第101話 花の彩りに幻視た夢

 ずっと夢を見ていたかのようだった。

 私がこれほどの立場と知識を得ているなんて。正直、現実味がない。

 だから、夢なのだろう。これは夢だ。死するしかなかった人間が最期に見た、長い長い夢。

 サイカという女の走馬灯。



 …………。

 人は私を指して、災いをもたらす女だと呼んだ。サイカ――災禍を持ち込む、悪逆非道の女帝であると。私は内心で否定する。自ら望んで悪の女になろうとしたことは一度もない。どこまでも自分の利益を追求していったら、いつの間にかそう呼ばれるようになっていただけ。そう見えること自体は否定しないが、災禍の女帝だなんて失礼な話。ずいぶんと酷い後付けだった。

 私の名は私の在り方に関係しない。名前の由来は別にある。

 けれど、一度たりとも、誰にも口にしなかった。ウィルナーにさえ伝えていない。……だから、まあ、勘違いされるのは、結局は説明しなかった己が悪いのだろう。

 走馬灯にも描かれないほど遠い昔のこと。

 サイカという女わたしにも、本来の名前というものがあった。両親が存在し、生まれてすぐに名を授かった。けれど、授かったはずの名を思い出すことはできない。私にとってのそれはとうに捨てた過去で、覚えておく必要もない些事だった。

 私はサイカという名を名乗ることにした。

 サイカ。

 彩花。

 色鮮やかな花を、自らの名と定めた。


 トラウィスという街の始まりは小さな花だった。

 地獄のように広がる砂漠、あまねく者の命を奪い去る大地に咲いた一輪の花。偶然にも飛んできた種が、幸運にも雨に降られたのか。よほどの奇跡がなければ植物などすぐに潰える熱砂の中だというのに、そいつは私の前で堂々と満開の花を咲かせていた。

 街を追われ、行き場を失い、野垂れ死ぬ寸前だった私。私は、そんな花を目撃した。

 羨ましいと思った。

 凄い、とも。

 けれど私は考え直す。奇跡を羨むのではない。花が咲いているのは偶然ではなく必然だ。花は生きることを諦めなかった。死も同然の地に落下して、花も咲かせず枯れる未来が迫っていたはずなのに。それでも懸命に生きようとして、私の目前で美しい花を開かせていた。考えあっての行動ではない。本能に従っただけだろう。それでも花はこうして砂漠の中で命を輝かせていた。

 だから、もう少しだけ、諦めずにいようと思った。この花のように。


 生きるために必要な物を揃える必要がある。偶発的に降る雨を飲み水として利用できるよう環境を整備した。食料を栽培する土地を得るため地下を開拓した。生まれてからたった十年、十年で集められる程度の情報量ではあったが、それでも並の人間の何倍も仕入れ、経験してきたことが幸いした。街を追放されるまでの期間で収集してきたあらゆる知識を自分の生存に費やして、なんとか命を繋ぐことができていた。

 何度も偶然に助けられた。奇跡が起きたかのようだった。でも奇跡なんかじゃない。必然だ。努力が引き寄せた幸運だと自身を勇気づけ、私は開拓を続けた。決して諦めなかった。

 彩花の名が示す通り。

 地下で食料を育てることに成功した。ひもじい日々が僅かでも好転すると思うと嬉しくなった。地下の小さな空間で、栽培の失敗が即座に飢えを招く状況をかろうじて暮らしていく。農作物の収穫量を増やすために地下を広げた。食に余裕が出てくれば、更なる発展のための資源を求めた。基盤を固め、活動領域を拡大し、生きるだけなら十分に日常を回せるようになった。

 生きることへの余裕が生まれれば、生きる理由を生み出すこともできる。

 私は好きに生きたかった。私は自由に生きたかった。誰よりも自由であるためには、誰よりも物事を知っていなければいけなかった。万物を知った上で私の好きな生き方を選びたかった。何よりも自由であるのはそういった人間だろうと思った。

 自由になるには、知識も経験も資材も人手も足りない。知識を得るには書が要る、書を得るには地位と関係が不可欠だ。経験を得るには体験を積み重ねなければいけない。資材を得るには道具と時間が、人手を得るには知名度とリターンを与えるための資本が要る。足りないものを獲得するための行動を洗い出し、一つずつ丁寧にこなしていった。

 私が自由を得るための不足は、着実に解消していった。

 住人という名の手を増やしている最中、スクルヴァンを出てきたという男に会った。彼は私の行いを誹謗し、私の誘いを断り、私の街を立ち去った。

 男は言った。

 神のご加護を受けず生存しようとするお前は異常だ。神に反逆する罪人だ。

 砂漠に消える男の背中を見送りながら、私は考えていた。

 きっと彼にとって聖街スクルヴァンこそが世界で、世界と個人の間に意思が介在する余地はないのだ。生きることは神のお告げに従うことと同義で、神が生きろと言えば生きるし、死ねと言えば自ら進んで命を絶つのだろう。

