第67話 性癖の発露

 旅行に行くため、金と道具が要る。

 どうせなら昔やっていたように準備から楽しもう、と街の住人たちから依頼を請けることにしたウィルナーとジーヌ。山のように来た依頼から、まず初めに選ばれたのはとある男からの切なる願いであった。


「ここが依頼人の家か……」

「そうなるな」


 ジーヌは遠慮も躊躇もなく豪快に扉を開け放つ。


「邪魔するぜ!」


 中では筋骨隆々の男が待ち構えていた。

 ウィルナーは何度か顔を合わせたことがある。トラウィスで暮らしているたいていの住人と同じように、すれ違いざまに挨拶をする程度の仲ではあるので、会釈して家の中に入る。


「失礼。扉は壊れていないと思う、加減するくらいの配慮はできているはずだ」

「どうも、ウィルナーさん。と、貴方が――」


 男は竜の少女に視線を向けた。鼻から深く息を吸い込み、静かに吐き出す。落ち着くための呼吸を何度か繰り返したのち、続く言葉を繋いだ。


「ジーヌさん。ですね……」

「そうだ!」


 ふんす、と無い胸を張る竜の少女。

 対して男は、うっとり、とジーヌを見つめている。

 大前提ではあるが、そもそもジーヌの容姿は非常に優れている。ウィルナーから見た加点要素――巨大な角や山型に合わさった牙、烈火が如き紅彩の尾、赤と黒のグラデーションが鮮やかな頭髪――を除いても、顔は小さく肌は潤いに満ち、大きくも鋭い目は気後れしてしまうほどに美しい。街の住人たちに可愛いものを愛でるだけの精神的余裕があれば、一目惚れしてしまう連中ばかりだろう。

 可愛い、あるいは美しいという言葉が実体化したかのような存在。

 それがジーヌという少女である。

 ただ、彼女の美しさを台無しにしているのが竜としての暴力性だ。竜という種そのものが抱える破壊衝動。すべてを理解するが故にすべての無為な存在、行動、感情を破壊したいという欲望の発露こそ、少女の評価を著しく下げている。

 具体的に言うと、他者に対しての暴言とか暴力。

 いくら相手が猛烈に美人だからといって、毎日毎日罵倒で精神を摩耗した上に即死級の暴力が振るわれるとあってはまともに付き合いたいと思う人間は少ない。ジーヌの日常にまともに付いていける人間は、感情と肉体に耐久性のある機械人間ウィルナーか、よほど殴られたり罵倒されたりしたいと思うような変質者くらいだ。


「では……依頼の方を……」


 筋肉質な男は興奮した様子で言った。


「すぐ始めていいのか?」

「ええ! ここに! どうぞ!」


 男は腹を露出した。見事に割れた腹筋がさらけ出される。


「いやちょっと待て。その位置だと吹き飛んだときにかなりの量の食器を巻き込む可能性が高い。二人とも、移動して……そう、その辺りだといいだろう」


 ウィルナーの指示に従って移動。

 ジーヌは肩を回しつつ、依頼の開始に備える。


「じゃあ……行くぜ」

「はい……!」

「死ねェ!」


 ジーヌの腹パンが男の腹筋に突き刺さった。衝撃を全身に受けた男の身体はくの字に折れ曲がり、胃液とともに朝食を撒き散らしながら吹き飛んでいった。壁に激突、貫通して屋外に倒れる。


「…………」


 幸せそうに、本当に嬉しそうに口元から胃液を垂らしている男。

 つまり、男はよほど殴られたり罵倒されたりしたい類の変質者なのである。

 普段は内に抱えている衝動――欲望。性癖を吐き出して解決してもらえ、との御触れが出された瞬間に男は依頼を提出した。

 美しい少女ジーヌ。麗しき客人ジーヌ。

 彼女はかつて地を統べ、人類を恐れさせた竜の力を継いでいるらしい。角が、牙が、尾がその証拠。暇つぶしと手伝っていた力仕事では、そこらの男連中が数人がかりで運んでいた資材を一人で軽々と持ち上げていた。竜の力が事実か否かはこの際関係なく、少女は恐るべき力を秘めていることがまごうことなき事実。

 であるならば。

 力試しをしたい。

 ジーヌに殴られてみたい。

 彼は住人の中で最も力強い男であった。彼は元々とある街で罪を犯し、裁かれるも街の器具では処刑すること叶わなかった。そうして街を追放され、トラウィスに流れ着いた。彼は処刑器具でさえ傷つけられなかった自身の肉体に自信を持っていた。いかな道具、いかな生物の痛撃であれ男の肉体に傷を付けることはできなかった。それは竜でさえ例外でないと、彼はそう信じて生きてきた。

 吹き飛ぶはずがない、と。そう思っていたのだ。

 ウィルナーが位置の変更を申し出たとき、必要ないと断ろうとも思った。男は力試しをしたいと言いながらも、自分が力で押し負けるとは露にも考えていなかった。だがここで変に文句をつけ、依頼を断られることになっても困るからとウィルナーの言に従った。それだけのつもりだった。

 結果、男は家の外にまで吹き飛んだ。

 圧倒的だ。竜の力をその身に味わって、男はぶり返す吐き気と感動を覚えていた。殴られて、受け止めて、完勝する男の予定は少女の強烈な一撃をもって打ち砕かれた。男の内臓はボロボロで、治療が必要なほどに傷つけられていた。

 男は震える足で立ち上がり、崩れかけた壁の穴を抜けて家に戻る。


「立てるとは……凄まじいな」

「ずいぶん強ェな!」


 からからと笑っている竜の少女に、実力差を感じる。

 受け止められるという判断自体が甘かった。勝てるわけがない相手だった。男は理解した。しかし男は幸福を感じている。

 この肉体で、敗北する相手がいると。上には上がいるのだと。あるいはそれは、竜種と人間の差なのかもしれないが、そんな言い訳をしたところで黒星が消えてはくれない。言い訳をせず、精進に努める余地があると男は解釈していた。故の幸福。


「もう一発いっとくか?」

「いや……。大丈夫です」


 ノリノリで虚空相手に拳を打ち込むジーヌだったが、男は少女の提案を断った。


「次は耐えられるよう、努力します……!」






 満身創痍な男の家を離れる。

 少女は軽やかな足取りでウィルナーの前を歩く。


「いやァ! なかなかいいサンドバッグだったな!」

「……まあ、家を出るまで黙っていたことは評価しよう」

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