第100話 暗黒街の崩壊

 薬品を打ち込まれる。劇薬だ。並の人間ならとうに死んでいる。

 だが、焔の男は生きている。

 竜の襲撃が繰り返される。身を燃やして対抗する。並の人間ならとうに死んでいる。

 だが、焔の男はやっぱり生きている。

 肉体と炎が一体化し、灰から身体を取り戻すことが可能となった。焔の男という化け物には常人の死が適用されない。身体機能が停止しても肉体が再構成される以上、もはや物理的な死は訪れない。

 では、どうすれば死ぬのか?

 何が起きれば、焔の男は死ぬのだろうか?




「あァ……気絶してたか、俺……?」

「お疲れ様、焔の男。二日以上眠っていたぞ」


 サイカの屋敷兼研究棟、その一室。

 気付けば焔の男はベッドに寝かされており、白い天井を見上げていた。室内では研究者然とした男性が一人、ベッド脇の椅子に座って書類に目を通していた。サイカの屋敷内で働くことを許された優秀な人間のうちの一人だ。

 男性は目線を書類から焔の男に移す。


「また無茶をしたな。屋敷の入り口に捨てられていた」


 男性の発言で、気を失うまでの間にあったことを思い出す。

 ぼたんに大量の荷物を持たせ、街を送り出した。それからあまり時間も経たないうち、再び竜が街を襲撃してきた。今回は同時に二匹。仮に片方でも逃がせば、ぼたんが標的にされる可能性がある。逃がすわけにも街に入れるわけにもいかなかった。

 一緒に出撃した兵士たちは戦闘訓練も詰んでいない肉壁だ。壁がなくならないうちに、焔の男が二匹を同時に相手取り、仕留める。なんとか達成したが相応の無茶もした。ふらつく足で街の大通りまでは戻ってきたが、そこで意識を失ったのだった。

 倒れている焔の男を見かけた住人の何れかが、屋敷前まで運んでくれたのだろう。


「……無茶しなけりゃあんな役割こなせるわけねえだろ。人の心はねえのかあの女」

「うん、その言葉遣いを見るに本調子ではなさそうだな。サイカ様の耳に届けば苦痛の時間が繰り返されるのに」


 苦痛の時間――その言葉が指すのは、不定期に行われる焔の男への処罰だ。サイカに対して反抗的な態度を取ってしまった際、焔の男は過去疑似体験薬を飲まされる。思い出されるのは必ず、焔の男が街に訪れた当初の出来事だ。ジーヌの血からできた薬品を摂取し、肉体が焼かれながら再生する初めての感覚に発狂しかけた記憶。


「ふん……あれは苦痛なんかじゃねえよ」

「強がりを。記憶遡行処置を受けた後で反抗的な態度が失せる事実は覆らない」

「そう思いたいなら勝手にしろ」


 不毛な言い争いを終え、再び男性は書類に目を落とす。


「さて。焔の男、念のために確認したい。三匹以上の対処は可能か?」

「無理だ。どれほど無茶しても街に通してしまう。街内部の防衛設備じゃ撃退にも時間がかかるから、住民の大半は死ぬだろうな」

「なるほど」

「……来てんのか?」


 端的な問いを、男性は沈黙で肯定した。


「住民が竜の襲撃に気付くのはいつだ。答えろ」

「もう気付いているかもな」

「道理で屋敷が静かなわけだ」


 ベッドから半身を起こす。

 鈍重な動きだ。身体が重い。体力が回復していない。

 焔の男の肉体は再生する。だが、それまでの疲労がリセットされるわけではない。形は元に戻ろうとも、疲労とダメージは再生後から稼働しようとする限りにおいて蓄積し続けている。


「……このまま屋敷にいると死ぬぞ。逃げないのか」

「質問が多いな焔の男。お前、そんな性格だったのか? 普段は明るく振舞いながら、もっと他者の命を割り切っている印象を抱いていたが。いつもの馬鹿みたいに前向きな様は演じていただけか? なあ焔の男。とんだ食わせ者だな」

「うるせえ。余裕がねえんだ、さっさと答えろ」


 焔の男が男性の肩に手を乗せ、流れるような挙動で襟首を掴んだ。腕を上げる。男性の身体が宙に浮きかける。


「……ッぁ、諦めたんだよ」


 喉を締め上げられた男性は、咳き込みながらも返事をした。


「もう終わりだ。竜の襲撃が始まった時点から街の崩壊は見えていた。屋敷に在中していたスタッフは、竜の群れを感知した時点で逃げ出している。だが、逃げ場なんてどこにもないんだ。だからここに残った。合理的だろ」

「馬鹿が。なら勝手に死ね」


 首から手を離す。男性が地面に転がった。焔の男を睨みつけて叫ぶ。


「勝手に……? お前も同じだろうが! 竜が街を蹂躙する! 暴動が起きる! 住人は屋敷になだれ込む! どうせ全滅だ!」

「俺はお前と違う。諦めねえよ」


 焔の男は足を引きずりながら、部屋を出る。


「生きることを諦めたら、死ぬだろうが」



 ×××



 煩いくらいの音が屋敷を駆け巡る。

 何十人もの、もしかしたら百人近い、人、人、人。

 住人たちが屋敷を駆ける音。


 竜が群れを成して飛来していることを初めに知ったのは、サイカの屋敷で働いているスタッフたち。焔の男が二匹で限界だったことを把握しているスタッフは街の崩壊を予期して早々に逃げ出した。

 住人たちが竜の接近を知った。街の入り口近くに住居を構える住人から、徐々に街全体へ。情報は伝わっていく。街を守る人間も、設備もない。命の保障はなくなった。逃げ惑う人間もいれば恐慌する人間もいる。耐え切れず涙する人間もいた。怒り狂う人間も多数いた。そういった人間の一部は、恨みつらみの込もった目をしていて、揃ってトラウィスの最奥へ向かった。やめておけと忠告した人間も僅かにいたが、漏れなく殺された。

 サイカは止めなかった。

 街の制御ができなくなっていることも、反感がじき自分を襲うことも当然分かっている。

 住人を捨てて、研究を捨てて、街から逃げ出せば生きられるかもしれないことだって。分かっているのだ。

 だが、サイカはそうしなかった。

 街にい続けることを選択した。否、最初から決めていた。


 足音が近づいてくる。

 ばん、と勢いよく扉が開かれる。


「いたぞ!」


 声は伝播する。


「いた!」「逃げずに残っていた!」「殺せ!!」「もう終わりだ!」「竜が来る!」「死ぬ前に、こいつを殺せ!」「報復だ!」「今まで好き放題やってきた報いだ!」「復讐だ!」

「殺せ!!!」

「サイカを殺せ!!!」

「ええ、そう。殺したいなら好きにして頂戴~」


 自身の末路を見た女は――

 最後に言った。


「夢を見せてくれて、ありがとう」

 

 その言葉を合図にして、街の主だった女の下に住人たちが殺到した。

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