第19話

 例えばの話だ。

 もしも、俺の両親がともに在宅勤務になっていたとしたら、どうなっていただろうか?


 恐らくはこうだ。

 朝七時に掃除機の音で強制的に夢心地の中から現実へと意識を戻されて最悪の目覚めから始まり、部屋から出てリビングへと向かうと、忙しそうにせかせかと朝から掃除に勤しむ母親。

 そして、その様子を何食わぬ顔で見つめている父親。


「おはよう」

「あぁ、おはよう柊太」

「うむ。おはよう」

「朝ごはん机に置いてあるから、とっとと食べちゃって。食洗器かけたいから!」

「俺の食器はいいから、先に食洗器かけちゃっていいよ」

「なら、食器は自分で洗って頂戴ね」

「……わかったよ。今食うよ」


 朝の俺のルーティーン。歯を磨いて顔を洗うをいきなり崩されて、仕方なくテーブルに座って朝食のトーストにかぶりつく。


 父は向かい側の席で新聞を開いて読み耽り、母は俺が食事しているのも関係なしにうるさい掃除機の音を響かせながらリビングの掃除をする。


「はいあなたたち、足上に上げて!!」


 そして、掃除機をテーブルの下に滑り込ませてくる。

 俺と父は掃除の邪魔にならぬよう、否応なしに足をあげざる負えない。


「ご馳走様」


 朝食を食べ終えて、使った食器やマーガリンなどの調味料を片付ける。

 食洗器に使用した食器を入れて、食洗器用洗剤を投入してスイッチを押す。


 これでようやく歯を磨きに洗面所へ向かおうとしたところで、またも母に呼び止められる。


「柊太。悪いけど、シンクに溜まってる食器洗っておいて頂戴。あと、お風呂もよろしくね」

「えぇ!? いやっ、俺この後大学の授業あるんだけど……」

「あと二時間もあるでしょ? その間に出来るでしょ」


 いや……出来るでしょ? って、当たり前のように言われても……。

 こっちだって色々と授業までに準備しなきゃいけないことがありましてね……。


「よろしくね! 私は今から部屋で仕事だから」


 母は俺にそう言い残してせかせかとリビングから出て行ってしまう。


「んんっ! 俺もそろそろ仕事すっか……」


 テーブルで新聞を読んでいた父も、椅子から立ち上がりぐっと伸びをすると、逃げるようにしてリビングから立ち去る。


 部屋に残された俺は、深いため息を吐いて渋々食洗器で洗えない食器を洗いだす。

 ようやく洗い終えたところで、今度は風呂場へと移動して、風呂に残っている湯船の水を抜いてから、洗面所でようやく歯を磨く。


 歯を磨き終えて、顔を洗い終えると、丁度タイミングよく浴槽の水が抜けてなくなるので、そのまま寝間着のまま風呂掃除を始める。

 母は、掃除機は異様に朝早くかけるくせに、風呂掃除だけは絶対にやろうとしない。


 普段、俺が大学の授業を終えて夕食後に帰ってきたとしても、掃除されていないことが多く、意地でもやりたくないという気持ちが伺える。


 いつの間にか、浅見家の風呂掃除担当は俺と勝手に決めつけられていて、風呂掃除をし忘れた時には、『なんで風呂掃除してないの!』と怒られる始末。

 いや、別に俺が風呂掃除担当って決まったわけじゃないし、そもそも誰も掃除しないから仕方なく俺がやってるだけだからね?


 そんな怒りの感情を胸に秘めつつも、浴槽掃除を終えてたら、自室に戻って部屋着に着替え、今度は自室の掃除を始める。

 廊下の納戸から掃除機を取り出してきて、掃除機でフローリングの床を掃除する。

 すると、ガチャっと一回の両親の部屋が開き、母から一言。


「柊太うるさい! 今大事な仕事の電話中!」

「えぇ……」


 朝から俺の眠りを阻害したのはどこのどいつだよ。

 ホント、親というのは理不尽で身勝手極まりない。

 俺の怒りも頂点に達して、腹いせに掃除機の手を止めることはせず、マイペースに掃除を続けてやった。


 オンラインの大学授業を受けている途中、母が部屋のドア越しから声をかけてくる。


「お昼ご飯できたわよ!」

「だから、俺今授業中。先に食ってて!」


 母に俺の授業の時間割を教えているはずなのに、昼飯は12時と決められたように毎度声をかけてくる。


「なら、食洗器またかけておいて頂戴ね」

「わかったから!」


 適当に返事を返して、オンライン授業へ顔を戻す。

 しかし、既に授業は進んでおり、重要なところを聞き逃してしまった。

 これで単位取れなかったら、一生恨んでやるからな?


