第29話

 久しぶりの心地よい気候の初夏の日和。

 明日にも、一都三県と北海道に緊急事態宣言解除の方針を決めるらしい。

 ついに、元の生活を取り戻す第一歩が始まろうとしていた。


 もし、明日付けで緊急事態宣言が解除となれば、オフィスライフを過ごしている両親が帰ってくるので、俺と萌恵奈の二人きりでのイチャイチャ同棲生活も幕を閉じることになる。


 本当に色々あった。

 一人で大人しく自粛生活していた俺の家に、突如萌恵奈が押しかけてきて――


『私、自粛期間の間、柊太と同棲するから!』


 半ば半強制的に始まった同棲生活。

 しかし、萌恵奈が行動を起こしてくれたおかげで、俺達の関係性にもたくさんの変化が生じた。


 これまで付き合ってきて、一度しかキスしたことなかったのに、その壁を容易く乗り越えて、今となってはキスは当たり前のように一日何十回、何百回とするラブラブっぷり。


 したことがないイチャつき方や、一緒に筋トレしたり、料理を作ったり、風呂に入ったり自粛期間を家の中でイチャつくことで思う存分楽しんだ。

 そして、今までしたことがなかった夜の営みも、この自粛期間中に一線を越えた。


 俺と萌恵奈のカップル度は、ピュアッピュアな状態から、何段も大人の階段を昇りつめて、ある意味カップルのイチャつき最高峰まで昇り詰めたのかもしれない。


 だからそこ、馴染んでしまったその生活を手放すのが惜しいという気持ちがお互いにある。


 今日は朝起きてから、一日中引っ付きっぱなしでチュッチュ、チュッチュしまくっていた。

 この生活が終わる前に、今までよりもさらに一倍お互いを分かち合うように、イチャイチャしまくっていた。


 ベッドでイチャついて、汗を掻いたら一緒に風呂に入ってイチャイチャ。

 お風呂から上がった後も、着替えを済ませてリビングのソファに腰かけて連続のキスの応酬。気が付けば萌恵奈を押し倒して愛撫して、またも汗だくになっていた。


 二度目のシャワーを浴びて、また新しい服に着替えてから、昼食を一緒に作った。

 お互いに『あーん』して一口ずつ幸せほわほわな二人だけの空間を楽しみ、食べ終わって後片付けも疎かのまま、そのまま萌恵奈が俺が座っている椅子の上に馬乗りになる形になって先ほどの続きというようにキスの連続。


 もう唇は完全にふやけていたけれど、もう皮が破けてしまっても仕方ないと思っていた。

 だって、こうして思う存分イチャイチャできるのも、今日で最後かもしれないから……。


 そう考えたら、キスを止めるなんて選択肢は俺たちの頭の中にはなかった。

 我慢できなくなった俺は、萌恵奈をそのままソファまで運んで押し倒す。


 もうそこからは、どれだけイチャイチャしたかあまり良く覚えていない。

 起きた時には、夕陽の窓からリビングに差し込み、お互い裸のまま抱き合って眠っていた。


 本日三度目のシャワーを浴びて、俺達は夕食の準備を始めた。


「萌恵奈、何食べたい?」

「えーっとね。柊太に食べられたいかなぁー」

「全くもう、仕方ないなぁー」


 そんな冗談を交わして微笑み合い、お互いに唇を重ねる。


「それで、何食べる?」

「生姜焼きがいい」

「了解」


 冷凍室から豚肉を取り出して、レンジで解凍する。


「ねぇ、柊太」

「ん、どうした?」


 玉ねぎとピーマンを手に取って立ち上がったところで、萌恵奈に声をかけられて振り返る。

 萌恵奈は、どこか愁いを帯びた儚げな表情で俺を視線を下に向けていた。


「今日で最後なのかな?」


 萌恵奈の声音は、どこかほの暗く、実感が籠っていた。

 何のことについて萌恵奈が問うているのか、そんなことは分かり切っている。

 だからそこ、俺は何も言葉を返すことが出来ない。


 萌恵奈はきゅっと唇を引き結び、瞳を潤ませている。

 その顔を見ただけでも、近くにまで迫っている俺達の同棲生活の終わりを示していた。

 この沈黙は、お互いに心の中で思っていることを表している。しかし、それはとても世間的には不謹慎なことで、言ってはならない言葉。

 普段通りの生活が戻ってくることは、俺達にとっても嬉しいことで、ウイルスとの戦いにもいつか終息が訪れる。


 唇を軽く噛み、言ってはならないその言葉をぐっと堪えるようにして、唾をごくりと飲み込む。


 そして、ようやく踏ん切りがついた俺は、頭をガシガシと掻きながら答える。


「どうだろうな……まあでも、早く普段の生活に戻れた方が不便もなくなるし、世間的にはいいことだろ」

「そうだよね……えへへっ。なんかごめんね、変なこと聞いちゃって」


 ぱっと顔を上げて、萌恵奈は優しく頬笑みをたたえる。


「いやっ……そんなことはないけど……」


 俺は視線を逸らしてそう返すことしか出来ない。


「柊太に調理任せてもいい? 私、身支度整えてくるから」

「お、おう。わかった」


 萌恵奈はくるっと踵を返して、キッチンからリビングの扉へと向かい、リビングを後にした。


 持ってきた衣類やゲームなどの物をあのデカイ登山リュックに仕舞い込むのだろう。

 緊急事態が解除され、ウイルスとの戦いを制して、普段の生活を少しずつ取り戻していくのは嬉しいこと……であるはずなのに。

 俺の心の中には、間違いなく抱いてはいけない、蟠った邪悪な気持ちが芽生えていた。


 このまま緊急事態が解除されることなく、萌恵奈との同棲生活がずっと続けばいいのになと。

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