第3話

 シスター長にシュリンに行くことを知らせに行ったはずのステラは、一人、寝室にいた。

「なにが悪かったのかな……」

 ステラはついさっきのシスター長とのやりとりを思い出していた。


「シスター長!! 私、シュリンに行く~」

 ステラは元気よくシスター長にシュリンに行くことを告げた。シスター長は子供の戯言だと思い、始めは聞き流して取り合ってはいなかった。しかし、

「グレコさんもいいって言ってくれたもん」

 と、子供にありがちな誇張をしたステラの言葉を聞いて、シスター長の目つきが少し厳しいものになった。

「少し静かにしなさい。ステラ、グレコさんと少しお話ししてくるから、それまで部屋でおとなしくしてるのよ」

 強い口調で言われたステラは、自分が何か悪いことをしてしまったのかと自省しながら、すごすごと唯一の自分のスペースがある寝室へ向かった。


 ベットの上に腰掛け、手に持っていた読めない本を手持ち無沙汰に広げる。

 楽譜を読めないステラにとって、歌と聞いても、やっぱりどういうものなのか想像もできない。

「シスター長は怒ってそうだけど」

 やっぱり、この本の謎を解き明かしたい。どうしてもこの歌を聞きたい。そのためにはシュリンに行かないと……

 どうやらシュリンに行くことに反対しているシスター長と、相反するステラの気持ち。二進も三進もいかず、自分にはどうすることもできない状況は、幼いステラは抱え切れなかった。知らず知らずのうちに涙がこぼれ落ちる。

「泣いてもどうにもならないのに」

 分かってはいても、涙が出てくるという悪循環。

 しばらくすると、ステラは泣き疲れて、眠ってしまっていた。


「ステラ、シスター長がお呼びよ」

 シスターが呼びにきて、ステラを揺すり起こした。眠った覚えがないステラは自分が起こされることに疑問を持っているようで、寝ぼけ眼でぼんやりしていた。

「あらあら、目が腫れているわ、泣いていたの? ステラ?」

 泣いてたという言葉に反応して首を横に振る。

 それは嘘だということは誰が見ても分かることだったが、シスターはあえてそこには触れずに、再度優しく言った。

「ステラ、シスター長が呼んでるわ。食堂に行きましょう」

 ようやっと、ステラにもシスターの言葉が意味を持って聞こえてきた。ステラはおとなしく、シスターに連れられて食堂に行った。


 食堂の広々とした空間にはシスター長の他にグレコとシドも一緒にいた。

 三人を取り巻く空気が、今朝の様子と違っていることがわかったが、どういう風に違っているのかステラにはわからず、首を傾げた。

「ステラ、こっちにおいで」

 さっき話したときとは違い、いつもと同じか、それ以上に優しいシスター長の声につられて、ステラはシスター長の横の席に吸い寄せられるように座った。

「シドさんとグレコさんとお話しました」

 ステラはシスター長のその言葉に息を飲んだ。

「シュリンに行ってもいいですよ、ステラ」

 ステラは目を丸くした。シュリンに行くことは絶望的で、シスター長は決して許してくれないだろうと思っていたからだ。ステラは瞬時にグレコとシドの方を見た。二人とも、ステラを見つめて微笑んでいた。

「グレコさん! シドさん! ありがとう!」

 ステラはそのまま、外に飛び出し他のみんなにシュリンに行くことを伝えようとした。走り出そうとしたステラの服の背中をシスター長がおっとというように掴む。その様子にグレコは関心した様子を見せた。

