第92話 共有の最中
ウィルナーが治療、もとい修復を終えたのは十五分後だ。稼働チェックに異常は見られない。肩を回し、筋を伸ばす。ジーヌの不意打ちが僅かでも遅れていたらこう万全には戻らなかったろう。ベストタイミングという言葉もあながち間違いではなかったか。
少し先ではジーヌとユランが情報共有を行っていた。状況把握と策の立案のため、会話に参加しようとしたところで研究者は足を止める。視界の端に小さな雪山を見つけると、控えめな声で呼びかけた。
「ぼたん。大丈夫だ、出てきなよ」
「ホントニ? ホント? ウソダッタラ、タイアタリ、スルゾ」
「本当に。ユランは味方だ」
雪山がもぞもぞと動き、中から猪が這い出てきた。ユランとの激闘の最中、お喋り猪は雪に埋もれて戦況を見守っていた。
やることがなかった、という側面もある。けれど、単純に怖かったのだ。
ぼたんは竜の脳を食った獣、その再現体だ。半ば竜と化していたといっても過言ではない。だからこそぼたんは、竜種の――あらゆる生物の頂点に君臨する帝竜ユランに逆らうことの無意味さを本能として理解している。
ジーヌほど強くなく。
ウィルナーほど研究狂いでもない。
もしかしたら、このメンバーでは最も常識的な思考を持つ存在かもしれないが故に、ぼたんはユランに立ち向かうという選択肢を取れなかった。隠れ、恐怖に震えていた。
「安心していい。最低でも神との戦いが終わるまで、ユランが私たちを傷つけることはない」
「……モシ、キズツケタラ?」
「ジーヌが飯を分けてくれるそうだ」
「言ってねえぞウィルナー! 勝手に約束してんじゃねえ!」
遠くから竜の少女が叫んだ。思ったよりも耳ざとい。
ぼたんを頭に乗せて、彼女らに近づく。ぼたんの震えが強くなったので、肌を撫で回して落ち着ける。それでも恐怖は拭いきれないようだった。
「すまない。話を遮ってしまったな」
「お前のせいだろ」
「うん。ウィルナーとかいう人間が悪いよね」
ジーヌの指摘にユランが同意した。仲が良さそうで何よりだ。
「共有した情報と、把握している限りの状況を聞かせてほしい」
「ユラン」
「ええー。さっき話したじゃないか。ジーヌ、キミから伝えなよ。口頭で相手に伝えると自分の中でも情報の整理が進むんだからさ」
「お前、オレに従うんじゃねえのかよ!」
ジーヌの突っ込みにユランはそっぽを向いて答えた。仲が良さそうで何よりだ。
「まったくコイツはこれだからよォ……」とジーヌが舌打ちをする。
「とりあえず、ユラン配下の竜は撤退を命じた。自然現象も扱えない有象無象じゃ残っていても邪魔にしかならん。それと神がここを見つけるまでには、おそらくあと一日は掛かる」
「想定していたよりも遅いな。根拠は?」
「明確な根拠はないな。ユランが神と戦ったときの感触からはじき出した時間だ、どの程度信頼するかはお前に任せる」
「…………」
ユランがもの言いたげにウィルナーを睨んだが、結局沈黙を貫いた。
「信用するさ。竜の知能は言語化できない本質を見抜く。そもそもこの地は彼のホームグラウンドだ。信じない理由がない」
「だそうだぜ、ユラン。何か言うことは?」
「無いね」
「あっそ。別にいいけどよ」
「こちらの状況は彼に伝えたか?」
ウィルナーの問いかけに、ジーヌが肯定を返した。
「ああ。基本的に、戦力になるのはオレだけ。オレ以外の一人と一匹は肉の盾とか身代わりくらいにしか使えない。オレに関して、ウィルナーの薬品を使って能力向上はできるが、副作用の影響がでかいからできれば使いたくない。ってことは言ってある」
「…………」
まあ、言っていることは事実なのだが。
伝え方ってものを考えてほしいと思うウィルナーだった。
「……まあいい。それで現時点の勝算は? 私たちとユランの戦力を合わせて、ユランに地の利があることも踏まえて、どの程度の勝率があると考える?」
「そうだなァ……」
「一割」
口を噤んだままだったユランが、割り込むように言った。
「あれば、いい方かな。実際はもっと低い。キミたちが神とかいうアレ、アイツはそれだけ強かった」
「ずいぶんと低く見積もったな」
「……冷静な思考の結果さ。キミらみたいな連中に叩きのめされたら、否応なしに頭も冷えた。だからはっきり言うけれど、アレ、能力だけなら完全に最盛期の帝竜メリュジーヌを超えてるよ。ボクじゃ勝てない。もちろんキミたちでも勝てないね。勝てる奴がいたら教えてほしいくらい」
「おいそれマジか?」
「嘘を吐く理由がないから」
ジーヌも、ウィルナーも驚愕していた。
冗談を言った、の方がまだ受け入れられる。帝竜メリュジーヌの死骸、腐敗した欠落を機械で補った相手。成れ果てじみた存在が生前のメリュジーヌを上回っているなんて。
「…………。策を考える時間があるのは幸いだな。どれだけ勝率を上げられるかの勝負か……」
「つけ入る隙があるとすれば、悪感情に囚われすぎていること。あとは、まだ操作に慣れていないことかな。前者はさっきまでのボクにも言えたことだけどさ」
「操作……?」と一瞬だけ首を傾げてから、ジーヌは尋ねた。
「というか、そもそも聞いてなかったわ。ユランお前、神と戦ったんだよな。神がどういうものだったか分かるか?」
「分かるとも!」
ユランは当然だとばかりに即答した。
「帝竜メリュジーヌの肉体に異常なまでの悪意が乗っていた。あそこまでの感情を持てる生物、人間しかいないよ。見た目は竜だけど精神的には人さ。間違いない」
「なるほど」
ウィルナーは納得したように頷く。
スクルヴァンに神は実在する。神を名乗る人間が街を支配していたのだろう。肉体となる神の半身がメリュジーヌの亡骸ならば、精神となるもう半身こそ支配者たる人間の精神だった。ユランが操作と表現したのも合点がいった。人間と竜では肉体の構造が異なる。動かし方が覚束ない状態を、操作に不慣れと言ったのだ。
「にしてもさあ……」とユランが言葉を重ねる。
「アレ、人間にしては破壊衝動が過ぎるよ。どれだけ竜を喰い散らかしてきたの?」
「は?」
「……何?」
どれだけ竜を喰い散らかしたのか、だって?
氷刃竜の浮かべた疑問はウィルナーたちを酷く困惑させた。
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