5
「と、いうことがあったんです」
次の日、お薬相談室で先輩に昨日の件について話した。先輩は椅子のうえでのんびりとあぐらをかき、椅子を後ろに傾けている。
「ほう、それは興味深いね。小生もクランベリーのことについては遠い記憶の彼方にうっすらとあるくらいだったなあ」
「先輩はなんでも知ってますね」
「なんでもは知らないさ」
「どう思います?」
「まあ貴嬢の言うように、クランベリージュースを飲むのをやめたらとりあえずは改善方向には向かうであろう」
「良かった」
「しかしだ」
「事の本質はそこではないのではなかろうか」
先輩が神妙な面持ちでつぶやくように言った。
本質?
「と、いいますと?」
「貴嬢は、患者の息子がクランベリーを持ち込んだと言ったね。以前のセントジョーンズワートもそうだった」
「そうです。患者のことを心配して色々良さそうなものを勧めているみたいです」
「果たして、それは本当にそうだろうか」
本当にそうとは。先輩は何を言っているのだろう。
「以前、その患者さんの息子は大学を卒業してハルツに就職していると言ったね」
「その息子は、薬剤師なのではないだろうか」
薬剤師……たしかに、無意識に経営側の人なのかと思っていたがその可能性もある。「試験に受かって」とは入社試験のことではなく薬剤師国家試験のことだったのかもしれない。
「ここで浮かぶ疑問は」
「なぜ、薬剤師が併用に問題のあるものばかり勧めていたのか、ですね」
「そうだ、明らかにおかしい。どうしてだろう。このことから何が考えられるだろうか」
なぜか。なぜだろう。イスの上でいつも考えるときにする瞑想のポーズをとった。周囲が徐々に暗くなり、まわりの音が聞こえなくなってくる。
眼前に文字が浮かび、空中に並んでいった。
まず考えられる理由の一つとして、単純に知らなかっただけ、という可能性が挙げられる。純粋に母を想ってのこと。これが理由であれば全てが丸く収まる。クランベリーとワルファリンの相互作用などは私も知らなかった。
ただ……
「セントジョーンズワートを知らない薬剤師はいない」
浮かんだ文字が紅く点滅している。これは誇張ではなく100パーセントと言い切ることができる。経験年数が多い薬剤師より、むしろ大学を卒業したての薬剤師のほうが、国家試験の知識も抜け落ちておらず詳しいだろう。本当に知らなかったとすればそれは薬剤師ではない。薬剤師の形をしたなにかだ。
そのセントジョーンズワートをいくら効果があるとはいえ薬の服用錠数が多い人、併用に問題のある薬が多い人、しかも親に薬剤師が勧めるだろうか。
「母の飲んでいる薬を知らなかった」
これはある程度納得できる。私も自分の親の飲んでいる薬は知らない。しかし、私なら、薬剤師なら、なにか飲み合わせの悪い薬を服用している可能性を考慮して勧めない、または知らずともセントジョーンズワートを勧める場合には最低限、併用薬は確認するだろう。
では、飲んでいる薬を知っていたとして、他の可能性はなんだろう。
わずかに目をあけて先輩の方を見た。あぐらをかきながら目を閉じている。
考えられる理由。「憎悪」という文字が鈍く光っている。あまり考えたくはないが、母に憎悪やそれに準ずる念を抱いており、表立たない方法で悪影響を与えようと、最悪殺そうとした、とか。
「何回か二人でいるところに会っているだろう。そんな感じはあったかね?」
心の中で先輩が尋ねてきた。胡座をかいて、ぷかぷかと宙に浮かんでいる。
いや、たしかに口数は少なかったが、親子関係に問題があるようには見えなかった。ただ、上辺だけでの判断なのでそれが正しいのかどうかはわからない。
「人を上辺だけで判断するのは愚かな行為である」と先輩はよく言っている。親殺しのニュースもニュースで見ることがたまにあるし、息子さんが心の底でどう思っているのかは到底推測できない。悲しいがこれは可能性が少なからずありそうな気がする。
ほかには? それだけだろうか。子供のころ好きだったミステリードラマの探偵はこれでもかと仮説を立ててはそれを次々と棄却していた。
仮説、仮説。
飲み合わせが悪いのは知っていたけどついうっかりしていたとか。これはあるかも。一年目だし。これだったらどうしようもない。
「それはたしかにどうしようもないなあ。ほかには?」
まだあるだろうか。
ええと……かなりの苦し紛れだが、殺人鬼の悪霊が息子に取り憑いて母親を殺そうとしたとか?
「なるほど、いまお盆だしなあ。それもあるかもしれん。ただ、それなら飲み合わせが悪い薬を飲ませるという回りくどい方法ではなく、一気にグサッと刺せば良いだけなのではなかろうか」
冷静につっこまれた。
あとは……息子がマッドサイエンティスト気質を持っており、国家試験で学んだ薬の併用について実際に人体で試してみたとか。
「なるほど、セントジョーンズワートとの併用でエスゾピクロンの効果が減弱するって学んだけど本当なのかなと思い実践した。まんまと被験者は眠られなくなり実験は成功。次なる実験としてワルファリンと果物との併用を思いついたと。一理あるかもしれないなあ。マッドサイエンティストは怖いなあ」
これも苦し紛れだったが意外と認められた。
こんなところだろうか。
瞑想の姿勢を解除した。頭上に浮かんでいた仮説が頭の中にスッと収束していき、辺りは徐々に本来の明るさを取り戻していった。頭がスッキリしている感じがする。先輩も目を開いていた。
「どちらにせよ、息子には問い詰めねばいけないかもなあ」
先輩が呟いた。息子さんは職場の昼休みに来ているのか、毎日ではないがいつも十二時頃に来ることが多い。今何時だろう、そう思い腕時計を見ると、ちょうど十二時であった。いつの間にこんなに時間が経っていたのか。息子さんはいつも十分くらい滞在してすぐに帰ってしまうことが多い。
すぐ行かねば。ぼんやりしているとまた飲み合わせの悪いものを食べさせてしまうかもしれない。その前に問い詰めねば。事は一刻を争う。早く行かねば帰ってしまう
「先輩、私行きますね!」
「おっ、おう、頑張ってなあ」
先輩は何か言いたげな表情を浮かべていたが、すでにお薬相談室を出てしまっていたのでそのまま駆け出した。
すぐにエレベータ前に着いたが、平日のお昼時とあってお見舞いの人が多く集まっている。そして各階で止まっているのか全然エレベータが降りてこない。
時間が惜しい。非常階段へ向かって走り出した。
非常階段はやけに急であり、息がきれる。たくさん登ったと思ったがまだ三階だ。カンカン、という足音がやけに大きく響く。ひたすらに階段を駆け上ってようやく六階に辿り着き、息を切らしながら扉に手を掛けた。ギイ、と重い音が鳴り扉が開く。
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