第96話 氷の跡
頭脳にあたる部分と身体の接続が切れた。確実にそれらの部位は分かたれている。しかし、分かれてどちらも動かなくなるという判断は早計だ。帝竜メリュジーヌの脳は最初から失われているのだから。そこに埋め込まれているのは機械で代替された司令部で、心臓部と繋がっている必要などこれっぽっちもない。
首が破壊されても。
心臓から血が通わなくとも。
たとえ頭だけになっても、頭だけであれば何の問題もなく動作する。
「死んだと思ったか? 神を殺したと?」
ウィルナーの上半身を咀嚼しながら、神は言った。浮いているのは頭だけ。分断された首から気流を排出して宙を浮遊する様はあまりに奇怪。人でも竜でもない、生物から外れた存在。
「想像よりも遥かに楽観的だったな。やはり下らぬ生命だ」
「…………」
「警戒するな。お前とやり合うつもりはない」
見抜かれている。ただでさえ傷を負って逃げ帰った身体に、ジーヌたちとの戦い、そして神との再戦だ。氷刃竜ユランはとうに立ち上がるだけで精一杯となっている。
「ここまでこの身体が失われることは想定していなかった。賞賛に値する。故に、良いことを教えてやろう」
「……何だ」
「首から下、そこの女にへし折られた我が肉体……脳からの指令が途切れてから五分で自壊する。その際、地表を焼き尽くすほどの熱を放出することになっている」
「――――!!」
ユランは神の言葉で、やっと気づいた。
神の肉体……首と分断された肉体が、内部で熱を蓄えている。大地が焦げるほどの熱。あらゆる生命を奪うほどの熱。地表に死を振り撒く炎が、神の肉体を糧に燃え上がろうとしている。
「逃げる事だけ考えれば生き残れるやもしれぬ。再度の敗走を期待している」
神は下卑た笑いを浮かべ、空を飛んで去った。
帝竜メリュジーヌは炎を操る竜だ、その肉体は熱への強い耐性がある。加えて、どうやら頭だけになっても十分な飛行性能は残っているようだ。神は余裕をもって生き延びるだろう。肉体の再生が出来るのかは、まあ、分からないけれども。
地表を焼き尽くすほどの熱――
とヤツは言った。本当に丸ごと焼き尽くすのであれば、メリュジーヌほど高い耐性を持たぬユランに逃げ場はない。きっと少しは残るはず。たとえばここから命を懸けるほどの全力で離脱し、できる限り爆心地から距離を置いて。逃げて、逃げて、爆風からも逃げられれば。もしかしたらヤツの言葉通り、生き残れるのかもしれない。
けど。
「はあ、っ……」
ユランは神の肉体に近づいた。起爆装置じみた機械が内蔵されている。仕組みは分からない。どうでもいい。機械の解析とか、そんなのはユランがすることじゃない。
彼がやるべきことは他にある。
一歩一歩と近づくほど、いっそう熱を感じるようになる。
熱い。肌が焼けるように熱い。実際に焼けている。痛みを感じて、直後に痛覚そのものが死ぬ。冷気を集めようとしたが、操る素材がない。熱い。
熱の極大放出までもう時間がない。
氷刃竜ユランは熱を蓄積する神の――帝竜メリュジーヌの肉体に触れる。熱い。細胞が焦げる臭いがする。痛い。痛いけれど、熱いけれど、でも――
「……寒いよりはずっと楽だ」
ユランが触れた箇所から一気に氷が迸る。熱にも負けぬ勢いで氷は帝竜メリュジーヌと氷刃竜ユランの身体が凍結する。
芯だけは砕けぬように。骨子だけは解けぬようにと凍らせ続けた。生きるためにユランが費やした力を、彼は残らず外部への出力に変えた。命を懸けた行動だ。骨子の凍結がなくなれば、ユランは数刻も経たぬうちに息絶える。
それでも構わない、と竜は思った。
このままならば自分もジーヌも死ぬ。爆心地で熱を直接浴びれば、帝竜の力を取り戻しつつあるジーヌと言えど耐え切れない。けれど少しでも熱を抑えられれば可能性はある。きっとあるはずだ。だから、ユランはこれでいいと思った。
どうかジーヌが生き残ってくれますように、と願う。
ああ、でも、きっと、一人で生き残ってもジーヌは泣くだろうな、と考える。帝竜メリュジーヌだった頃から想像できないくらいに姿も性格も変わって、そのくせ本質は変わらない少女。一人気ままな生き方ではなく、誰かと共に生きることを選んだ少女。
その誰かは、ウィルナーという人間だった。
上半身のない人間――にしては機械部品が散らばっているが――を思う。粉々にしても蘇ったあの男なら、まあ、多分、どうにかこうにか生き延びそうな気もする。凄いヤツなんだし。
だから、もしも。
もしジーヌが生き残って。ウィルナーも生き延びられていたら。
その先では、
誰も泣かないような結末を、
描いてくれることを、
願う。
頭と体の分断から五分。氷の内部で熱が炸裂した。熱波はその威力を削られながらも、ユランが決死の覚悟で維持した氷の膜を一瞬で融解させた。氷刃竜ユランは、帝竜メリュジーヌの肉体とともに氷のように蒸発して消えた。
その日。
北方雪原を中心として大規模な爆発が発生した。強烈な熱波は一瞬にして大地を焼却した。灼熱の風は生物を殺し、植物を枯らし、命宿る土地を死の大地に変貌させた。被害は地表の実に七割にも及んだ。
爆心地となった場所にはただ一つの物体さえ残っておらず。
か細い竜の影が、寂しそうに焼き付いていた。
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