第8話 当世高校生逢引旅行
“
――ありがとうございます。
それではご希望の世界遺産をご選択くださいませ。
――ありがとうございます。マチュピチュでございますね。
お客様の仮想空間に地形及び気象データをダウンロードしてください。つきましては管理者コードでのご認証をお願いいたします。
――ありがとうございます。
接続環境によっては少々お時間がかかる場合がございます。予めご了承くださいませ。なお、ダウンロード時間はツアーの時間には含まれませんのでご安心を。
何かご不明な点はございますか?
――ありがとうございます。
準備が完了しました。
それではどうぞ、いってらっしゃいませ”
国内最大手の仮想旅行会社のシステム音声が終了すると同時、真一の飾り気のない仮想空間は一瞬にしてその姿を変えた。
標高2,400メートルの山の尾根に建造された天空都市――マチュピチュ。
三十数年前には「一生に一度は訪れたい観光地」に選ばれるほどの人気の世界遺産であった。当時、マチュピチュを訪れるには空路で二度の乗り換えを経ておよそ27時間、それから陸路で玄関口である集落を目指したという。
「それが今はデータを落としたら一瞬だもんなあ。便利なもんだ」
「もう、そういうのはいいから」
「ごめんごめん」
「じゃ、いこっか」
棗が真一の手を取って歩き出す。並んで歩いていくが、狭いところは一列になった。それでも棗は手を離さなかったのが真一は少しこそばゆかった。
仮想空間で良かった、と真一は思う。
……今、手汗凄いだろうなあ。実際に手ぇ繋いだら引かれるくらい汗かいてるだろうなあ。
「うわ、何この階段」
「3,000段あるらしいぞ。登るか?」
「そりゃ登るでしょ。でもこんな山の上にこんなすごいの建てて、昔の人は何考えてたんだろうね」
「それが分からんから世界七不思議のひとつとか言われてるらしいぞ」
「へえー。そうなんだ」
実際のところ「言われていた」というのが正しい。今現在マチュピチュについて研究している人間はほとんどいない。それどころではないからだ。人の頭と手は生活基盤の維持とZodiac対策に割り当てられている。悪名高きウィルスは人々の暮らしを文化レベルで破壊した。否、破壊し続けている。
だが、今それを口にするほど真一は野暮ではなかった。
マチュピチュの前景と周囲の山々が見える。
「うわー、絶景かな! 絶景かな!!」
「なんで時代劇口調なんだよ」
「気分だよ。すっごい景色だねえ!」
「ほんとだな」
「ありがとね、真一!」
「おっ、おう」
「……いつもの生活してたらこんなの絶対見れない」
「そうだな」
「どうして私を誘ったの?」
「そりゃ、お前」
「なあに?」
「奇跡的偶然で幼馴染と同じクラスになったのに、何もないまま別れるってのは嫌だったからさ」
「え? シンイチ、Bに上がるの?」
「いや、棗がDに下がるかもじゃん」
「ひどいよシンイチー。そんなに私成績悪くないもん」
「ごめんごめん。だから、そういうことがあってから連絡するのも気まずいから、同じクラスのうちに、ちゃんと……デートをしておきたかったと言いますか」
「なんで丁寧語になるの」
ぷっ、と棗は吹き出した。
「じゃあこれって、そういうデートだと思っていいの?」
真一は無言で頷いた。
「そっか」
棗は一度俯いた。
僅かに逡巡した後、顔を上げた棗は目を閉じていた」
「っ!」
……これはつまり、アレか。
仮想空間にありながら、真一は自分の心臓の音が聞こえる気がした。
「……シンイチ」
データの棗の唇が艶めかしく動き、名前を呼んだ。
真一は僅かに首を傾けて、そっと棗の唇に触れた。
「またね、シンイチ」
「またな」
「今日は楽しかったよ」
「俺もだよ」
「いつか、ほんとに逢えるといいね!」
「……」
「……じゃ、また学校でね」
「……棗!」
真一が名前を呼んだ時には、棗は既に仮想空間から退出済みだった。
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