第31話

 ついに、この時を迎えてしまった。

 五月の最終日を迎える前に、全都道府県の緊急事態宣言が解除された。


 両親に連絡を取ったところ、明日には家に帰るとの事。

 つまり、今日で萌恵奈との同棲生活も最後になる。


 突然訪れた俺と萌恵奈の同棲生活の終止符。

 しかし、これは世間的にはいいことなのだ。

 ウイルスの新規感染者が比較的落ち着き、普段の日常を取り戻すことが出来るということなのだから。


 俺と萌恵奈の同棲生活は、外出自粛かつ両親が不在という、いわば特殊な条件が揃っていたからそこ出来たこと。本当であるならば、こんなに怠惰な時間を二人きりで過ごすことなどありえない話なのだ。


 ソファでテレビに映る記者会見の内容を聞きつつちらと萌恵奈の方を見れば、テレビの画面をじっと見つめている萌恵奈は、嬉しいような悲しいような何とも言えないような複雑な表情を浮かべていた。



 ◇



 今日が萌恵奈と二人での同棲生活最後の日。

 しかし、緊急事態宣言解除のニュースを見て絶望感や虚無感が勝ってしまったので、お互いに普通に夕食を食べてお互いそれぞれ別々に風呂に入ってシャワーを浴びた。


 そして、萌恵奈は今リビングで荷造りをしているところで、俺は一人自室で何とも言えない喪失感に苛まれて地べたに座って呆けていた。


 すると、コンコンと扉がノックされる。


「はい」


 ドアの向こう越しにいる彼女に声をかけると、扉がカチャリと開かれて、萌恵奈が顔を覗かせる。


「柊太……これ、返すね」


 萌恵奈が手渡してきたのはスマートフォン。

 没収されていたことすら忘れかけていた。

 萌恵奈が来るまではスマートフォン中毒だった俺が、スマートフォンを返してもらっても全然嬉しい気持ちになることが出来ない。

 そのくらい、俺にとっては幸せ絶頂だった同棲生活に終止符を打たれたことがショックなのだ。


「悪い、ありがと……」


 萌恵奈からスマートフォンを受け取り礼を言うと、萌恵奈は部屋から出て行こうとする。


「そ、それじゃあ……私は隣の部屋で寝るから」

「えっ、どうして!?」


 俺は思わず驚いた声で聞いてしまう。なんなら、その勢いで萌恵奈の腕を掴んでいた。

 はっと我に返り、俺は腕を離す。


「わ、悪い……」


 問題ないと萌恵奈は首を振る。

 伏し目がちなので萌恵奈の表情はうかがえない。

 お互いに気まずい沈黙が流れる。息苦しいような空気を変えるため、俺は軽く咳払いしてから顔を上げる。


「どうして、一緒に寝ないんだ? その……最終日なのに」

「だって……このままだと、元の生活に戻れなくなっちゃうから……」

「それならっ……」


 次の句を返そうとして、俺は言葉を飲み込んだ。

 俺とずっと一緒に眠ればいいじゃないかなんて、必ず約束できないようなことを軽く言ってはならないと思ったから。

 俺が途中で言葉を切ったせいで、再び二人の間に沈黙が流れる。


「ごめんね」


 そう一言謝って、萌恵奈は隣の両親の寝室へと向かって行った。

 バタンと閉ざされた扉は、俺と萌恵奈の間にこれから立ちはだかる大きな障壁のような壁のように感じた。

 結局、萌恵奈が部屋から出てくることはなく、俺は一人で眠る羽目になった。


 部屋の明かりを消して、ベッドに横になる。

 天井を見上げれば、いつもと変わらぬ部屋の景色が月明かりに照らされて映し出される。

 しかし、昨日までいたはずの彼女は、もう隣にはいない。


 柔らかい萌恵奈の肌さわりも、シャンプーのいい香りも、暖かい温もりも感じることはできない。


 無意識に大きく息を吐いてしまう。


「今日で……最後なのになぁ……」


 思わず寝返りを打ち、隣の部屋にいるであろう彼女を考える。

 このままだと、今までの萌恵奈との出来事がすべて思い出になってしまうような気がした。

 元の生活に戻った途端、関係性も元通り。

 キスの一つもしない、クールで健全な生ぬるい関係性。


「それだけは、嫌だなぁ……」


 ふと独り言をつぶやきながら、俺は腕で目元を隠す。

 自然と目頭が熱くなっていくのを感じた。

 やるせない気持ちと、寂しさが一気に押し寄せてきて、唇を浅く噛む。

 鼻をすんと鳴らした時、キィっと部屋の扉が開く音が聞こえた。


 思わず身体を起こして扉の方を見やれば、自分の身体を抱いたまま身を竦めている萌恵奈の姿があった。


「萌恵奈……どうした?」


 俺が優しく尋ねると、萌恵奈は答えることなくスタスタとこちらへ近づいてきて、そのまま滑り込むようにしてベッドの中に入ってきた。


「もえ……な?」

「やっ……やっぱり最後だし、最後にしたくないけど、最後かもしれないし……だから、後悔したくなくて……」


 何かを必死に伝えようとする萌恵奈。

 それを見て、俺は思わずふっと笑みを浮かべてしまう。

 そして、ゆっくりと寝転がった萌恵奈の頭へ手を添えて、ゆっくりと撫でてあげる。


「うん、俺も最後にはしたくないし、悔いが残るようなことは嫌だ。だから、今日は一緒に寝よ?」


 萌恵奈はコクリと顔だけ動かして頷いた。

 安心したように息を吐いて、俺は萌恵奈の隣へ並ぶようにして寝転がる。

 お互いに視線を合わせ、恥じらいつつもチュっと唇を合わせてキスを交わす。


 あぁ……萌恵奈の華奢な身体と、いい香り、そして何より、隣に感じる温もりと安心感が、俺の心を癒していく。


 最後の夜。

 俺達はこうして、二人仲良く眠りについた。

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