なまぐさ女
照り焼きと聞いてぶりを思い浮かべる。初夜にぶりの話をしたから。
『綺麗に食べられないんです。魚』
随分と答えづらい理由で、あの子を好きになってしまった。
前に勤めてた会社で出会った。そこそこ大きめの社内で有名なほど、仕事ができない子だった。何をするのも遅いし、男にも、同性にも疎まれてて。小っちゃくてちょこちょこと歩いて、たぬきが人に化けて働いてるんだと思ってた。
『こんなぶっきらぼうな女やめときなよ。あんたとは趣味も合わないし、焼酎だってがぶ飲みするし』
あの子を好きになった。コーヒーにスティックシュガーを溶かすみたいに、気づかない間にさらさらと、離れがたくなってしまった。
『本当はやめてほしくなかったりして』
『うっさいばか』
『ひどいよお』
夕焼けみたいな女だった。生きるの下手みたいなふりして、どこで学んだんだか夜は上手かった。何事も丁寧できっちりしてるのに、魚の食べ方だけは汚かった。
はっきりしない、何にも染まれない、染まらない女。
『魚は好きなんですけど、赤身がだめなんですよ。血なまぐさくて。それをよけようとして、きれいに食べられないんです』
初めて喋ったあの日、会社の飲み会で言ってたじゃん。あんた。
何の予感もしなかった。最後に会った1カ月前のあの日だって。いつもどおり寝て、朝マックして、昼から飲んで、夕方にさよならしたじゃん。
血なまぐさいの苦手って、言ったくせに。
部屋から異臭がするとの通報を受け、警察が突入した。そのころ私は、テレビでつまんない食べ歩きの番組を見ていた。手首を切ったあの子が、自分の血が溶けた風呂で死んでいたというのに。
誘ってくれればよかった。あんたと一緒なら手首くらい切れたのに。
今日は一日中ずっと雨だった。私は普通に会社へ行って、コンビニで晩御飯のペペロンチーノを買って帰ってきた。
テレビでは相変わらず、つまんないお笑い芸人と可愛くない女優がグルメリポートなんかしてやがる。
なにが「見てくださいこのお刺身ぃ」だ。それよりももっとうまい魚を知っている。
あの子があの日、食べきれなくて私に押し付けたぶりの照り焼きを、これからもきっと忘れられないままでいる。
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