「ステラ、シュリンに行くことは他のみんなには内緒です」

 シスター長が声を潜めてそう言った。

「なんで?」

「他の子もシュリンに行きたいと言い出すからですよ」

「え~でも……」

 ステラは納得していないようだった。嬉しいことはみんなと共有したいステラはシスター長の言い分に唇を尖らせた。

 一体どうやって、ステラに言い聞かせればいいのか、本当のことを伝えられないばかりにシスター長は頭を悩ませてしまった。

「ステラは特別なんだよ」

 内緒話をするように少し潜めた声で、シドがシスター長に助け舟を出した。

「俺たちも、ステラの持っている楽譜を聞きたいんだ」

 そう、シドが言葉を続けた。

「グレコさんとシドさんもあのお歌聞きたいの?」

 ステラは、よほどあの楽譜に興味を持たれるのが嬉しいのか、目をキラキラさせ、高ぶる気持ちを隠しきれないようだった。

「そうなんだ。あんなに立派な楽譜は見たことがないから、ぜひ聞いてみたいんだ」

「他の子はあんな楽譜持ってないだろ、ステラは特別なんだ」

 グレコが少しでも話に入ろうと、合いの手を入れた。

「でもステラは特別だからシュリンに行けるってなったら、他の子が自分は特別じゃないんだってしょんぼりしちゃうでしょ」

「だから他の子たちには内緒だ」

 グレコが人差し指を口元に当てて、しーっという風に締めくくった。

「それなら、しかたないね」

 ステラのその言葉に、シスター長はホッと胸をなでおろした。シドはシスター長に向き直って、

「急ですが、明日出立してもよろしいでしょうか? 一刻も早くお知らせしたいのです」

 と、シスター長に伺いを立てた。

「まだ夜までには時間も十分にあります。子供たち同士の別れの時間さえとっていただければ、いつ出発していただいても構いません」

 シスター長はそう、シドへ言いながらステラに向かって頷いた。ステラはいよいよ明日にはシュリンに行くことができると決まり、食堂中を駆け回りながら大はしゃぎしていた。

「それに首を長くして待っていらっしゃるでしょうからね」

 はしゃぐステラの声に紛れるようにしてそう続けたシスター長の声が、二人にも聞こえた。


 ステラの出立を知らせるため、いつもより早く夕食の時間とすることになった。まだ、遊んでいてもいい時間なのに食堂に呼び集められた子供たちは不満そうだったが、どこかいつもと違う様子を感じとった数人の子供たちは、そわそわし始めていた。

 ステラも自分の出立をみんなに伝えることに平常心ではいられず、グレコとシドとシスター長の間で目線を巡らしていた。


「今日は皆さんにお知らせがあります」

 いつもの祈りの前に、シスター長が話を切り出した。

「グレコさんが、偶然にもステラの本当の家族の情報を持っているかもしれないとおっしゃっています。なので、ステラは彼らと一緒に明日、旅立つことになりました」

 子供たちに説明するために作ったシナリオは、奇しくもステラには伝えていない本当の内容と同一のものになった。

 そのことは全く知らないステラだったが、事前に言われた通り、「私は特別。シュリンに行くことは内緒」と心の中で繰り返していた。

「ステラ、ほんとうの家族に会えるかもしれないの?」

「さみしいけど。よかったね、ステラ」

「うん」

 下手に言葉を返すこともできず、ステラはただ頷くにとどめた。

 自分のことのように喜んでくれる仲間たちに対して嘘をついている事に、引っかかりを覚えるステラだったが、形見の楽譜の曲を聞くためにシュリンに行くことは、結果親に関係することだから、全くの間違いでもないかと思い直した。

「もう、ステラに会えないかもしれないんだよね」

 ステラより三歳ほど年下の女の子が、涙を堪えながらそう言った。

 シスターたちも下手に励ますこともできず、重い沈黙が場に満ちた。

「会えないかもしれないけれど、みんなのことはずっと覚えているよ! でも、明日お見送りしてくれるともっと嬉しいな」

 ステラが別れにしんみりとする空気を吹き飛ばすように言った。

「じゃあ、明日お見送りする!」

 その女の子の声を呼び水に、他の子たちも「お見送りする!」という声が上がった。

「じゃあ、今日は早く寝ないといけませんね」

 そのシスター長の言葉で、夕食の場は解散ということになった。


 翌朝、日が昇ってすぐにステラたちは起こされた。

 それはいつもより少し早い時間だったが、みんなステラのために、閉じようとする目を必死で見開いて早起きをした。

 一人一人がステラに別れの言葉を、そしてステラもそれぞれに言葉を返した。

 最後にシスター長が

「どんなことがあっても、ここがあなたの戻ってくる家の一つであることを忘れないでね」

 と、ステラの頰に手を添えて言った。

 ステラは少し皺のあるシスター長の手のひらに頰を寄せ当て、「はい」と吐息を吐くように答えた。

 ほんのわずかな時間だったが、そのあたたかな体温は深くステラの記憶に刻まれた。

「名残惜しいですが、太陽は待ってくれません」

 シスター長はステラの背を、そっと押した。

「行こう、ステラ」

 本当はみんなとまだ別れを惜しみたいけれど、グレコの声に従い、ステラは馬に跨った。

 教会に背を向けたステラは、読めない本を力一杯胸に抱え込んで、顎を上げて前を向いた。

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