 そんな生き方は歪んでいる。

 神はいない。

 竜も、人間も、猪も、神を名乗る少々賢いだけの人間も、平等にただの命だ。世にあるのは生命だけで、意思決定を司る超常存在なんていやしない。生命は自らの意思をもって行動し、生きる。考えた末に抱いた理想があり、行動した先に叶う夢がある。黙って祈れば勝手に叶う願いなどどこにもない。

 私はいっそう私のための努力を続けた。

 生きて、生きて、好きに生きて、私は私が好きで選んだ生き方で死ぬのだ。

 ――嗚呼。

 けれど、時々、立ち止まってしまいそうになる。

 だって私は、これほどの知識を身につけても、まだ自分の好きを見つけられていない。自由の大目的となる『好きなこと』を見出せていないのだから。

 花は咲き、命を繋ぐ為に生きていた。

 私は、何の為に生きればいい?


 街に少年がやってきた。少年はウィルナーと名乗った。十代にして彼の身体は六十を過ぎたかのように老いており、死期の近さを感じさせた。

「死にたくない」と少年は言った。

「死が怖いのか」と私は尋ねた。

 少年は答えた。死は怖くない。未知が未知のままでいるのが怖い。未知を既知に変え切るまで、死を受け入れることはできない。ウィルナーの欲求は、万物を知ろうとする私の行動にピタリと合致した。

 私は少年を生かすことにした。

 万事を知るには時間が足りない。その課題に向き合った私の解答が人間の機械化だった。代用の利くパーツ、バックアップの取れるデータで肉体と意識を完璧に再現できれば、人間は永遠の時間を手にしたに等しい。だが、人間機械化の技術は未完成だった。完全な成功を約束できる状況にはなかった。

 それでも、と少年は言った。

 可能性があるのならば、と自ら実験動物モルモットに志願した。私はウィルナーに残された時間でできる限り技術を深め、成功率を上げ、何度も実験を行い、そして実行した。

 ウィルナーは機械化の成功例となった。

 思考パターンの再現チェックが済んでから、私はウィルナーに情報を与えた。彼は竜という特定分野に限ってはサイカの知識を上回ることもあったが、当初はほぼすべての領域で彼女の劣化でしかなかった。しかしすぐさま学習し、思考する少年の姿に私は感動した。ウィルナーの言葉は真実であった。彼は未知を恐れ、既知に変えようと努力する。少年は私に並び立つ人間だと考えるようになった。

 私の下で相当量の学びを得たのち、ウィルナーは彼自身の命題たる竜の探索に向かった。もしかしたら今生の別れとなるやもしれないと危惧したが、彼はなんとか戻ってきた。ウィルナーは一人の少女を連れていた。

 帝竜メリュジーヌの血と意識を引き継いだ少女。少女に好かれた青年。二人はいつも輝いていた。意識せずとも自分で考え、行動し、日常を彩った。目的もなく死ぬまで生きるスクルヴァンの住人たちとは違う、かつて見た花のような色彩を放っていた。

 笑顔が増えた、と認識する。

 好きなものができた、と自覚する。

 あとは努力するだけだった。


 夢を見ている。

 夢のような状況が、現実にある。

 その気なれば、私はおそらく何だってできた。

 スクルヴァンで神の座を奪い取ることも。人心を掌握して人を統べることも。ひっそりと隠れ住み、永遠を生きることも。滅亡しかけた人類文明を再興させることだって、きっとできるに違いない。それほどの知識も、技術も、何もかもを手にした。

 けれど私はそうしなかった。

 サイカという人間は、ウィルナーとジーヌを好いた。彼女のすべてを費やしてウィルナーとジーヌを見守った。二人の関係を支援し、時には茶々を入れ、彼と彼女の意思を尊重し、二人の探究を助力するだけに徹した。

 私は好きに生きた。

 私は、ウィルナーとジーヌの為に生きたのだ。

 長い時間をウィルナーとジーヌの為に費やした。彼と彼女のために何が出来るかを考え、都度実行した。助力を求められれば助け、求められなくても時々助け、それが二人の為になっていることを信じて行動した。

 想いの強さは、どれだけその人の為に思考を割くことができるかで判じることができる――。

 私自身が過去にそう語った。

 私は誰よりも、その言葉を実践した。

 私は、この世の誰よりも、ウィルナーとジーヌの二人を愛していた。

 好きなもののために、好きなように、好きに生きた。私は私らしく、自由に、そして存分に恋を謳歌し、想いを示した。

 もう充分だ。


「…………」


 殺到する住人たちにされるがまま、サイカは意識を手放そうとする。

 本当ならば何でもできたはずの女は、自分の為に、好きな相手のことだけを思って振舞ってきた。その報いが今こうして跳ね返ってきているというのなら抵抗する理由などない。好きに生きた報いは受けてやろうと思った。だから逃げなかった。

 ただ、これが夢だというのなら。

 もう一度だけ、色鮮やかな、あの花を――


「………!?」

「――――!」


 ……何やら、騒がしい。

 街に侵入した竜がここまで来たのかとも思ったが、それにしてはおかしな様子だ。空気が発破するような音、肉体が燃えるような異臭。住人たちの背後から、見えない位置で爆発音と衝撃、何かが空気を切るような。


「……わぁっ!?」

「な、お前! 何を……!」

「炎……炎が……!」


 炎?

