第17話 少女の外出と閉塞

 日曜日。

 日が昇るより前に棗は起床した。

 普段なら昼まで寝ているが、今日ばかりは勝手に目が覚めた。


 昨夜、泣き疲れてベッドで浅い眠りについていた棗に連絡が入った。

 姉の携帯端末から再度山崎がかけてきたのだった。

 曰く、今回のことと今後のことについてお話させていただきたい。

 棗は了承し、翌日―――つまり今日――の早い時間、場所はこのマンションの一階ロビーを指定した。


 約束の時間は十時。

 まだ四時間ほどもあるが、二度寝する気にはなれなかった。


 シャワーを浴びた棗はクローゼットから揃いの下着を取り出し身に付けた後、新品のTシャツを取り出した。下は耐刃特殊素材のスキニーパンツ。Tシャツの上から長袖の防疫ジャケットを羽織った。ジャケットもスキニーもどちらもから貰ったものだった。貰った時は着ることになるなど思いもしなかった。だが、そんな思いはもう過去のものだ。現実は完全に棗自身の想定を遥かに超えて推移している。


 姿見の前に移動して服装をチェック。

 前髪を軽く分けてみたりなどした。

 鏡の中の自分の顔がこわばっているのに気付く。

 そこではじめて自分が緊張していることを認識した。

 引っ越し以来はじめてなのだ。姉以外の人と、それも直接顔を合わせるのは。

 緊張していて当然だった。


「シンイチにも見せなかったのにね……」


 棗は自嘲気味に笑う。

 こんな時でも笑えるのはいいことなのかどうなのか、と思う。

 カロリーバーとペットボトルといういつもの食事を済ませる。いつも以上にカロリーバーは飲み込めず、少しずつ削り取るようにして食べた。


 なんとか食事を終えて時計を見るとまだ七時を過ぎたところだった。

 気分が落ち着かない。無意味に狭い部屋をうろうろしてパイプベッドの脚に左足小指をぶつけてしまう。


「……っ!」


 棗は悶絶して床を転がりながら小指を打ったことこんな些細なことを伝えられる相手はもういないのだな、と思い知る。


「……あと三時間か。もう行っちゃおうか」


 目の端に滲んだ涙を拭い、待ち合わせ場所である一階に向かうことに決めた。

 随分早いが、部屋から外に出るのは久しぶりだ。


 スニーカーを履く。足が震えている。

 ドアを押し開ける。手も震えている。


「ふうっ」


 外に――廊下に出た。

 廊下も機密空間には違いないが、棗には部屋の中とは空気が違って感じられた。

 自分以外に誰の姿も無かった。

 

「廊下の突き当りにはエレベーターがある、はずだよね」


 四年前の記憶ではそうだった。

 そして、エレベーター側の隣室が姉の、文の部屋だ。

 意図的に目線を逸らしてその部屋の前を通り過ぎる。

 

 エレベーターの前に辿り着いた。

 ドアの横に14Fというプレートが貼り付けられている。

 ボタンを押して待つこと数秒、扉が開いた。


「えーと、1階っと」


 扉が閉まり、エレベーターは高速で降下。一瞬の浮遊感が棗を捉えて、離す。わずか十秒たらずで1階に到着した。


「ひっろーい……!」


 思わず声に出してしまった。

 ロビーの広さは棗の部屋の十倍以上、天井の高さも三倍はある。

 出入口と思しき場所は見るからに頑丈そうな扉で塞がれていた。出入りするにはルームキーデータの認証が必要なはずだった。


「そういえばこんな感じだったっけ」


 扉の脇に事務室があり、マスクを装着した制服姿の警備員が強化ガラスの向こうに立っているのが見えた。


 ロビーの反対側には、面談用の個室が三室あった。

 それぞれ、一番、二番、三番と貼ってある。


「キリスト教とかの懺悔部屋みたいね。画像データでしか見たことないけど」


 棗は二番に入る。これは山崎の指定だった。

 大きなデスクのちょうど真ん中にアクリルの間仕切りがされている。

 奥側に座った。携帯端末を取り出し、時刻を確認する。

 まだ七時半にもなっていない。


 約束の十時までにはまだまだある。

 けれど部屋で待つよりはいい。ずっといい。

 棗はそう思いながらデスクに突っ伏し、その時を待った。

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