その4

 時刻は午後7時を過ぎていた。

 あの『宣言』が出されて以降、都内はどこの酒場も午後9時半までしか営業が出来ない。

 いや、『営業してはいけない』という訳でもないんだが、元来日本人は『要請』って言葉に弱いからな。


 事実上の『禁止』みたいなものだろう。

 眠らない町が聞いて呆れる。


 半分ブラインドの降りたウィンドウからは、薄く灯りが漏れていた。


 という事はまだ営業はしているんだろうが、恐らく客など入ってはいまい。


 俺は車を降りて(勿論自分で運転をしてきたんじゃない。いつものようにジョージに任せたんだ)、重そうなドアを押す。


 店の中には音楽が流れていた。


 シャンソンである。


 題名は知らない。


 物悲しい、男女の別れを歌った曲のようだ。


 客はいなかった。


 カウンターの奥に女主人、そしてモップで床を一新に磨いているのは、あの若い男だった。


『いらっしゃいませ・・・・と言いたいところだけど、そろそろ看板にしようと思っていたんですよ。』


 煙草を咥えたまま、物憂げな口調で女が言う。


 俺は構わず、カウンターの一番端に腰かけ、腕時計を眺めた。


『7時は過ぎてるな。だったら酒は出して貰えるんだろう。バーボン』


 俺が言うと、


 彼女は、灰皿に煙草を押し付け、ボトルを取り出して注ぎ、俺の前に置いた。


『それを空けたら帰って頂戴ね?』


『悪いがそういう訳にも行かないんでね』


 俺はグラスに口をつけ、半分ほど飲んだ。


『営業妨害よ。こっちは都の要請に従ってるだけじゃない』


『俺の顔を覚えていないか?』


 残り半分を呑み干し、俺はポケットから認可証とバッジを出してみせた。


『この間の探偵だよ。小泉早苗さん。』


 後ろにいた少年が動く気配を感じとった。

 

 俺は椅子を蹴って床に転げ、拳銃を抜き、身体を翻させる。


 振り返った俺の銃口から細い煙が立ち上っていた。

 


 すぐ後ろのあの少年、つまり戸川涼太が、腕から血を流して唇を震わせていた。

 彼の足元には、コルトのオート.32が転がっている。


『ガキにこんな拳銃どうぐを持たせるなんて、随分仕込んだものだと言いたいところだが、あまりいい趣味とは言えんな』


『あんた、何者よ?』


『同じことをいわせるなよ。ただの探偵だ』


 床に落ちた認可証のホルダー、そして拳銃をしまい、代わりに携帯を出して合図を送った。


 待つほどもなく、影が二つ店の中に入って来た。


 戸川俊一・澄子の夫妻だ。


『涼ちゃん・・・・』


『涼太!』


 二人がほぼ同時に叫ぶように言い、少年の側に駆け寄ろうとする。


 だが、少年は顔を背けたまま、腕を抑え、後ろに退いた。


『俺の依頼人だよ。息子さんを探してくれってね。ついでと言っちゃ何だが、君のことも調べさせてもらったよ。小泉早苗さん』


 彼女は鋭い目で俺達の方を睨みつけたまま、カウンターを回り込んで、こっちへ出てきた。


『私の事覚えてる?』早苗は手に持っていたラッキーストライクのボックスから無造作に一本抜き出して火を点け、俊一と澄子の方を見る。

 氷のような、鋭い視線だった。


 だが、二人とも何を言われたかまるで理解出来ない、と言ったような表情を浮かべただけだった。


『・・・・そうよね。あんた達には、あたしはその程度の存在でしかないのよね。特にには』


 煙と共に出たその言葉には、鋭いとげが含まれているようだった。

”お母さん”と言う言葉が出た瞬間、澄子があっと小声で叫び、口を押さえる。




 


 


 

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