春雨スープ


 ただ柔い雨が、走る私の顔を潤しては垂れていく。春の雨と書いてはるさめ。どうしても食べものの方を先に思い出す。


 雨の湖は静かだ。ただレインコートがこすれあう音だけが耳に入る。集中できるし、人がいないからという理由で、わざと雨の日を狙ってここにくる。


 足を運ぶ速度を緩め、ランニングコースから少しそれる。歩きながら腹に手をやった。右手の時計はもうすぐ12時をさす。朝おにぎりを食べて、その後夢中で走っていたから、空腹感をどこかに起き忘れていた。


 小学校、中学校で身につけた習慣は、もう一生消えないのかもしれない。陸上部を退部して1か月経っても、この湖周辺のランニングコースに足を運ぶ。


 木のベンチに座る。レインコートで覆われているから、濡れることも気にしなくて済む。


『長距離走は1人の競技だけど、1人じゃないからね。すごく幸せな競技だよ』


 練習試合の時、先輩の分のスポドリを家庭科室で作りながら、ただかっこいいと思った。自信満々にそう言い切れるところや、それに伴う実力を持っている全国大会常連の、勝者の説得力。


 腹がぐぎゅりと変な音を出した。ゆっくりと立ち上がる。


 1人じゃないのは素敵なことで、呪いだ。


『完全になめてるんだけど』


 先輩は急に不機嫌になるところがあって、そこだけがどうしても尊敬できなかった。理不尽に冷たい返しをされた私はつい、「すみません。そんな機嫌悪い時に声かけちゃって」と本音を零してしまったのだ。バカ。


 中学であれほど勉強して、やっと受かった陸上部の強い高校。1か月で辞めてしまった。1か月。先輩に嫌われて部室に居づらくなっただけの理由で。


 雨はまだやまない。ただ柔く私の体に降ってくる。奥底にいた息を吐きだして、ほこりっぽい空気で空腹をしのぐ。


 これからのことは不安ばかりだけど、私は走ることが好きなままだった。たかが1か月、うるさい女にぎゃあぎゃあ言われた程度で揺らぐほどのものじゃない。


 私はまた走り出す。雨はまだ、やまない。





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