Chap.10-3
「停電だよ。梅雨の頃にブレーカーが落ちたことがあっただろ? 立て続けに二回」
「あ、うん。覚えてる。だってその時に、初めて事故物件の話をしたんだもん。幽霊の仕業じゃないかって」
「あの時、おかしなことがあったんだ」
「おかしいと言えば、全部おかしかったけどさ。でも原因は、リリコ姐さんのズボラのせいだったじゃん? 床が濡れてたのは、お風呂からびしょびしょの足で出て来たからだったし」
「説明のつかないことが、二つあったんだ。ひとつ目は、最初のブレーカーが落ちた原因」
「あれは、エアコンと電子レンジを同時に使ったからだよね?」
「リリコさんのドライヤーもだよ。プロ仕様で消費電力が高いやつ。エアコンと電子レンジだけではブレーカーは落ちない。そうですよね?」
目を向けると、リリコさんは肯いた。
「でもあのとき、洗面所には誰もいなかったんです。ブレーカーを上げるために玄関へ向かったとき、確認をしました。あの時、僕らは全員リビングにいました。ドライヤーにタイマー機能でも付いていない限り、急に動き出すのは不自然でした。もうひとつは、ユウキが洗面所の鏡に映っているのを見たという短髪ひげの幽霊です」
「あれはユウキの見間違えじゃなかったかしら?」
「普通ならそう考えます。でもあのとき、ドライヤーの電源をオンにした僕ら四人以外の誰かがいたんだとしたら?」
「ぼくたち以外に誰がいたって言うの? あの日は今日みたいに寺井さんも来なかったし、そもそもお客さんが来るような時間じゃなかったよ。夜けっこう遅かったじゃん」
「もちろん、僕ら以外の部外者があのタイミングでこの部屋の中にいる可能性は低いよ。マンションの入口にはセキュリティがあるし、玄関には鍵もかかっていたからね。逆に、誰かがいたと仮定すると、その可能性のある人物はひとりしかいない」
皆の視線がタカさんに集まる。
「え、で、でも、タカさんは確かあの日、ぼくらがタカさんの部屋で話をしているときに帰って来たんじゃなかったっけ?」
「タカさんが実は、どこにも出かけてなかったとしたらどうかな」
僕の言葉にユウキがキョトンとした顔になる。
「タカさんは、あの日、お店へ出勤するフリをして、自分の部屋に潜んでいたんです。ルームシェアをしている同居人の部屋を留守中に覗く人はいない。他のルームメイトの目もありますからね。そして、そっと部屋から出て来て、停電させるタイミングを見計らっていた。エアコンと電子レンジが同時に使われたのを確認して、洗面所のドライヤーをオンにしたんです。確実にブレーカーを落とすために。最初に停電させた時には、一旦自分の部屋へ戻ったのでしょう。二回目の停電は、直にブレーカーを落としたんだと思います。僕らをビックリさせるために行動が大胆になった。しかし、自分の部屋に戻る機会を逃して、風呂場に潜んだんです。ユウキが見た洗面所の鏡に映った姿は、風呂場に隠れていたタカさんの姿じゃなかったのかな。そして、僕らがタカさんの部屋に入った隙をついて玄関に移動。鍵をあける物音を立て、帰って来たように装い、ブレーカーを上げたんです。そうじゃないですか? タカさん」
「いったい、何のためにタカさんがそんなことをするの? だいたい、綱渡り過ぎるよ。そんなの見つかってバレちゃうリスクが高いと思うんだけど」
「そう、そんなことをタカさんがする理由なんてないので、その可能性について考えが及ばなかった。あの日、タカさんのお店が臨時休業だったかどうかはわからない。でも調べようと思えば……」
「もし、途中でバレてしまったら、悪い冗談で済まそうと思った」
タカさんの声にユウキがビクッと肩を震わす。口を開いたタカさんは僕らの誰とも目を合わそうとせず、ただ天井の片隅へ目を向けたまま先を続けた。
「肝試し風のイタズラだった。バレてしまったら、そうみんなに言えばいい」
そんなことあるわけないだろう……タカさんがそう言ってくれるのではなかと、少しだけ期待をしていた。淡い願いを振り払う。
「理由は、マサヤさんですね?」
「え? 誰それ」
「タカさんの恋人だよ。この部屋で亡くなったのは、昔タカさんが同棲をしていた人だった」
ユウキに説明をしてやる。
「一平、あんた何がしたいの? ちょっと意外よね。一平に限って、こんなみんなの前で暴くようなことする子じゃないと思ってたけど」
「だって、このままでいいわけないです。リリコさんだってそれが心配だから、全て承知のうえで一緒に暮らしているんじゃないんですか?」
リリコさんが黙る。
