ステラ

鏡水たまり

第1話

 まだ日が昇って間もない時間、人一倍目覚めるのが早いステラは今日も大部屋で寝起きしている誰よりも早くに目が覚めた。ひとつ伸びをした後、枕元の小さなサイドチェストタンス一つ分という、大部屋で寝起きしている彼女に許された小さなスペースの一番上に仕舞われている本を取り出す。

 まだ朝日が差し込むほど太陽は昇っておらず、薄明るい部屋の中でステラは自身と同じ名前がつけられた本の題名をなぞる。そして適当なページを開き一通り目を通した後、最後のページまでペラペラとめくる。そうして裏表紙までくると、本を閉じてまた引き出しに戻した。

 それが彼女の朝のルーティーンだった。


 まだ他の子供たちが寝静まる大部屋を出て、ステラは一人、食堂に降りて行く。シスターたちはいつものように、朝食の用意をしていた。しかし、今日はいつもと違ってどこか慌ただしい。

「どうしたの?」

「昨日夜遅くに旅人さんが二人来てね、この教会に泊まっているのよ」

「旅人さん!!」

 ステラは目をキラキラさせて、シスターを見つめた。都会から遠く離れた村、自然が豊かとはいうものの、近くには渓谷と森しかない。そんなこの村に訪れる人は、ほとんどいない。だからたまに現れる旅人は、この村の人たちにとって歓迎すべきものだった。

 この村ではない、遠い旅先の話を面白おかしく聞かせることは、物珍しい娯楽として子供達だけでなく大人にも大人気であった。

「今度の旅人さんはどんな話をしてくれるのかな」

 ステラは高まる期待を抑えきれずに、ぴょんぴょん飛び跳ねた。

「ステラ! 今日はお手伝いしてくれないの? 朝ごはん遅くなっちゃうよ」

 シスター長が歓喜の舞をしているステラに呼びかけると、彼女も日課のお手伝いを思い出したのか「ごめんなさーい」と元気に謝り、テーブルに食事を並べるのを手伝い始めた。


「あの人たちだれ?」

「えー、エミーまだ知らないの? 旅人さんだよ」

「今日は楽しい話が聞けるぞ」


「静かにしましょう」

 シスター長がそう声をかけると子供達は一斉におしゃべりをやめた。シスター長はそんな子供達をにこやかに見回し、ひとつ頷く。

「今日は、お客様がいらしています。昨日の夜遅くにこの村にやってきた旅人のグレコさんとシドさんです。みなさん聞きたいことがたくさんあるかと思いますが、まずは朝食をすませてしまいましょうね」

 そうしてシスター長は胸の前で手を組み祈りの言葉を捧げる。

「今日の恵みに感謝を」

『今日の恵みに感謝を』

 続けて全員で祈りの言葉を捧げる。食事に集中する子供たちがいる一方で、ステラを含め数人はやはり旅人が気になるようで、ちらちらと様子を伺う。数度目に旅人に目線を向けたとき、まるで音がするようにステラは旅人と目があった気がした。ステラはじっと見つめすぎたかなと少し気まずく思い、朝食に集中することにした。

 だからステラが朝食を食べ始めた後に、旅人たちが彼女をじっと食い入るように見つめていることに、ステラは気づかなかった。


 食事を終え、後片付けもちゃんと手伝った子供達は、待ちきれないというふうに、グレコとシドの元へ押しかけた。

「ねぇねぇ旅人さん。お話して」

「旅人さんじゃなくて、グレコさんとシドさんだよ」

「ねぇねぇ、おじさんたちうみって知ってる? ぼくうみの話が聞きたい」

 グレコとシドは初めてのことにあたふたしていた。それもそのはず、この二人、体格も大きければ背も高い。グレコは強面で熊のようであったし、シドは四白眼だった。子供なんて寄ってきたことも無ければ、十中八九、目があっただけで泣かれる。

