第4話

 まだ日が昇ったばかりで、鳥の声すら微かだった。初めての馬上は視界が高く、早朝の村は人気もない。ステラは不思議な気持ちにになった。

 教会育ちだけど、私の村なのに。

 きょろきょろと落ち着かない様子のステラ。グレコは馬の速度を落としたが、気休めにしかならない。村の端に近づいたとき、ステラはたまらず全身で後ろに振り返ろうとした。

「落ちると危ないから、あまり動かないで」

 大きく動いたステラを間一髪、手で支える。

「でも……」

 心細そうにステラがグレコを見上げる。ステラにとってはここが故郷、急な展開に実感がなかったが、いよいよ離れることが身にしみてきたのだろう。しかも、出会って間もない見知らぬ大人と、行ったことのない場所へ旅をするのだから。

 先を行っていたシドも異変に気付き、馬を止めた。

「どうした? 行くのやめるか?」

 その問いかけに、静かに首を振る。

「グレコさん、後でフルート吹いてくれる?」

「ステラのためなら、いつでも」

 やっと表情が柔らかくなったステラの様子を伺っていると、後ろから朝告鳥の声がした。

「行くか」

 太陽の高さを確認しているシドに、ステラも頷いた。


 一行は村を出て林道に入っていた。しだいに朝が満ちてきて、眠りから目覚めた鳥たちが囀り始める。ステラは森のあちらこちらから聞こえてくる、鳥たちの音楽を楽しんでいた。

「音楽は好きかい?」

 首を傾げるステラに言葉を付け足す。

「ほら、鳥の鳴き声を聞いていただろう? 歌は好き?」

「お歌は好きだよ、でもみんなと歌うのはあんまり好きじゃないの」

「みんなには、ないしょだよ」と振り返ったステラへ、前を向くように注意してから

「どうして、みんなで歌うのは好きじゃないの?」

「ちょっと違うのにって思っちゃうの。みんな大きな声で歌うことが正しいって思ってるから」

「大きな声で歌うのは元気があっていいじゃないか」

 会話に割り込んできたシドが、不思議そうに聞く。

「違うの。優しく歌いたいときに大きな声で歌ってるの、違うのにって気持ちになるの」

 なるほど、二人は頷いた。グレコはステラに音楽の才能があることを喜んでいたが、シドはエレノア様の血を引く確証が増えたことにほくそ笑んだ。

 急に静かになった二人に、ステラは前から気になっていたことを聞くことにした。

「今まで、どんなところを旅してきたの?」

「そうだな……シュリンだろ、そこから交易都市クワド、馬で有名なリタッポ、不動の人気観光地セニマール、田園地帯を北上して、国境近くのノイシェに行こうと思って、君の村に寄ったんだよ」

「うわー! いっぱい旅してきたんだね」

 どこも有名で、人生で一度は行ってみたい街ばかり。でも、自分には縁がないと思っていた場所。そんな街に実際に行った人と旅をしているなんて!

 ステラは胸を躍らせた。

「あれ、国境にはもう行かなくていいの?」

「一度伯爵様に知らせることがあるからな、首都に戻らないと。それに首都に行かないと、その楽譜が演奏できるオーケストラはいないぞ」

「ダメダメ! それじゃ絶対シュリンに行かなくちゃ。はくしゃく様の用事が終わったら、楽譜のオーケストラ、行こうね。約束だよ!」

 視界の悪い鬱蒼とした森から、木が減り、日の光がところどころに差していた。しだいに森を抜けているようだ。

「この先は草原になる。そこで一度休憩しよう」

 すっかり話に夢中になって、そんなに時間が経っていたことにステラは驚いた。しかし、意識すると揺られ続けたお尻や、加減が分からず力の入った太ももなんかが重く、だるく感じられた。

