葉桜の君に(和歌章題追加)

佐倉奈津(蜜柑桜)

序〜世の中に たえて桜の なかりせば 春の心は のどけからまし

 ほんの数ヶ月前の肌を刺す凍った空気とは違う、柔らかな風が頬を撫でた。

 日差しにぬくめられたベンチに座ってスカートの膝の上に開いた黄ばんだ本のページに、乳白色の花びらがはらりと落ちる。

 文字を隠したその小さな一片をそっと押さえて顔を上げる。水辺に向かって伸びる枝が、ほんのり紅に染まる花々を重そうに揺らし、雪のように降る花片の間を、子供達がはしゃぎ声をあげて駆け回る。

 ポケットからスマートフォンを取り出して、写真アプリを起動する。水鏡に映って色を変えた桜の木と、その向こうの池端を濃いピンク色で埋める木々。そしてその上に頭を出した、ホース・ガーズとロンドン・アイ。


 日本よりも青の濃い天色の空には、雲一つない。


 眩しさに眼をつぶれば、それは瞼の裏に、いまでも鮮やかに蘇る。

 ここの桜は、日本あそこの桜とこんなにも違う。それでも桜は、やはりこんなにも美しい。


 目の前の光景が画面の中に切り取られたのを確認すると、指を滑らし、メール画面を呼び出した。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る