第2話

 トトトなんて可愛い音ではなく、ドタドタと体重と身長を感じさせる音をさせ、ステラがグレコのもとに走り寄ってきた。

 はあはあと少し息を切らせながら、手には一冊の本を持っていた。

「グレコさんこれよめる? 歌? 歌なの? どんな歌?」

 ステラに差し出された楽譜の表紙を見たグレコは、すぐにこれが自分たちが探していた手がかりだとわかった。はやる心を落ち着かせ、グレコはステラに一つの質問をした。

「ステラ、確か君の名前もステラだったな」

 グレコが表紙に書かれた『ステラ』という字を指でなぞりながらステラにそう尋ねた。

「そうだよ。グレコさん、それよりこの歌、さっきのふるーとで吹ける?」

 ステラは早くこの書かれている曲がどんなものか知りたいようで、急かすようにして言った。

 グレコは何でもない風を装って「あぁ、そうだったな」と呟きながら、本を広げ、楽譜を読んでいった。

「これは、オーケストラの楽譜だな。メロディなら吹けるが、完璧にこの曲を演奏することは俺一人では無理だ」

 グレコの答えを聞いたステラは、花が萎れるようにしゅんと項垂れてしまった。この読めない本だけが、唯一、彼女の親が残したものなのだ。せっかく、この読めない本が「がくふ」というものだと、歌のようなものだとわかったというのに。

「どうしたら、この歌ちゃんと聞けるの?」

 ステラはしょんぼりした声で、グレコにそう尋ねた。

「ちゃんとしたオーケストラがあるのは俺たちのいたシュリンくらいだ。もしシュリンに付いてきてくれるなら、きっとこの曲を聞かせてあげられるよ」

 それを聞いたステラは水を得た魚のように、シャンと背筋を伸ばして、

「行く!! 私、シュリンに行く!!」

 と、グレコに宣言し、「シスター長に知らせなきゃ~」と歌うように大きな声を張り上げて走り去って行った。

「ちょ、待って」

 グレコはステラを一旦止めようとした。シスター長にしてみれば、突然来た旅人に唆されて孤児院の子が首都に行きたいだなんて怪しすぎる。どうシスター長を説得しようか、これからシドと話をつけようと思っていだだけに、その準備もなくいきなりシスター長に話すなんて、どう弁解すればいいのか……

 事態の急展開についていけないグレコは、兎にも角にもシドに知らせければと、シュリンの話で盛り上がり、続きをせがむ子供たちをその場に残し、引っ張るようにシドを部屋に連れていった。


 部屋に入るなり、グレコはシドに事の次第を話した。ステラがシスター長にシュリンについて行くことを伝えに行ったところまで話し終えたグレコは、

「絶対怪しまれてる、どう説得すれば……」

 と、青息吐息だった。一方シドは、これぞ渡りに船だと思った。

「説得なんて、正直に経緯を話せばいいだけだろう。それに伯爵の書状もある」

「そ、そうだな。書状があった。あれさえあれば信頼してもらえるはず……」

 そう自分に言い聞かせるように呟いたところで、シスター長が部屋に訪ねて来た。

「ステラがあなた達と一緒にシュリンに行くと聞いたのですが、詳しく話していただけますね」

 と、鋭い目線で有無を言わさず二人に告げた。グレコはさっきの自信もたちまち萎びてしまい、再びあわあわしだした。


「話が長くなりそうなので、お茶でも飲みながらというのはいかがでしょうか?」

 シドが機転を利かし、一旦仕切り直しという事で三人は食堂で話をすることになった。

 シスター長が自ら淹れてくれたお茶をふうと冷まし、一口飲んで口を潤したところで、シドが話しだした。

「私たちはスペンサー伯爵家の使い者です。シスター長はスペンサー伯爵家をご存知ですか?」

「スペンサー伯爵というと、国内でも由緒正しい、あのスペンサー家ですよね」

 と、シスター長が返す。そう、スペンサー家とはこんな国の末端でも知識人なら知っているほどの知名度だった。これがシュリンの街中となると、その名を知らないものは首都中探しても誰もいないだろうというほどだ。

「私たちはスペンサー伯爵の一人娘、エレノア様の行方を探していたのです」

 そうグレコが合いの手を挟み、続けてシドが経緯を説明する。

「エレノア様は十五年前に身分違いの恋により、お相手の方との結婚を許さなかった伯爵との間で揉めておりました。それが原因で出奔なさったと噂されているのはご存知ですか?」