 昼飯を食べ終えて午後の授業中。

 またもコンコンと部屋がノックされる。


「はい」


 若干諦めに似た声音で返事を返すと、何やら大きな透明のプラスチックの箱を抱えた母親が入って来た。


「今日から夏日が続くらしいから、あんたも衣替えしちゃいなさい」

「いや、だから俺今授業中」

「そんなの知らないわ。よろしく」

「ぐっ……」


 家族は一番身近の他人と言うが、ここまで気を配らずに身勝手に生活されると、こっちとしてもたまったものじゃない。

 結局、授業後の夜に衣替えをすることにした。


 というような生活を送っていたことだろう。


 しかし、今はどうだろうか?


 掃除機の音にうなされることなく、萌恵奈とぬくぬくして一緒に起きる。


「私朝食作っておくから、柊太お風呂掃除よろしくね」

「わかった」


 萌恵奈が朝食を作り、その間に風呂掃除を行ってしまう。


 風呂掃除を終えてリビングへ戻り、キッチンへと向かうと、萌恵奈はまだ朝食の準備をしていた。


「何か手伝うことある?」

「うーん。特にないかぁ……」

「そっか」


 しょんぼり項垂れると、萌恵奈がふと思い出したように言ってきた。


「じゃあ私のこと後ろからぎゅってしてて」

「わかった」


 言われた通り、調理中の萌恵奈の後ろからぎゅっと首に腕を回して抱き付く。

 相当調理には邪魔だろうが、萌恵奈は嫌な顔一つせずに、むしろふふっと幸せそうな笑みを浮かべながら支度を進める。

 ちらっと萌恵奈がこちらの様子を窺う都度、チュっとキスを交わして朝のひとときを過ごす。


 朝食を食べ終えた後、萌恵奈はすぐにウェブ授業の用意を始めた。

 一方俺は、食器を片付けてから、掃除機をかけるため廊下へと出る。


「ごめん、今から掃除機かけるからちょっとうるさいかも」

「わかった! じゃあイヤホンで授業聞いてるね。終わったら声かけて」

「はいよ」


 最低限度の会話を交わして、俺は廊下の納戸から掃除機を取り出して、二階へと持っていき、掃除を始める。


 リビング以外の場所の掃除機をかけ終えて、掃除機を持って萌恵奈がいるリビングへと向かう。


 萌恵奈はソファに腰かけて、前にあるローテーブルにPCを置きつつ、イヤホンで授業を受けていた。

 俺は萌恵奈の元へと近づいていき、一声かける。


「ごめん、リビングも掃除機かけちゃっていい?」

「うん、いいよ!」

「ちょっとうるさくなるけど、我慢してね」

「大丈夫だよ。むしろこっちこそ、手伝えなくてごめんね。掃除してくれてありがと」

「いやいや、掃除は日課だし」

「はやく掃除終えて、こっちに来て?」

「わかった」


 お互い微笑み合い、別れ際にチュっとキスを交わしてから、俺はリビングの掃除をかけ始める。

 もしこれが逆の立場で、萌恵奈が母だったとしたら、間違いなく何も言わずにいきなり掃除機をかけ始めるだろう。

 こういう一言というか、心配りが大事なんだよ!


 せっせか掃除機をかけ終えて、掃除機で吸い上げたごみをゴミ箱へ捨てて、掃除機を納戸へ仕舞い、手洗いうがいをしてから萌恵奈の元へと戻る。


 萌恵奈は俺の姿に気が付くと、イヤホンを外してトントンと膝元を叩いて誘い込んでくる。

 俺はソファに倒れ込むようにして、萌恵奈の太ももの上に頭を乗っけて膝枕してもらう。

 あぁ、本当に自粛期間、萌恵奈と同棲出来て本当に良かったと心底心から思う、柊太なのであった。

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