僕はいったいどうしたらいいのか。この間、みんなで虹の話をしていた時に、僕はこの事実に気がついてしまった。廊下から見えるレインボーカラーのハブラシ。洗面所の鏡に映ったという幽霊の姿。鏡の前のハブラシの色彩は風呂場からもよく見える。ならば逆もまた、鏡に映るのではないかと。脱衣所のアコーディオンカーテンが開いていれば、はっきり映らなくても、風呂場の戸口に立つ人影が、廊下から鏡越しに見えてもおかしくはない。
「まだ、あいつがこの部屋にいるような気がしていた」
タカさんは宙に何かを見ているようだった。雨宿りのときと同じだ。現実を写さない瞳は、暗く沈んだ色をしている。
「ふと気がつくとあいつのいない日常に慣れて、いないことが当たり前になっていく。どんどん忘れてしまうことが不安だった。霊現象でも何でもいい。あいつがまだこの部屋にいるのだと誰かに知らせたかった」
「それでぼくらを脅かすようなことしたの? タカさん……それ、普通じゃないよ」
ユウキの声が震える。
「普通じゃないって、自分でもそう思ったよ。もう二度としないつもりだった。だから、事故物件の話を蒸し返さないように、雑誌を隠したんだ。悪い冗談だったと自分でもそう思いたかった」
リリコさんがため息をついた。
「違うわ。もう誤魔化さないでちょうだい。悪い冗談にしようとして、マサヤのことを忘れようとした自分をまた責めて。タカ、あんた同じことを繰り返してるんじゃない? この部屋が事故物件であることを隠しながら、一方で、発作的な自作自演を繰り返して来たんじゃないの?」
僕の前にこの部屋でルームシェアをしていた人。その人が出て行ったのも同じ理由ではなかったのか、タカさんの奇妙な行動に気がついたのではないか。リリコさんはそうタカさんに詰め寄った。皆に気をつかわせるので、理由は言えないと出て行った以前の同居人。ユウキやチャビも思い当たることがあるのか、おどおどと視線を泳がせた。
「そうなのか、ユウキ?」
「ぼ、ぼくはあまり前の人と一緒に暮らしてないからよくわかんないよ。ぼくが来た後に、すぐ出て行っちゃったからその人」
この部屋が事故物件であること。そして、幽霊が出るという噂。何人も退居しているというのも尾ひれはついているかもしれないが、タカさんの自作自演が発端だったのかもしれない。
「少しずつタカちゃんが前向きになってくれればいいと思ったんだ。無理にこの部屋から立ち退かせるわけにもいかなかった。ルームシェアをしたらどうだと提案したのは私なんだ。だが間違っていたのかもしれない」
寺井さんがつぶやく。
「寺井さんは間違ってなんかないわ。友人を心配したことに、正解や不正解なんてないもの。寺井さんが悪いのなら、あたしだって同罪よ」
もしかしたら、最近リリコさんが寺井さんにちょくちょく会っていたのは、タカさんのことを相談していたのだろうか。
「ねえ、タカ。そろそろ、マサヤのことを許してあげてちょうだい」
「許す?」
タカさんが場にそぐわない上ずれした声を上げた。
「リリコ、それはどういう意味だ? マサヤに許してもらわないといけないのは、俺の方だろ? マサヤをこの部屋でひとりっきりのまま死なせてしまった責任は俺にある」
「そうやってすぐ自分のせいにして。店のことでも何でもそうよ。タカがそういう言い方をする度に、あたしたちがどういう気持ちになっているか考えたことある? タカはいつだって周囲を遠ざけて、現実から目をそらして、あたしたちの声は何も届かない。マサヤが死んでからずっと。逃げてるだけじゃない」
タカさんの顔色が変わる。あっと思う間にリリコさんに詰め寄って、その胸ぐらを掴んでいた。リリコさんは負けじと胸を張って、ただ真っ直ぐタカさんを見つめた。
数秒、緊張の糸が途切れる。
「すまない……ちょっとひとりにさせてくれ」
「タカちゃん」
寺井さんの呼び止める声にも振り向かず、タカさんはリビングから出て行ってしまった。リリコさんは力尽きたようにその場に座り込んでしまった。
黙ったままだったチャビがボソリと言う。
「しょうがないよ。言いたくないことは、誰にだってあるもん」
胸の奥に罪悪感が広がった。
みんなの生活が壊れてしまう。今まで上手くいっていたはずのルームシェア生活。でもそうするしかなかった。このままタカさんが同じことを繰り返してしまったら、もっとどんどん悪い方に行ってしまう。みんなに打ち明けるしかなかった。
繰り返す自分自身への言い訳に合わせて、壁掛け時計の秒針の音が妙に大きく耳に届いた。
第10話 完
第11話「見知らぬ男」へ続く
虹を見にいこう 第10話「容疑者X」 なか @nakaba995
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