第4話 麗しの毒婦
世界の半分を灰色が支配している。灰色はやがて限界に到達し、折れ、うねり、角度をつけて三次元の変化を生む。反対の半分には何もない――ただ古臭いLED電灯が部屋に滞空する埃を浮き上がらせているだけだ。
俺は床に転がされていた、縛り上げられて。夏のひからびた青虫みたいに。
「おはようございます」
傍に立ってこちらを見下ろすウラニアは平然と言った。
女神の顔したあばずれめ、と毒づこうとしたが、意味をなさないうめき声が漏れただけだった。盛られた薬物の後遺症だろう。一度、タチの悪い
ラフレシアに似たでかい一輪花の群れはケロシンと硝酸を撒いて焼き払ったが、一週間は吐き気とめまいで仕事にならなかった。今度は、二度と仕事に戻ることはないかもしれない。すべては彼女次第だ。
「誤解のなきように――私は、あなたに敵対するつもりはないのです。あなたに感謝しているのです。この躯体が破壊されることを未然に防いでくれたことよりもむしろ、あなた自身が私の前に現れてくれたことに」
「……正気……じゃ……ない……」
一単語ごとに嘔吐するほどの苦痛を伴って、かろうじて俺は目の前の狂信者に罵声を浴びせた。おそらくちっとも堪えてはいないだろう。
だがそれがどうした。穴ぐらでミュータントどもを相手にする商売を始めてからは、どんなヘマをやらかそうと食われる前に唾を吐き捨てて死んでやると決めている。せめてこの
だがもちろん、奴にはバックアップがあるだろう。
「訂正をいくつかしましょう。一つ、私の雇い主は秘密主義でなく、後ろ暗いところもないと言ったのは本当です。ただし、目的のためにはわずかに後ろ暗い行為が必要となることもあり、今がそうです。二つ、あなたをあのまま帰していれば、ボスは深く落胆するでしょう。それは怒り狂うよりも強い失望の表出です。恩人である、という要素はこれにさほど大きくは影響しませんが、事実でもあります。三つ、私は正気です。それを証明した
――
叫びは、もちろん声にはならなかった。
「では、最低限の状況も説明しましたので、主人の下へとご案内致します。これ以上のことは、主人からの方が上手く伝えられることでしょう」
たのむからそうであってくれ、と俺は願った。
この会話の成り立たない無機物相手じゃ、自分がどんな目に遭って死ぬのかさえわかりゃしない!
機械製の身体に相応しい腕力により、ウラニアの両手に俺は頭と足を抱えられる、いわゆる――ああ、考えたくもない――屈辱的な体勢で運ばれながら。俺はやることもないので視界に入る屋内の様子を観察していた。
灰色の屋内は最初の印象ほど古びてはいないようで、どころかその多くはよく手入れされていた。建物それ自体は新しくはないが、造りに手が抜かれていない。簡単に言えば、古いが金をかけて造られ、金をかけて維持されている建築物だ。
金をかけずに造られて、金をかけずに放置されている場所によく行くのが
例えば
わずかな見返りとして本社棟に行けば様々な施設を無料か格安で利用できるが、ただの嫌味に思えて使ったことは一度もなかった。
ウラニアの主人とやらも相当な金持ちなのだろう。どうせ自分は指一本動かさずに人を顎でこき使って金を稼いでいるろくでなしに違いない。そんな野郎に殺されるぐらいなら、せめて死ぬ前に唾でも吐きかけてやろうと心に決めた。
しかし俺のそんな予想は半分当たって、半分外れた。確かに主人は指一本動かさずに人を顎で使っていた。だが彼には指もなければ、顎もなかった。
『やあ、やあ。どうも、歓迎する……ウラニア、どうして彼は縛られているのだね?』
広い部屋の奥に置かれた半球状の鋼鉄のドームに丸窓のガラスがいくつも嵌め込まれ、太いチューブが何本も接続されていた。以前海鮮レストランで見かけた、生体プリンタ製の真っ黒なウニに似ていると思った。
最高品質のスピーカーがテノールの滑らかな声を吐き出す。外部モニタを必要としないイオン投影式で、空中に『?』と疑問符が浮き上がる。
彼は、無機人格だった。
「運ぶのに容易でしたので、オーナー」
ウラニアはドーム型の主人の当たり前の疑問に、さらりと答えた。
ドブさらい・ミーツ・無機物 蔵持宗司 @Kishiba
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