 いけない、もう少し我慢しなくちゃ。


 一行は森を抜け、草原に入っていた。雲は少なく、心地よい風が草花を揺らしている。

 先を行くシドがステラたちの横に並んだ。道幅が広くなったとはいえ、シドの下は道ではなく馬の腹近くまで葉が伸びていた。しかし、馬もシドも気に留めていないようだ。

「グレコがもうすぐ休憩なんて言うから、余計疲れるよな」

 グレコばかりに懐かれても困る。

 シドは下心から、ステラと仲を深めたかった。

 確かに疲れを意識してしまったステラだったが、グレコを気使い答えられないでいた。

 気まずい沈黙に、グレコが新しい話題を必死で探していると、子供特有の唐突さで

「それ、旅の道具が入ってるんでしょ! ステラわかるよ、パンパンなんだもん」

 ステラの視線は、シドの背中にある大きな荷物に向けられていた。

「あの中は布ばっかりだ」

「おっと布の量は多いが、俺のヴァイオリンがメインなんだがな」

「ゔ?」

 ステラは聞きなれない言葉に、言葉が詰まった。

「俺の楽器だよ。グレコはフルート、俺はヴァイオリン」

「フルート! じゃあシドさんの”がっき”は大きいんだね」

「そんなことないさ!」

 グレコが声を張り上げる。

「ただでさえ衝撃吸収に特化したケースで重いのに、そのケースをさらに布まみれにする意味がわからん。おかげで俺たちの服はいつも、しわくちゃさ」

 顔は見えないが、声だけでグレコの不満がステラにも伝わった。

「グレコはフルートだから多少の揺れには耐えれるが、俺のは繊細なんだ」

「いつも我慢してたが、その言い方はないだろ。フルートだって十分繊細だからな。だいたい、音からしてフルートの方が繊細だろ」

 テンポよく言い合いする二人に、逆に仲の良さを感じ取ったステラは、気になったことを質問する。

「ゔぁ? いおりん、はどうして繊細なの?」

「木でできているからな。それに中が空洞だから、歪むと響きが悪くなる。湿気にも弱い。繊細な楽器なのさ」

 ステラには難しかったのだろうか、顔をむにゅむにゅさせていた。

 笑いを堪えたシドが、グレコに呼びかける。

「グレコ、そろそろ休憩だろう? 今日は特別に、ステラにタダでヴァイオリンを聴かせてやろう」

 声をあげて喜ぶステラに微笑んだグレコは

「そうだな、森からは離れたし、見通しもいい。ここで休憩にしよう」

 と、馬を止めた。

 グレコに抱えて降ろしてもらったステラだったが、久しぶりの地面はふわふわとおぼつかない。まだ馬に揺られているような、雲の上に立っているような。夢幻のような感覚に揺蕩っていると、シドが吹き出す。

「ステラ、足がレディとはかけ離れているよ」

 グレコの言葉に下半身を見ると、見事なまでにガニ股になっていた。

 どうにか直そうと足に力を入れてピンと立つが、それが逆に不自然で、またシドの笑いを誘った。

 むくれるステラに、「あいつはほっとけ」と呆れた声でグレコが言った。


 三人は四ツ葉の草の群生地に腰を下ろした。

 グレコが水と軽食を渡しながら「尻や足は痛くはないか?」と気遣ってくれる。

 水を一口飲んだステラは

「痛い」

 とだけ言って、軽食をカプリと喰んだ。

「食べ終わったら、ヴァイオリン弾いてやる。その時、立ってな。体を動かした方がいいだろ」

「なんなら、踊ってもいいんだよ」とウインクを付け足したシドはステラを揶揄ってた。

「そんなこと、しないもん!」

 さらにむくれるステラだったが、”ヴァイオリン”という新しい楽器が聴けることが楽しみで、もう次の瞬間には口元に笑みが浮かんでいた。

 ステラが食べ終わるのを待って、シドはリュックの口を広げる。布を引っ張り出しては無造作にグレコに手渡していく。

 緩衝材に使われていた布はどれもしわくちゃで、一枚、二枚とどんどん出てきて、五枚目になったところでステラは数えるのをやめた。

 そしてリュックから引っ張り出されたヴァイオリンは、分厚い立派なケースの中にあった。

 恭しくヴァイオリンを取り出したシドは肩に乗せ、弓で軽く音を確認する。

「よし、準備できたぜ」

 ワクワクしているステラに対して、グレコは大量の布に埋もれて表情すら見えなかった。


 シドが弾き始めた曲は、ちょうど踊り出したくなるものだった。シドは誘うように、弾きながら左右にゆっくりステップを踏む。我慢していたステラだったが、わだかまりは音の響きで解けていき、次第に心の赴くままに足を躍らせ、体を揺らす。

 メロディーは展開し、音も高くなっていく。高い音に身を任せ、曲の盛り上がりと共に身振りも大きくなる。そして、高ぶる気分のまま、くるくると旋回する。

 すると曲調が変わり、細かい音の連続になった。

 それは初めてヴァイオリンを聴いているステラにもわかるような超絶技巧で、ステラは体を止め、じっと聴き入る。

 どんどんテンポは早くなり、細かい音がまるで激流のようだ。シドも弾くことに集中しているのか、険しい顔をしている。さらに加速し続ける旋律に、ステラが「もう崩壊する!」と思ったところで、曲は終わった。

 風が草原を駆け抜ける。シドが息を整えていた。

「すごいすごい!」

 余韻から覚めたステラが、興奮そのまま無秩序に走り回る。

 遠くに行かないか見張りながら、

「なんでそんな難しい曲弾くんだよ。子供が知ってるような曲とか、街で人気だった曲を弾けばよかっただろ?」

「伯爵様の孫かもしれないだろ。音楽の真髄を早く聞かせてやりたかったんだ」

 グレコが感心していると、楽器をリュックに入れ、隙間に布を押し込みながら、

「それに、俺の音楽に惚れたなら、手懐けるのも簡単だろ」

 口では勝てないと諦めていたグレコだったが、さすがに何か言いたい気分だった。

「おーい、そろそろ出発するぞ~」

 シドがステラに声をかけると、散々走り回ってへばったステラは地面に転がっていた。仕方ないと、グレコはステラを回収して馬に乗せてやった。

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ステラ 鏡水たまり @n1811th

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