第18話 少女の邂逅と別離
十時、五分前。
玄関の隔壁扉が重い音を響かせて僅かに開いた。
外からマンションに入って来たのは、全身を防護服で固めた長身。防護服の胸と腕に
現れたのは髪を短く刈り込んだ精悍な顔立ちの男性だった。
彼はマスクをダンボールの上に置き、「二番」の面会室に入ってくる。
一礼し、
「私は東京都衛生局特別衛生三課、山崎和也です。夏目棗さんで間違いないでしょうか」
デスクに突っ伏していた棗は慌てて立ち上がり会釈を返した。
「あっ、はい。そうです。私です」
「……よく似ている。あ、いや、失礼。座ってもよろしいですか?」
「どうぞどうぞ」
アクリル板を挟んで、向かい合う棗と山崎。
山崎は座ると同時に、
「この度はあなたのお姉さん、夏目文くんを殉職させてしまったこと、お詫び致します」
深く頭を下げた。
そのままの体勢でいつまでも頭を上げない。
殉職。
つまり死んだということ。
眼前の男が発した言葉は姉との別離に現実感を与え、棗の胸に迫ってくる。
息が詰まり、鼓動が早まった。
唾を飲み込む音がいやに大きく響く。
ただ、涙は出なかった。
棗は胸に手をやり、どうにか一言声を発した。
「おね……姉は、今どこに?」
ようやく顔を上げた山崎は、その問いをあらかじめ想定していたかのようにすらすらと答えた。
「彼女の遺体は都内の施設に移送が完了しています」
「会わせてもらえますか」
棗の強い視線を受けて、山崎は首を横に振った。
「すまない。無理だ。感染の恐れがあるため、死後も隔離が義務付けられている」
口調が変わっていた。
ぶっきらぼうな話し方の方が彼には似合っている。棗はそんな風に思った。
「そう、ですか」
「本当にすまない」
「山崎さんのせいでは、ないんじゃないですか?」
山崎は再度首を振った。
「いや、私の指揮下にあったのだから私の責任だ」
そして再度頭を下げ、
「こんな時に、こんな話をするのは大変心苦しいのだが」
「はい」
「棗くん、昨日話した通り、君の今後について提案させてもらいたい」
「今後、ですか」
「そう、私たちが君に提示できるものは次のみっつだ」
「……そんなに? あるんですか?」
棗の疑問に、山崎は頷いた。
「ひとつめは、これまでと同じ生活を。学校を卒業したあとも、暮らすのに不自由の無い環境を衛生局が約束する」
「同じ環境……」
棗は喉の奥がひりつくのを感じた。
同じ? お姉がいない以上、同じなどありえないのに。
「ふたつめは、ここではない別の地域への転居。そこでの暮らしは同じく衛生局が保証する」
嫌なことをなかったことにして、新天地で、か。
忘れられるならそれもいいだろうと思えた。
忘れることなどできはしないが。
「――みっつめは?」
「……これは私が言うべきではないんだが、あまりお勧めしない選択肢だ」
「なんですか?」
「衛生局への就職だ。我々は、常に若い力を求めている」
局員募集のキャッチフレーズをそのまま口にする山崎の諧謔味に、棗はうっかり笑ってしまった。笑える選択肢では全くない。姉の選んだ道。姉の命を途絶えさせた道。
「……少し考えさせてください」
どの選択肢も今すぐに決められそうになかった。
自分の提案自体に苦い顔をしている山崎は猶予をくれた。
「わかった。悪いが、三日後に返事をくれ」
「……三日後ですね」
「これは私の番号だ。この番号から連絡を入れる」
アクリル板の下の引き戸を開き、山崎は四つに折りたたまれたメモを差し出してきた。棗はそれを受け取り開く。通信コードだった。
随分アナログな伝達方法だな、と棗が思っていると、
「最後に。これを」
山崎は持ってきていた小さなダンボール箱をデスクに置いた。
「なんですかソレ?」
「オフィスにあった私物だ。彼女の」
彼女。つまり
「私物って――、遺品じゃないですか!」
「そうとも言うな。要らないなら私が持って帰るが」
山崎は淡々と無表情に告げてくる。
「いえ、ありがとうございます」
「では私はこれで失礼する」
返事も待たず、山崎は席を立った。マスクを装着し、僅かに開かれた閉鎖扉から出て行った。すぐに塞がれた扉と小さなダンボール箱を交互に眺めながら棗はしばらく動けずにいた。
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