第91話 陽光のような貴女

「名前? メリュジーヌだ。覚えとけ!」


 その竜は、ユランの顔を踏みにじりながら名乗った。


「ハッ。叩きのめされればちったあ相手に興味も湧くか」


 メリュジーヌという名の竜は、氷刃竜ユランに徹底的な敗北を突きつけた。

 存在意義のない自分。生存理由のない自分。そんな自分より弱い世界など興味もなければ価値もない、と破壊の限りを尽くしていた。

 その竜は突如として上空から降りてきて言った。「お前、死んだみてえな顔してんな」

 ユランはそんな相手にさえなんの興味も湧かなかったので、いつものように吹雪を打ちつけた。まずは翼を凍らせ、機動力を削ぐ。墜落した相手を一気に凍結させれば終了。後は砕くなり放置するなりすればいい。ユランが繰り返し味わってきた無味無臭の勝利だ。

 けれど、その竜はユランの吹雪をあしらった。

 尾を軽くひと払いしただけで氷の風は消えてなくなった。氷刃竜が放った絶対の吹雪は、相対する竜の炎に飲まれて容易く溶けたのだ。

 痛かった。熱かった。

 でも。寒くはなかった。

 その日、氷刃竜ユランは敗北した。

 そして同時に、初めて誰かに興味を持った。

 メリュジーヌという名を聞いてもピンとこなかった、数か月経ってからそんな自分が異常であることにようやく気付いた。メリュジーヌ。帝竜とも呼ばれる頂の竜。彼女が竜の中で最も強い、帝の座に就く竜であることはどうやら世間一般では常識のようだった。

 それから、ユランの日々に色彩が乗った。

 自分より強い者がいることを知った。世界に価値があることを知った。氷刃竜ユランにとって、世界の意味とはメリュジーヌの存在だった。メリュジーヌが生きていることだけがこの世の価値だった。

 彼女を思うと、心が温かくなる。

 少しだけ寒さが安らいだ。

 幾度も戦いを挑み、メリュジーヌのことを知ろうとした。幾度もの敗北を経てメリュジーヌのことを知っていった。彼女のことを知れば知るほど、自分の生まれた理由が分かった気がした。

 メリュジーヌは強い。圧倒的に強い。けれど、その在り方は隙だらけだ。乱暴で、乱雑で、だからこそ至高には至らない。あと少しが足りない。

 ユランは特段メリュジーヌを好いているわけではない。

 この感情は、恋や愛などという曖昧な心ではない。

 ユランは、自分とメリュジーヌと手を取れば、きっと誰もたどり着けなかった領域に至れるはずだと考えた。それこそが自分の存在意義だと思った。彼女とともに同じ道を進むことができれば、自分が生まれたことに意義を見出せるはずと信じた。無意味だった自分が生き延びた意味は、彼女と出会うためにあったのだと確信した。

 故に。

 彼女とともに見る夢が、ユランの願いになった。



「ねえ、メリュジーヌ。ボクとの子供を産んでくれない?」

「勝てたらな」

「よっし、今日は絶対勝つよお」

「ハッ。勝てると露ほども思ってないくせに、よく言うぜ」



「負けたかあ。うん、やっぱり全然勝てる気がしないや」

「もっと強くなってから出直せザコ」

「明日また来るからね!」

「まったく……。つか思ったんだけど、お前が勝ったときの要求ばっか出してんのおかしくね? オレが勝ったときにもなんか要求していいだろ普通」

「後出しは卑怯でしょ。せめて先に宣言しないと受け付けないよ」

「そうかい。機会があったらそうするわ」



「…………。あれだけ戦っていて。これほど力を付けてきて。たとえキミには及ばなくとも、ボクだって力になれるはずなのに。どうしてキミは何も言わずに一人で戦った? どうしてボクは何も出来なかった? 肝心なときに、大切なときに、キミの助けになれなかった?

 憎い。人間が憎い。メリュジーヌを殺した人間が憎い。

 けれど、それより憎いのはボク自身。

 大きな戦いの気配を察しても。どうせ誰にやられるキミではないと思い込んで、様子を見にも行かなかった愚かな自分。存在意義と定めた相手さえ守れなかった馬鹿な自分が、何よりも、憎い。

 憎くて、憎らしくて、堪らない。

 嗚呼……寒い。

 温もりが、欲しい」



 ×××



「力で叩きのめして、協力を取り付ける! 覚悟しろォ!!」という少女の咆哮は、失神しかけていたユランの脳にも激しく響き渡った。

 顎を撃ち抜いた蹴りから反転、ジーヌは空中で炎を噴射し高速回転する。動く隙も、反撃する余裕も与えない。氷刃竜ユランの脳天に狙いを定め、回転の勢いを乗せたかかと落としを振るう。

 決殺の二撃目が氷刃竜の仮面を直撃した。

 衝撃を丸ごと受け止めたユランが、猛烈な勢いで雪上に吹き飛んでいった。雪舞う戦場に息を切らした少女が着地する。すぐさま研究者のもとに駆け寄った。


「ふう……おい。生きてるか、ウィルナー」

「辛うじてな。もう少し遅かったら潰れていたぞ」

「ベストタイミングだったってことだな」

「……ユランは?」


 ウィルナーの問いかけに無言を返す。

 全力で二撃を入れた。どちらの攻撃も、下手な竜なら三度殺してもつり銭が出るくらいの威力だ。現状では最大限に戦ったと判断していいだろう。ジーヌの体感としては、充分にユランを弱らせたように思う。

 それでも、もしもユランが立ち上がってくるようなら。最後の手段を使うしかない。

 雪が地に落ち、次第に周囲が晴れてくる。ユランはまだ動かない。動く様子もない。宣言通り叩きのめすことに成功したか、と竜の少女が息を吐く。

 しかし。


「…………。ああ……痛い……」

「っ、マジか!」

「まさか……あの威力で、動くのか……!」


 ユランは起き上がった。

 もはや最後の手を使うしか――と渡された薬品を取り出したジーヌは、そこで行動を停止した。強烈に向けられていたはずの殺意が、ユランから失われていたからだ。

 火と血を使い果たして青い顔をしているジーヌ。潰されかけた身体を懸命に動かし、満身創痍のジーヌを助けようとするウィルナー。ユランは二人を交互に見つめると、最後にジーヌの方を向いて頭を下げた。


「何を……?」

「ウィルナー、ちょっと黙ってくれ。敗北を認めた……ってことで、いいんだな?」

「うん。いいよ」


 氷の竜は、ジーヌの発言に同意を示した。


「一瞬だけだとしてもボクは意識を失った。命を失ったのと同じさ。ボクの負けだよ」

「オレたちは神を倒す。その為にお前の力が必要だ。協力してくれるな?」

「分かった」

「やけに素直だな……。竜の生態として、勝者と敗者の力関係はそれほど絶対的なのか?」

「他の竜は知らねえ」


 ジーヌはウィルナーの疑問を適当にあしらいつつ、飛び散った部品を拾い集める。ユランは二人の掛け合いをじっと見守っている。


「キミは……メリュジーヌじゃない。ジーヌ、だったよね」

「そうだ」

「…………。キミは強いんだね」


 竜の少女はぶっきらぼうに「当然だろ」とだけ答えた。

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