第113話 一瞬の隙

「ッ……、意識が……!」


 上半身を起こす。自分が昏倒していた状況に目覚めてから気付く。吹き飛ばされるのはもう何度目か、ダメージは着実に蓄積していった。激しい戦いで血を消耗し、動きもかなり鈍化している。限界が近いことを痛感して数刻、ついに意識が飛んだ。

 敗北が迫っている。

 そんな少女が目にした光景は、ウィルナーも同じく敗北を感じたからこそのものだった。


「くそ……ッ」


 愛しの研究者は神に捕らわれていた。

 慌てて立ち上がろうとするも、腕に力が入らない。

 このままでは負けてしまうと飛び出してきたのだろう。理解も共感もできる。同じ立場だったらジーヌだってそうする。けれど、現実は残酷で。ウィルナーに出来ることがあるとはとても思えない。ウィルナーは、策がある、なんて一言も言わなかった。どうしようもなくて、それでもどうにかしたくて、きっとあいつは出てきたのだ。

 神は男を握り、持ち上げる。

 神と研究者はなんらかの会話をしているようだった。聞こえない。声は少女の元まで届かない。おそらく研究者の言葉を聞いたのであろう神が哄笑した。下らないことを、と男の最期を馬鹿にするみたいに高笑いしていた。

 神は住人に向けて炎を放った。守る者のいなくなった人々が炎に呑まれていく。聖街が真なる地獄と変わる。信徒たちは頭を垂れたまま、一人また一人と焼け死んでいった。

 死を告げるように、神はその景色をウィルナーへと見せつける。それから、彼を真上に放り投げた。上向いて大口を開ける。


「あ――」


 喰われる――

 そう思った瞬間、ジーヌの時間がひどくゆっくりになった。

 ウィルナーの身体が上昇していく。まるで死へ向かうコースター。今ならまだ間に合うはずなのに、少女の四肢は言うことを聞こうとしない。動け、という指令をこれっぽっちも受け付けない。血が足りない。活力が尽きている。残っているのは生命活動を維持するだけの最低限。経験からなる戦闘本能が肉体に停止を命じている。仮に今、生存を放棄してまで力を出し切ったら、すべてが終わってしまう。

 ウィルナーの高度は最高点まで達して空中を漂っている。あとは落ちるだけだ。落下した先は神の口内。血色の光景が蘇る。再演どころか追加演目。あのとき彼の半身を噛み千切った神は、今度こそウィルナーすべてを喰らう。救うべきだ。救わなければ。それなのにジーヌの身体は動かない。

 此処でなければ、いつ、命を振り絞れというのか。

 研究者の身体が落ちてくる。神は下方で狙いを定めている。男の全身を口に収め、噛み砕いてやろうと構えている。ジーヌの正気はもはや自分たちの敗北を認めている。どうせ勝ち目なんてないのだから、せめて最後はウィルナーと一緒にいたい。だったら今、彼を死の淵から拾い上げずにどうするのかと叫ぶ。

 けれどいくら叫んでも、動かない。何を待っているのかも、何かを待っているのかも分からない。とうに壊れてしまったのかもしれなかった。制御の効かない自分の身体は、眠ってしまったみたいに本当にぴくりとも動かなかった。唯一、目だけが活動したままで、ウィルナーの落下をはっきりと捉えている。

 落ちていく。

 神の口を目掛けて、落ちていく。

 落ちていき――神とウィルナー、二つの影が重なり――

 研究者はそのまま地面に墜落した。


「――――」


 理解に掛かったのは瞬時。遠目だったから喰われたように見えただけだ、ウィルナーは神の真横を抜けて落下したのである。手前と奥、それぞれ位置の軸がずれている。

 起きている事態の掌握よりも先、必要な情報のみに限定して取得する。

 つまり、今。

 神は大口を開けたまま、

 おそらくはウィルナーが作り出したであろう最初で最後の隙。奇跡のような一瞬。二度はない、これきりの機会。

 なら、此処で命を燃やす。動作を再開するよりも早く神を粉砕する。

 少女の意識と戦闘本能が今度こそ一致した。

 折れかけた腕を振るう。跳ねた血が爆発し、少女を上空へと舞い上げる。身体を丸め、爆発の勢いを利用して前転。回りながら大気中の温度を操作し、熱を自身の周辺へと収束させる。炎の弾丸と化して放った突撃よりもさらに速く、熱く、蓄積されたエネルギーは膨大に。

 残る血を全部込めた、最後の一撃。

 撃ち放つ直前になって――今さらのように少女は思った。ああ、やべ、これ多分ウィルナー巻き込むよな。死なないだろうな。でも、あのまま喰われてたら絶対に死んでたもんな。それよりは生存確率高いか。北方の爆発もなんだかんだで生き延びたわけだし。というか生きてるんだろうなこいつ。まったく動かないけど。


「ハッ」


 思わず笑ってしまう。

 自分の思考に緊張感がなさすぎて。

 けれど仕方がないだろう。もう最後だ。これ以上はない。撃ち放てば動けない。できることと言えば精々、死に体を引きずりながらなんとか生きようと藻掻くくらい。戦うことも逃げることも不可能。何もできなくなる。

 だから、やっぱり最後に考えるのはウィルナーのことで。

 回転の勢いが乗った掌打は、開きっぱなしの口内に叩きつけられた。炎を纏った再度の必殺は神の体内を苛烈に焼きながら貫いて、ぐっちゃぐちゃに掻き回して破壊した。

 溜まりに溜まった熱が急激に膨張し、炸裂する。

 神の肉体が砕け散る。



 ×××



 燃えている。

 燃えている。世界が。

 崩れかけた尖塔から白の巫女は戦場を見つめていた。

 民が炎で焼け死んでいく。願わぬ光景であれ、分かりきった結末だ。やれるだけのことはやった。逃走を選択しなかった彼らは、遠からず殺される宿命だった。この地獄を彼女はただ、血を吐きながら見つめている。

 男を上空に放り投げ、喰らおうとした神。しかし直後に停止した。動き方を忘れたような、思考が狂ったような、そんな急停止だった。

 その隙を逃さず、少女は神を粉々に砕き割った。


「嗚呼――」


 それは、地獄の中で死が迫る彼女が見た光だ。

 みんな死んだ。みんな燃えた。神の思う通りにいなくなった。でも、そんなふうに万物を支配している顔のあいつが粉々に吹き飛ぶところが見れたのは、少しだけ良かったと思う。全部が全部無意味だと嗤われた自分の願いが、一つだけでも叶ったわけだから。

 ……もう、流れ出る血もなくなった。

 目を閉じれば死ぬだけだ。

 ならもう一つだけ。もう一つだけ、欲張らせてほしい。

 白の巫女は祈る。神にではない。どこの誰とも知らぬ何かに、乞い願う。地獄に希望を見せてくれたあの少女が生きていられますように。満身創痍で倒れかけの彼女が、どうかこの地獄を生き抜き、未来を紡げますように。

 祈る。

 祈る。

 祈り、ながら、眠るように――目を閉ざす。

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