届かない方が良かった。

三嶋アリス

第1話

 一番暑いのは、真冬。窮屈に縮こまるシングルベッドの上だと思う。やりたいことや、やらなくてはいけないこと、やってはいけないことと、やりたくないこと。どれをどのくらい実行しているのかは人によって違うとは思うのだけれど、だれもがその全部を、こなしながら生きていくのだろう。

 冷蔵庫から取り出したての冷え切った牛乳は、上着を煩わしく思う今日にはまだ少し冷たすぎた。来訪の予定がない部屋は、どうしても綺麗なままではいてくれない。乱雑に置かれた文庫本や化粧道具は、ただ散らかっているだけの会社のPCのデスクトップとは違って、棚にしまわれているよりもずっと機能的だ。

 兄と連絡を取らなくなってから、三週間がたった。兄からの通知音が鳴らなくなってからは二週間たった。二十六年間も空気のように存在していた兄を、私は手放した。三つしか違わない彼は、それでも、いつでも私の頼れる兄さんだった。生まれたときからついこの間までずっと私は彼の「甘えん坊の妹」を完ぺきに演じていた、はずだった。

 「雅紀は私の恋人なのよね」兄の恋人、立花深雪は卑しいものを見る目で、確かに私につぶやいた。その一言だけで、わかった。気づかれてしまった。立花には、私の兄への厭らしくて純粋で濁ったこの感情がわかるのだ。

 暑さに促されて氷をいれたことを失敗したな、と思う。まだこの季節に短パンは寒かったし、羽毛布団をしまったことも後悔した。

 

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