「いえ、そこまでは存じ上げませんでした」

 シスター長は初めて聞く貴族のゴシップに驚くとともに、少しの好奇心が透け出すのを抑えきれていなかった。

「そもそも、世間で噂されているように伯爵様が一方的に縁を切ったのではないのです。その頃ちょうど王宮で陰謀があり、伯爵様に濡れ衣を着せようという動きがありました。それを察した伯爵様がエレノア様を逃がそうと理由を探していたところ、折良く平民と結婚したいというエレノア様のお申し出があり、伯爵様はこれ幸いにとシュリンからエレノア様とお相手を逃したのです」

 シスター長は物語のようなストーリーと、シドの話術に徐々に引き込まれていた。シドは物語を読み上げるように抑揚をつけて話を続けた。

「その後、黒幕は捕らえられ事件は収束しました。危険がなくなったことをエレノア様に連絡して、お相手と共にご実家に帰って来てもらおうと知らせを持って行ったのですが、時を同じくして、エレノア様は移動中に賊に襲われてしまいました」

 シスター長は息を飲んだ。

「それで、お二人はどうなってしまったのですか?」

「エレノア様とお相手のその後の行方は終ぞ知れず」

 シドは一旦続きを話すことをやめた。グレコも沈黙し、二人の沈み込む様はエレノアとお相手が亡くなっているだろうことを暗示していた。それを察したシスター長も、今にも涙を流そうかという表情になっていた。

 シドは充分な間をとったと理解して、話の続きを再開した。

「それから今まで、あてもなくエレノア様に関する情報を集めていました。しかし、最近ようやっとエレノア様が伯爵様に宛てた手紙が見つかりました。おそらく襲われる直前のものでしょう。そこには、もうすぐ子供が生まれるとのこと、身籠っている時にこの子の未来を思い描いて新しく曲を書いたこと、その題は子供の名前と同じステラにするという内容でした」

「エレノア様は淑女の嗜みとして音楽ももちろん習ってなさったのですが、思いがけず才能が開花して、趣味で作曲なさっていました。作られた曲はどれも素晴らしいものだったのです」

 グレコは口を挟まずにはいられないといった様子で、補足説明をした。

「ですから、ステラはほぼ間違いなく伯爵様のお孫様であると、私たちは考えております」

 シドはキリッと言い切った。

「それを確かめるためにも、ステラにはシュリンに来ていただき是非一度伯爵様に会っていただきたいのです。もちろん、ステラが持っている楽譜も伯爵様にお見せして確かめていただかなくてはなりません」

 シドは少し温くなった紅茶を一口、口に含み、グレコの方に視線を向けながら、

「幸運なことにステラはシュリンに興味を持っているとグレコから聞きました。まぁシュリンというより持っている楽譜の曲を聞きたがっているようなのですが」

 そうして、伺うようにシスター長に向けて首を傾げた。

 シスター長はしばしの間思案していたが、迷う心境を隠せない様子で口を開いた。

「ですが、唐突すぎて、私には……信用しようにも何を根拠にすればよいのやら」

 シドが「おっと」というのと共に、グレコがすぐさま書類を出そうと焦りのあまり逆に手こずっている。

「これが伯爵様から預かってきている書状です。スペンサー伯爵家の紋章と伯爵様のサインが入っております。白紙のものですので、ここに私たちが貴方との約束を遵守するということを書き加えましょう」

 グレコが奥にしまっていた書類をようやっと出したところで、シドがそうシスター長に提案した。

 この国では、貴族の紋章を偽ることは重罪だ。だから、このような大事な書状を使いの者とはいえ、どこから見ても旅人のようにしか見えず、護衛も十分ではない者に持たせるのは尋常ではない。シスター長も伯爵がいかになりふり構わず手掛かりを探しているのかがわかった。

 シスター長は一度深く息をして、自身を落ち着かせてから質問した。

「ステラにはスペンサー伯爵の孫である可能性は伝えているのですか」

 シドは少し驚いたが、それを噯にも出さず淀みなく質問に答えた。

「いいえ、混乱するかと思いまだ伝えておりません」

「あぁ、ご配慮いただきありがとうございます。どうか、伯爵様がステラのことを本当にご自身のお孫様だと確信が持てるまでは、このことはステラには伏せておいてください」

 シドは自身の頭の中で素早く計算した。そして出た答えを疑うかのように、恐る恐るシスター長に尋ねた。

「ということは、シュリンに向かうことに同意いただけると?」

 シスター長は、ゆっくり一度頷いた。

「ですが、万が一ステラが伯爵様の娘の子でなかったら、ステラを再びここに連れ帰って来ることをお約束ください」

「ええ、その事項も書状に書き加えましょう」

 三人はペンとインクを取り合い、最後に、シスター長が自身のサインを書き加え筆を置いた。

「決して約束は違いません。この書状に誓って」

 シドが漏らした呟きは厳かな響きとなって、三人のいる食堂は、まるでシュリンの大聖堂のような神聖な空気を漂わせた。

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