 そんな二人の容貌や体つきよりも、教会の子供達にとっては旅人の話すこれまでの旅物語は面白い娯楽の一つであったのだ。

「はいはい、そこまで。グレコさんもシドさんもお仕事でこの村にきたんだよ。お話は二人のお仕事が終わってからね」

 見かねたシスターが助け舟を出した。子供達はぶーぶーと文句を言いながらも、シスターに促され外へ遊びに行ってしまった。


 先を競うように外に走り出した子供たちに釣られるようにステラも走り出した。そんなステラを、厳つい男たちは獲物を見つけた肉食獣のような目つきで見つめていた。

「もしかして、あの子なのか?」

「そうなら、屋敷に連れて帰らなければ」

 そう呟きを漏らすと、男たちはこれからどうしたら目的を果たせるか、算段を立てるためにヒソヒソ相談し始めた。


 日が天辺に届いた頃、教会の鐘の音が村に鳴る。同時に、あちらこちらへ散らばっていた子供たちが吸い込まれるように食堂に集まってきた。

 朝と同じように、祈りを捧げてから食べ始める。みんないつも通りを装っているが、チラチラと旅人たちを見つめる。

「お仕事終わったかな?」

「そんなにすぐは終わらないよ」

「おはなしまだかな、まだかな」

 そんな小さな囁き声が、男たちにも聞こえてきていた。

 空になった皿を前にしても、子供たちはまだ席に座ったままだった。シスターが声をかけ子供たちを散らす前に、シドが

「お仕事終わったから、旅のお話をしてあげよう」

 と、猫なで声で子供たちに呼びかけた。その様子を横で見ていたグレコは眉を顰めて身震いした。

「やったー」と叫んだり、飛び跳ねたり、走り回ったりする子供たちをすぐさまシスターが嗜め、まずは昼食の片付けを終えてからということになった。


「じゃあ、まずは俺たちが来た街のことから話そうか」

 そう、シドは子供たちに語り始めた。

 彼らの話は子供たちにとってとても魅力的だった。何しろ彼らはこの国の首都であるシュリンから来たのだ。首都からわざわざこんな田舎の村に来た旅人はこれまでいなかったので、子供たちは彼らの話からまだ見ぬこの国一番の都市を思い思いに想像していた。

「そうだ、このグレコはフルートがそこそこ上手いんだ。グレコ、お前子供たちにシュリンで流行りの歌でも吹いてやれよ」

 自然な流れでシドはグレコにフルートを吹いてみせるように促した。グレコはあまり乗り気出ない風に装いながら、荷物の中から黒い箱を取り出した。

 シュリンからの旅人の荷物、しかも聞いたこともない「ふるーと」というものに、子供たちは身を乗り出してその黒い箱が開かれていくのを見つめた。そこに入っていたのは三本の煌めく銀色の棒だった。そのうちの一つを取り出しグレコが息を拭き入れると、ふーという高い音が鳴った。

「わーすごい!」

「風の音みたい」

「ちがうよ、とりさんだよ」

 子供たちは初めて聞いた音色に大はしゃぎをしていた。それを優しい目で眺めながら、グレコは流れるような手つきで三つの棒を一本の横笛に組み立てた。グレコが艶やかに光を反射している横笛を唇に当てて構えると、それまで大はしゃぎしていた子供たちは一斉に静かになり、フルートの奏でる音を聞き逃さないように聞き入る体制になった。


 最後の一音を吹き終わったグレコが、そっと楽器を唇から離す。それを見届けた子供たちは、堰を切ったように歓声をあげる。最早、言葉にならないようで、わーきゃー歓声をあげ自分たちの感動を伝えている。

「どうだった?」

 シドがそばにいた一人の子供に問いかけた。声をかけた子供はシドの計画通りステラだったのだが、まだ音の余韻に浸っているようで半開きになったまま口のまま

「シュリンには、こんなすごいものがたくさんあるの?」

 と、目を煌めかせてシドに聞いた。シドはステラの興味を惹くことができたことに内心ニンマリしながらシュリンがいかに魅力的なところか話して聞かせようとした。

「ほかには、ほかにもお話きかせて!!」

 しかし、他の子供が話に割り込んできた。その子の要求もまたシュリンの面白い話を聞きたいということだったので、

「そうだね、次は今シュリンで人気の食べ物の話をしよう。タピオカといってね、雑草芋を元に作ってるんだよ」

 と、シドは続けた。

「うそ! 雑草芋は食べれないよ」

「そうだよ! 毒があるんだよ!」

「それが細かくしてお湯で一日煮ると、毒がなくなることがわかってね」

「え~雑草芋食べれるの?」

「食べれるけど、そのままは食べれないからね」

 タピオカの話題で盛り上がるシドと子供たちの輪から出て、ステラはフルートをじっと眺めた。グレコはそんなステラの様子をうかがいながら、ステラに手招きをした。ゆらゆらと夢遊病患者のように近寄ってきたステラは、グレコの膝の上で広げられているものを見て飛び上がるようにして指をさした。

「あ!」

 それは自分が持っている、あの読めない本と同じものだった。

「ね、ねぇ。それなに?なんで持ってるの?」

「あ、あぁ、これは楽譜といってさっきの歌のようなものが書かれているんだよ」

 ステラは口の中で「がくふ」とその言葉を転がした。

「歌なの……グレコさんはこれが読めるの?」

「ああ、俺はフルートで食ってるから。もちろん読める」

 その言葉を聞いて、「読めるのー!!!」と叫びながらステラは走り去って行った。長く伸ばされた「のー!!!」が遠ざかっていくのを聞きながら、グレコは思わずシドを見た。子供たちを相手にしながらもステラとグレコの様子を伺っていたシドも、突拍子もないステラの行動にポカンとしてしまい、今まで何を子供たちと話していたのかを忘れてしまった。

 どうすることもできない二人は、しばしお互いに見つめあったまま微動だにせず、それは痺れを切らした子供たちがシドに話の続きをねだるまで続いた。

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