第1話 One day / とある男性営業マンの一日

 朝。

 瞼越しに朝日を感じながらも、彼――田中洋平は寝返りを打って布団に潜り込みささやかな抵抗を試みた。

 そんな洋平の耳に甲高いアラーム音が突き刺さる。

「……」

 枕元の眼鏡型ARデバイスのフレームに触れると、アラーム音は止んだ。

 が、数分後再度のアラーム音。


「くっそ」


 悪態をつきながら、洋平は観念して布団から這い出した。

 再度アラームを止め、眼鏡をかける。


 視界の端に今日の予定がずらずらと流れていく。

 最新の眼鏡型デジタルデバイス。使い勝手は悪くないものの、何かに支配されている感はあまり好きになれない。


「今日は……先様との打ち合わせが二件か。まあまあ時間空いてるな」


 洋平は在宅ワーカーであった。この狭いワンルームマンションが彼のオフィス兼住宅である。

 彼の仕事は国内の大手商社の営業職だった。

 営業職とはいうものの、2051年現在、仕事で外回りをすることは無い。そんな文化は30年近く前に廃れてしまっている。今時教科書にも載っていないだろう。


「光あれ」

 洋平の神のごとき一言で、部屋の明かりがついた。

「トースターオン、ケトルオン」

 トースターが加熱を開始し、電気ケトルも同じく湯を沸かし始める。

 さすがにパンと水は寝る前に洋平が自分で仕込んでおいたものだったが。


「くっそ……昨日ははしゃぎ過ぎたな」


 友人とのオンライン飲み会で痛飲した結果、酷く頭が痛かった。いわゆる二日酔いだ。2051年になっても人間の本質は変わらない。人間は愚かな生き物なのだ。


 洋平はふらふらとシャワールームへと入り、自分好みに設定された湯温と水圧のシャワーを浴びた。シャワーから出てくるとパンは焼けており、湯も沸いていた。パンにママレードをしこたま塗りたくり、インスタントのブラックコーヒーを淹れて馬鹿みたいな量の砂糖を投入する。

 いつもの朝食を摂りながらデバイスに流れ込んでくるニュースの中で気になるものをピックアップ。部屋の壁に賭けられた極薄モニターに転送、表示させる。


 株価は低調。

 金利もクソ。

 ロクなニュースがない。

 関東の一部で物流がストップしたというのが仕事柄気にかかる。その理由は――


「ああ? 現場でが出ただと……? 冗談じゃねえぞ。衛生局は何やってんだあの税金泥棒ども」


 発症者は無事に確保はできたとのことだが、当該施設は一時的に閉鎖。その影響が周辺の配送エリアに出てしまっている。


「幸い俺には関係ねえが、弊社的にはちと被害が出る、か。クレーム処理班はご愁傷様だな。それにしても、現場仕事に人間を使うのはやっぱり駄目だな。偽陰性が陽性化して発症とかそんなもん対処のしようがねえだろ」


 パンをペロリと平らげて洋平は自分の仕事が在宅で済むことに感謝する。利己的と言えばそうだが、彼にとって自分の安全以上に大切なものはない。誰しもがそうであるように。

「……一応念のため、だな」

 洋平はデバイスを操作して商品を発注。配達時間を当日夕方に指定した。


「さて、と。仕事すっか」


 取引先との打ち合わせは北海道の農家の男性と歯ブラシメーカーの社長の二件。打ち合わせで、洋平は顔出しはしない。全てアバターを使う。それも女性型のアバターだ。艶やかな黒髪に知的な眼鏡、そして泣き黒子。胸は敢えて平均以下でスレンダーな体型にパンツスーツを合わせている。洋平の趣味をこれでもかと詰め込んだ渾身のアバターである。声は当然女性のそれに変換している。名前も棚田洋子。偽名だ。最近のアバターは出来がよく、不慣れな相手であればホンモノの人間と区別がつかないほどだ。

 洋平がここまでするのにはふたつ理由があった。

 ひとつは身元の特定を防ぐため。身バレして得することなど何もない。

 もうひとつは女性の方が取引先のウケが良いのである。やはり人間の本質はいつまでも変わらない。

 

 デバイスを操作して取引先をコール。

 まずは農家の男性から。


 壁のモニターに朴訥を絵に描いたような男性が映る。

「ど、どうも棚田さん、お世話になります!」

「こちらこそお世話になっております、菅原さん。本日はお時間頂き誠にありがとうございます。菅原さんの生産されるお野菜はお客様からも大変ご好評いただいておりまして」

「あ、ありがとうございます!!」

「つきましては引き続きのお取引に関して、今後の納品とお支払いについてのご相談をさせていただきたく」

「はいっ」

 頬を紅潮させて頷く菅原を見て、洋平は内心ほくそ笑む。ちょろい。楽勝だな。やっぱり女性アバターは最高だぜ、と。

「それでは――」



「あー、疲れた。マジかあのジジイ」

 二件目の打ち合わせ相手の社長には「直に会って交渉しよう」と何度もしつこく繰り返されて辟易した。

 今日日きょうび直接面会することのメリットなど何ひとつとしてない。

 どちらかが偽陰性だったらどうする。感染リスクを知らねえのか、それよりもエロの方が大事なのか。旧世代の連中はこれだから困る。


「なんにしろあの会社はやべえな。リスク管理ができねえ社長じゃ話にならん。上に報告上げとくべ。あと代替業者の選定かー。めんどくせえな。それは明日でいいか」

 言いながら既に冷蔵庫から出した缶ビールを開けている洋平であった。

 在宅ワーク万歳。

 一本目を空にしたところで眼鏡型デバイスにメッセージが届いた。


「あー、指定配達か」


 洋平はガラガラとベランダ側のガラス戸を引いた。

 遥か彼方の空から一機のドローンがどんどんこちらに近づいてくる。

 三十秒後、洋平の目の前でホバリングして停止。

 眼鏡型デバイスと認証キーをやり取りしたドローンは抱え込んでいた段ボール箱を投下。どさり、と音を立ててベランダに箱は着地。


「いつもながら雑な配達だな」


 まあいい。

 モノが手に入ればそれでいいのだ。

 洋平がダンボールを開梱すると発注した商品が間違いなくそこにはあった。


 一丁の拳銃ハンドガンと銃弾が。


「ナイフだけじゃ心許ないよな、最近」


 ひとりごちる洋平のデバイスにまた発症者のニュースが流れてきていた。

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