 と疑問を抱いた瞬間、サイカの目にそれが映り込んだ。

 炎、だ。紅一色だけではない、黄、紫、青、橙、緑、藍、濃さも淡さも様々。色鮮やかな炎が通路の奥で上がっている。

 悲鳴とともに上昇する炎はサイカの室内に入ってきた。室内に置かれ、散らばってしまった薬品と触れ合い、ますます勢いを強める。焔色反応を起こしたそれらが空中を彩っている。

 まるで、それは、


「お前……その女を助けるつもりか!」

「うるせえ」


 詰め寄ってきた住人を、炎の発生源が殴りつける。顔を掴むと、住人の肌を青い炎が焼いた。住人があっという間に焼死体へと変貌した。


「チッ! 薬品を打ち込まれすぎて気でも狂ったか……!」


 別の住人が武器を向けるが、軽くあしらって命を絶つ。


「そんなんじゃねえよ」


 焔の男は次々に住人を殺害していく。明るい性格は影を潜めている。次第に恐怖し、逃げ出そうとする住人たちも出てくる。追いかけはせず、室内に残っている住人に狙いを定める。逃げ場をなくした住人を順番に焼いていく。冷酷な殺人鬼のような姿だった。

 焔の男は、静かになった屋敷を満足げに見渡した。


「やっぱこの屋敷はこうじゃなきゃな。最初連れられてきたときもそうだった」

「…………」

「よぉ、サイカ様。何黙りこくってんだ。なんか喋れよ」


 サイカの頭を掴み、持ち上げる。


「……分からない」

「何が?」

「貴方が私を助ける意味が、分からない、わ……」


「そんなことかよ?」と焔の男が息を吐く。


「街を訪れた当時、お前から生きられるかもしれないという可能性を与えられた。結果、俺はトラウィスという街で生きる方法を手に入れることができた。その恩を返してねえ」

「……貴方を使って、散々人体実験をしてきたわよねぇ」

「それは仕事だろ?」


 男は何の疑問もなく、平然と告げる。


「受けた恩は返す。俺はサイカに生存の可能性を与えなくちゃいけない」

「ふふ……っ! く、ちょっと、貴方、本気?」


 耐え切れず噴き出したサイカを見て、焔の男が舌を打った。


「何笑ってんだ。冗談に聞こえんのか」

「もしかして、私よりもよほど狂ってるんじゃない~?」

「……はー、もう知らん知らん」


 顔も見たくない、とサイカの身体を転がして立ち上がる。


「まったく……。責任感が強いのはいいが、連中に好き放題やらせすぎだろ。一瞬、お前まで諦めたのかと思ったぜ」

「何を?」

「生きることを」


 焔の男は大したことでもないように言った。


「恩は返した。後は勝手にしろ」


 焔の男は部屋を出ていった。発言内容から察するに、おそらくは、生きる道を探るべく努力を続けるのだろう。住人は逃げ惑い、土地は竜に破壊され、トラウィスという街そのものが崩壊寸前となっているこの状況で。

 生きることを諦めないと。

 生きることを諦めていないだろうと。


「…………、ふふ」


 サイカは動けない。腕は折られ、脚は逆を向いている。しかし、気力だけで腕を動かす。身体を引きずって前に進む。

 竜がどこかで啼いた。天井が崩落する。死屍累々の屋敷が潰れ始める。

 トラウィスの崩壊が刻一刻と迫る。

 理性が訴える。逃げることも、生きることも不可能だ。自分の力ではどうにもならない。サイカの命はきっとここで終わる。


「ふふっ」


 けれど、そんな現実が何だというのか。

 思い出した。思い出させられた。たとえここで終わるのだとしても、諦観の中で死ぬのでは、胸を張ってこの名を名乗れない。努力の果てに咲いた花を名に冠したのであれば、努力の末に死ぬべきだ。

 可能性は与えられた。

 夢が続くための希望はもたらされた。

 ならば報いる努力をしよう。

 必死に、懸命に足掻こう。

 どれだけ絶望的な状況で、二度と地上は見られないのだとしても。

 太陽に向かって手を伸ばす花のようにあろう。決して諦めることなく、いつか大輪を咲かせる日を夢見よう。


「そうでしょう? 彩花サイカ











 砂漠に咲いた小さな花から、トラウィスの街は始まった。

 一人の少女が切り拓き、広げてきた夢は、努力の果てに幕を閉じる。


「――――」


 夢を見る。

 命の失われた砂漠に花が咲く夢。

 奇跡としか思えない一輪は、しかし必然の現れだ。かつて地下に存在した農地、農作物から栄養を授かった大地は、花の成長に十分な養分を備えていた。サイカという女が紡いだ命は小さくも儚い命を生み、大輪の花を咲かせる。

 閉ざされる意識の中で、私はそんな夢を見る。

 彩花の未来を夢見ている。

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