第18話 少女の邂逅と別離

 十時、五分前。

 玄関の隔壁扉が重い音を響かせて僅かに開いた。


 外からマンションに入って来たのは、全身を防護服で固めた長身。防護服の胸と腕に衛生局ASOのロゴが入っていた。頭をすっぽり覆うマスクで性別は分からない。右脇に小さなダンボールを抱えていたその人は左手だけで器用にマスクを外した。


 現れたのは髪を短く刈り込んだ精悍な顔立ちの男性だった。

 彼はマスクをダンボールの上に置き、「二番」の面会室に入ってくる。

 一礼し、

「私は東京都衛生局特別衛生三課、山崎和也です。夏目棗さんで間違いないでしょうか」

 デスクに突っ伏していた棗は慌てて立ち上がり会釈を返した。

「あっ、はい。そうです。私です」

「……よく似ている。あ、いや、失礼。座ってもよろしいですか?」

「どうぞどうぞ」

 アクリル板を挟んで、向かい合う棗と山崎。

 山崎は座ると同時に、

「この度はあなたのお姉さん、夏目文くんを殉職させてしまったこと、お詫び致します」

 深く頭を下げた。

 そのままの体勢でいつまでも頭を上げない。


 殉職。

 つまり死んだということ。


 眼前の男が発した言葉は姉との別離に現実感を与え、棗の胸に迫ってくる。

 息が詰まり、鼓動が早まった。

 唾を飲み込む音がいやに大きく響く。

 ただ、涙は出なかった。

 棗は胸に手をやり、どうにか一言声を発した。


「おね……姉は、今どこに?」


 ようやく顔を上げた山崎は、その問いをあらかじめ想定していたかのようにすらすらと答えた。


「彼女の遺体は都内の施設に移送が完了しています」

「会わせてもらえますか」


 棗の強い視線を受けて、山崎は首を横に振った。


「すまない。無理だ。感染の恐れがあるため、死後も隔離が義務付けられている」


 口調が変わっていた。

 ぶっきらぼうな話し方の方が彼には似合っている。棗はそんな風に思った。


「そう、ですか」

「本当にすまない」

「山崎さんのせいでは、ないんじゃないですか?」


 山崎は再度首を振った。


「いや、私の指揮下にあったのだから私の責任だ」


 そして再度頭を下げ、


「こんな時に、こんな話をするのは大変心苦しいのだが」

「はい」

「棗くん、昨日話した通り、君の今後について提案させてもらいたい」

「今後、ですか」

「そう、私たちが君に提示できるものは次のみっつだ」

「……そんなに? あるんですか?」


 棗の疑問に、山崎は頷いた。


「ひとつめは、これまでと同じ生活を。学校を卒業したあとも、暮らすのに不自由の無い環境を衛生局が約束する」

「同じ環境……」


 棗は喉の奥がひりつくのを感じた。

 同じ? お姉がいない以上、同じなどありえないのに。


「ふたつめは、ここではない別の地域への転居。そこでの暮らしは同じく衛生局が保証する」


 嫌なことをなかったことにして、新天地で、か。

 忘れられるならそれもいいだろうと思えた。

 忘れることなどできはしないが。


「――みっつめは?」

「……これは私が言うべきではないんだが、あまりお勧めしない選択肢だ」

「なんですか?」

「衛生局への就職だ。我々は、常に若い力を求めている」


 局員募集のキャッチフレーズをそのまま口にする山崎の諧謔味に、棗はうっかり笑ってしまった。笑える選択肢では全くない。姉の選んだ道。姉の命を途絶えさせた道。


「……少し考えさせてください」


 どの選択肢も今すぐに決められそうになかった。

 自分の提案自体に苦い顔をしている山崎は猶予をくれた。


「わかった。悪いが、三日後に返事をくれ」

「……三日後ですね」

「これは私の番号だ。この番号から連絡を入れる」


 アクリル板の下の引き戸を開き、山崎は四つに折りたたまれたメモを差し出してきた。棗はそれを受け取り開く。通信コードだった。

 随分アナログな伝達方法だな、と棗が思っていると、


「最後に。これを」


 山崎は持ってきていた小さなダンボール箱をデスクに置いた。


「なんですかソレ?」

「オフィスにあった私物だ。彼女の」


 彼女。つまりの――


「私物って――、遺品じゃないですか!」

「そうとも言うな。要らないなら私が持って帰るが」


 山崎は淡々と無表情に告げてくる。


「いえ、ありがとうございます」

「では私はこれで失礼する」


 返事も待たず、山崎は席を立った。マスクを装着し、僅かに開かれた閉鎖扉から出て行った。すぐに塞がれた扉と小さなダンボール箱を交互に眺めながら棗はしばらく動けずにいた。

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