第95話 血色の光景
ぼっ、と。
どこかに火が灯る。
竜の少女ジーヌが帝竜本来の力を取り戻したところで状況が上向くはずはない。神は帝竜メリュジーヌの肉体を利用して構成されている。性能が同じなのだから、拮抗することこそあれ戦況がどちらかに傾くことは考え難い。
だというのに。
「――ふッ!」
数えること二十三。関節を執拗に狙った打撃はついに神の右腕を捥ぎ取った。宙に浮いた腕を引っ掴み、ジーヌは「ちゃんと持ってろ」と神に向かって投げつける。
生じた差は単純に、肉体の操作練度、だった。まだ竜の肉体を完全には使いこなせていない。どれだけ神が竜を喰らおうとも、彼は人間の身体で生を過ごしすぎている。出会い頭にジーヌとユランを圧倒した動きはスペック差によるものだった。その差がなくなった以上、修練度が実力差として表面化するのは自然である。
費やしてきた時間が違う。
生まれたときとは異なる身体となってから、重ねてきた時間が違う。
ジーヌが狙い続けていたのは機械で繋がった改造部分だ。身体の動作速度を向上させたのが人工物であるなら、弱点となったのもまた同じ場所。生物的なリミッターを解除する効果はあったが、その分だけ余計に負荷が掛かっている。当然、耐久も並ではないが、一か所壊してしまえばずいぶんと攻めやすくなった。
機械関節を狙った理由は他にもある。帝竜メリュジーヌの肉体を直接傷つけるより、出血量が明らかに少ないのだ。多少ならともかく、大量の出血は相手に反撃の自由を与えることに等しい。その点、肉体ならぬ機械を攻め立てることが反撃機会の減少に繋がっていた。
先には左脚も失っている。二か所の甚大な損傷を受けて、神はバランスを崩している。
投げつけられた腕が顔面を直撃し、衝撃で顔を大きく後ろに反らす。
首が晒される。
ジーヌはあらかじめ溜めておいた血を爆発させ、首の皮を剥ぐ。人工の肌が焼き消え、秘められていた機械部分が露呈する。
じりじり、と。
なにかが焼けていく。
「終わりだ」
一度。二度、三度。それ以上に、壊れるまで。間髪入れずに打ち込まれた打撃が一点に集中し、首と胴体が分離した。断末魔はなかった。へし折れた音だけが雪原に響いた。
頭が落ちて、それから数秒後に神の身体が倒れた。
動かない。動くはずがない。脳から発せられる制御信号は物理的な分断によって遮断された。
右腕、左脚、頭、胴。四つに分かれた神の肉体を眺めて、ジーヌは立ち尽くす。
勝った。
勝った?
勝ったのか?
……嗚呼、それなら――
じりじりと。
焼けている。人としての在り方が。決めた筈の自分が。
灰になって消えていく。
「あとは……」
あとは、抗うだけだ。
遠くからウィルナーが駆けてくる。神の首が落ち、その様子を見守っていた竜の少女は脱力して膝をついた。決着した、もし仮にこれ以上があっても戦えない。研究者の判断は妥当であり、事実、神の胴はぴくりとも動かなかった。
ウィルナーはジーヌを抱きかかえる。
「ジーヌ! 大丈夫か!?」
「…………」
呼吸を確認、息はしている。脈もある。顔が真っ青なのは、血液消費の激しさゆえだろう。
しかしそれとは別に、身体が異常なほど熱をもっていた。
炎を伴う連撃を繰り返した影響、にしては熱すぎる。竜の力が戻りつつあるのだから、外部の熱からは普段以上に保護されるはずだ。別の理由が、何か。
「もしや……」
薬効を焼いているのか。
暗黒地下街トラウィスにて。ジーヌは昔、街の主であるサイカから媚薬を盛られたことがあった。その際、少女は自身の炎で体内をめぐる魅了の薬効成分を焼き払った。そのときと同じことをしているのではないか。副作用となる人間性の焼失に抵抗し、効果を焼き消そうとしているのでは。
「…………、ジーヌ」
歯痒い。自分の無力が。
メリュジーヌの力を取り戻させた。神に勝利した。ここに至る過程には、ウィルナーの研究成果が必須だった。この勝利はウィルナーなくては考えられない。彼は最たる功労者である。
それでも。
この場において、彼は無力だった。
戦えるわけではない。勝利に結びつく策を提供できたわけでもない。命の危機があっても、見守るしかできない。
ジーヌ。愛おしき君。ウィルナーは今ここにある少女を愛している。帝竜としての記憶を引き継ぎながら、少女としての自我を抱き、演じることを己が生き方と定めた少女。いつしか現在と過去が一体となり、竜の少女として変質した貴女。ウィルナーはジーヌを愛している。
愛する者を、失うことが、怖いのに。
無事を願うことしかできない。
ジーヌをそっと横たえ、手を合わせる。副作用をなくす方法が見つけられなかったウィルナーには、もう現状の彼女にしてやれることがない。願うしか、ない。
膝を折り、少女の前で強く強く願う。
どうか彼女が、彼女のままでいられるように――
と。
「避けろ!!!」
「――――、え?」
氷刃竜が意識を取り戻す。目を開くより前に、音の少なさで理解した。ジーヌが神を打ち倒したのだ。帝竜の力を取り戻すと主張していた研究者の薬は、見事に効果を発揮したらしい。
気に入らないが。
アイツらは、強かった。
そりゃあボクを倒すことだってできるだろう。
ジーヌは強い。ウィルナーも、戦闘能力はなくとも勝利の手段をもたらした。人間はもちろん大嫌いだ。帝竜メリュジーヌを殺した種族を好きになれるはずがない。けれど、自分ではできなかったことを、神の討伐という目的をあの二人は達成した。その点だけは評価しなければ。
アイツらは強かった。凄かった。ボクなんかじゃ殺せない。
そう思った。
そう思っていたから、きっと、その光景を見た瞬間。反射的に声が出たのだろう。
「避けろ!!!」
ボクは見た。
ジーヌを地面に横たえ、無事を願うウィルナー。彼に向けて、真っ直ぐに飛来する神の首を。大口を開けてウィルナーを狙う神の頭を。
「――――、え?」
神は、呆然とその場を動かないウィルナーの上半身を千切り、
嚙み砕いた。
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