度。気に入らない。全くもって気に入らない。


「ええと、木下さん、でしたっけ? 私は帰りませんよ。どうして見ず知らずのあなたにそんなことを言われないといけないんですか?」

「邪魔やからや! ド素人と組まされるこっちの身ぃにもなれや!」

「は? 組まされる?組まされるってなんですか?」

「ああ、言っていなかったが、夏目と木下は同じ班だ。班長は別の男だが」


 山崎が告げてきた。

 反射的に棗は言った。


「え。私、嫌です。隊長」

「なんやとこのガキ!」

「こんな野蛮人と一緒に仕事なんかできません」

「ブッ殺すぞコラァ」

「そうやって大声出せば怯むとでも思ってるんですか? 浅薄な考えですね? あ、知ってますか木下さん。浅薄って、浅くて薄いって書くんですよ。木下さんにぴったりの言葉ですね」

「よう言うたな。その喧嘩うたるわ」


 棗と木下が掴み合いになる寸前。


「はーい、そこまで。ストップストップー」


 軽やかというにはいささか気の抜けた、けれど呑気というには少々殺気をはらんだ声が割って入ってきた。声の主は、いつの間にか棗と木下の間に立っており、二人の鼻先に両手を交差させて指鉄砲を突きつけていた。

 糸目を一層細くして薄く笑んでいる男に、山崎が声をかけた。


「遅いぞ、猫屋敷ねこやしき。今日は朝イチで待機しておけといっただろう」

「あはは。隊長すいませーん。ちょっとコーヒー飲んでましたあ。聞いてくださいよ、ホットの方押しちゃってえ、ホラ僕、猫舌じゃないですか。時間かかっちゃいましたよー。ほら、舌がやけどしちゃってるでしょ」


 猫屋敷と呼ばれた男はおどけて舌を出して見せた。

 山崎は深い溜息とともに、


「もういい黙れ。さっさと二人に挨拶しろ」


「やあやあ木下くんに夏目くん、はじめまして。僕がキミたちの直属の上司になる猫屋敷三郎太さぶろうただよ。仲良くしようね」


「誰がこんな世間知らずと――」

「私の方こそこんな野蛮人なんかと――」


 ふたりがまくし立てるより早く、猫屋敷は「ばぁん」と言った。

 瞬間、彼の両手は指鉄砲ではなく、本物のハンドガンを握っていた。


「あのねえキミたち、上司が仲良くって言ってるんだから、イエス以外の答えなんかないでしょ? ――殺すよ?」


 ざらりとした殺意が二人の頬を撫でた。


「すんません」

「ごめんなさい」


 謝罪する二名に対して猫屋敷はにんまりと笑った。殺気が霧散する。


「あははっ、わかってくれればいいんだよぉ。若いんだから間違いはあるって。じゃあ、仲直りの握手。ほらほら」


 無理矢理手を取って握手させられる。いつの間にか猫屋敷の手の中からハンドガンは消えていた。


「夏目棗です」

「木下や」

「木下さん、下のお名前は?」

「……」

「あの?」

「……み」

「はい?」

じゅんと書いて“うるみ”や!」


 そっぽを向いて顔を赤くする木下を見て棗はあは、と笑った。


「じゃあうるみちゃんて呼びますね!」

「ヤメロやボケェ!」

「私のこともなつめちゃんでいいですよ!」

「呼んでたまるかい!」

「あっはっは。早速仲良しだねキミたち。いいよいいよぉ」


 三課の再編された四班の面子メンツを眺め、山崎は軽い眩暈めまいを覚えたのだった。

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