第6話 当世高校生逢引開始

 土曜。

 いつもより遥かに早く目を覚ました来島真一は普段なら絶対にやらない、やる必要のない身支度に勤しんでいた。

 数少ない外出着――そもそも外出などしないが――から割とまともそうなものを選ぶ。髪は半月ほど前に優美に切ってもらっていたのが幸いした。ヘアセットはしたことがない。隆志のワックスを勝手に使ってみたがうまくはいかなかった。

「うーむ。どうしたもんかな」

 などとやっているうちに約束の時間が近づいてくる。

 午前十時。

 真一はヘッドマウントディスプレイを装着し、ベッド兼椅子に横たわってオンラインへ接続した。



 見慣れた仮想空間。

 処理を軽くするためにテクスチャもオブジェクトも何もない、グリッドだけで構成された空間が真一のパーソナルスペースだ。

 慣れ親しんだ空間。違和感は自分自身にある。

 右手を見ると着ぐるみアバターのそれではなく、生身の自分の手指があった。

 アバターではない、生身の自分がここにいる違和感。

「変なカンジだな」

 はじめての感覚に、真一は慣れるのに少し時間がかかりそうだな、と思った。


 そこへチャイム音が鳴った。

 訪問者がやってきた合図だ。

 棗だ。

 このスペースへの入場キーは彼女以外に渡していない。

 真一が承認すると見知った猫のアバターが姿を現した。

「こんにちは、シンイチ」

「ういっすー。ってアバターじゃん棗」

「あの、あのね! ちょっと恥ずかしくって、その、あの」

 慌てるの姿に、真一はくすりと笑った。

「恥ずかしいって、何がだよ」

「だって、生身で家族以外の人に会うのなんて十年ぶりだもん」

「そんなに?」

「だって……家から出ちゃいけなくなったじゃん。シンイチも外出とかしないでしょ?」


 濃厚接触禁止令は国民に基本的な外出の禁止を強いるものだ。基本的人権の尊重よりもZodiacの感染拡大を防止することに重きを置いた法令である。


「そうだなー。俺も姉さんとアニキの顔しか見てねえな」

「だから、顔を見せるのが恥ずかしいの」

 いつもの調子とは異なる気弱な棗の声音。

 参ったな、と真一は思う。

「そんな風に言われたら俺も恥ずかしくなってきたぞ……」

「じゃ、やめる? シンイチもアバターにする?」

「いや生身ナマで。つうか俺、既に生身晒してんだけど」

「……ちょっと大人っぽくなったね、シンイチ」

五歳の頃最後に会った時と比べられてもなあ」

 変わってなければおかしいというものだ。

「あははっ」

「棗は嫌か? 俺に顔見せるの」

「嫌じゃないけど」

「けど?」

「だから恥ずかしいんだってば! さっき言ったじゃん!」

「うーん。俺だけ生身晒してるのは不公平じゃない?」

「うぅー」

 唸る棗。どうにも踏ん切りがつかない様子に見えた。

 ……まあしょーがないか。

 真一が半ば諦めかけた時だった。


「……わない?」

「ん?」

「笑わない? 私のこと見ても」

「笑わねーよ」

「絶対?」

「絶対だ」

「……」

「……」

 数秒の沈黙が、真一には妙に長く感じた。

 

 猫のアバターが溶けるようにして小柄で華奢な人影に姿を変えた。


 長い艶やかな黒髪。

 揃えた前髪。

 黒目がちな垂れ目。

 面影のある輪郭。

 はにかんだ笑顔は真一の記憶の中にある棗そのままだった。


「ははっ」

「あー、笑った! 笑わないって言ったのに!!」

 駆け寄ってきた棗は頬を膨らませて強烈なパンチを打ち込んでくる。

「いやこれはあまりにも棗が変わってなくてつい懐かしくて微笑んだと言いますか」

「何それ! ガキっぽいってこと!?」

「そこまで言ってねえよ!」

「じゃあどこまでよ!?」

 白い肌を真っ赤に染めて暴れまくる棗をなだめすかしながら、真一はもう一度笑ったのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る