第46話 老人の目的

 入り組んだ地下道を進む。薄暗い道を歩くほどに時間感覚が失せていき、今は一体何時なのか、移動を始めてからどれくらい時間が経ったのか分からなくなる。何層目かも分からない階段を下り、仮配置されたような安い作りの扉を開く。


「着いたぞ」


 急に視界が広がった。

 合わせて、気温の急激な低下を感じ取る。室内全体が凍り付いているのだ。どうやら氷刃竜ユランを思い出したらしく、ジーヌが露骨に嫌そうな表情を浮かべていた。


「こんなところに、神の半身が保管されてるのか?」

「想定内だな」


 訝しむジーヌに対して、納得した様子のウィルナー。

 シドは神の半身が保管されている、と言った。どうやって肉体を保管するのかを考えた際、真っ先に思いつくのはクライオニクス――人体冷凍保存技術だ。体液を不凍液に置換し、マイナス気温の環境で腐敗を防ぐ。倫理と将来への諦観から使われることのなくなった過去の技術だが、今向き合おうとしているシチュエーションにはぴたり合致する。

 生命の息吹を奪うかのような、細胞を維持するための極寒設備。


「ほれ、ちゃんと付いてこい」


 シドが二人の前を先行する。薄暗く、霜の付いた凍える施設を進む。

 寒さで凍り付きそうな腕や顔を擦って耐え凌ぎながら、シドの後を付いていく。


「寒すぎる……。燃やしてもいいか?」

「駄目だ。万が一にも溶かしてしまってはいけない。シドに見つかるのも」

「シドに見つかるとまずいって、なんで?」

「なんでも何も、ジーヌ、君は今ただの少女として認識されているのだから――」

「あ、伝え忘れてた。なんでか知らんけど、ジジイにオレの姿バレてんだわ」

「…………。……………………」


 バレてるかあ。

 ウィルナーは頭を抱えた。何故だ。ここでいう何故とは、何故視覚に直接作用するはずの映像投影機能が機能していないのかという内容と、何故ジーヌは自分の姿がバレていることを伝え忘れていたのかという内容の二つを内包している。


「仕方ないだろ。お前から女の匂いがしたんだよ」


 拗ねたようにジーヌが呟いた。

 考えてみれば、ただの少女とその保護者という認識であれば、内部事情を暴露してくれる理由が分からない。ジーヌを竜の少女、ウィルナーをその関係者だと認識しているからこそ、シドはここまで深い話をしてきたのだろう。

 ウィルナーにもミスがある以上、追及は控えた。


「何しとるんじゃ。こっち来い、神の半身がおるぞ」


 離れた場所、奇妙な装置の陰から老人の声がした。追いかける。


「これが、神の半身――死んで間もなく冷凍処理を施した、メリュジーヌの死骸じゃ」


 それを見た瞬間、


「「――――」」


 二人は同時に息を呑んだ。

 メリュジーヌの死骸は半壊していた。街までの輸送中に腐ったのか、肉体や臓器の一部が欠けてしまっている。脳にあたる部分も空っぽだ。頭蓋がくり抜かれ、中の空洞が見えている。異質なのは、それら欠落を補うように機械が組み込まれていることだ。肉体の形状、メリュジーヌという存在のカタチを無理やり保持するかのように、支柱が肉と肉を繋いでいる。死骸はそんな状態で凍結されている。

 息を呑む。――無惨だと、思った。


「聖体、ならぬ生体――かろうじて生き永らえさせている肉の塊――じゃというが、さて」


 シドが何と言いたいのかは分かる。

 本当に生き永らえさせているつもりか、と言いたいのだろう。肉を人工の柱で支え、氷漬けにし、死の直後の状態で留めようと試みる。生と反対方向を向いた、死の彫刻じみた異常な景色。それは人間の悪辣さを見せつけられているような、邪悪な光景だった。


「これを私たちに見せた理由について、聞かせてもらえるか?」

「取引じゃよ。研究者」


 ウィルナーの問いかけに、シドは答える。


「お前、兵士たちの前では炎の研究者などと嘯いておったな。よくもまあ堂々と嘘を吐けたものよ。お前は、メリュジーヌの研究をしていたはずじゃ。違うか?」

「…………」

「沈黙は肯定と見る。……わしは、お前が望むものすべてを提供しよう。ここにある帝竜の肉体だけではない。施設には、他にも多数の竜の生体が保持されておる。施設に現存するものであれば、どんな竜の、どんな生体サンプルも。どんな情報も、わしはお前に与えよう」


 得体が知れない、と思った。

 提示された取引材料は、ウィルナーにとってあまりに適切で、非常識なほど魅力的だった。だからこそウィルナーは躊躇した。肉体的な死を厭わないウィルナーが即断を躊躇ってしまうほどに、老人は、こちらを把握しすぎている。


「……対価に何を求める?」


 取引をするにも、断るにも、条件を聞かねば始まらない。老人の正体は脇に置いて、ウィルナーは確認の質問を投げかける。


「メリュジーヌの意識が欲しいんじゃ」


 咄嗟にジーヌの口を塞いだ。もごもごと何か言っているようだった、予想通りである。きっと「お前なんかにオレの意識をやるか馬鹿!」みたいなことをシドに向かって叫んでいるのだろう。


「詳細を聞かせてくれないか」

「竜の肉体がまだ機能することが前提ではあるが――死骸のこれらに意識を植え付ける。神の半身として保管されている肉塊に、竜としての自我を与えて、神の計画を破綻させるんじゃ」

「それは……」


 この際、実現性は考えないにしても。

 老人の目標は致命的な問題を抱えている。


「貴方の目的は、帝竜メリュジーヌを蘇らせることに等しい。仮に現実となればスクルヴァンは滅亡するぞ。貴方も、貴方の孫であるソラさんも死ぬ。理解しているのか?」

「分かっとるよ」


 シドは「何を今さら」とばかりに首を振り、


「言っとらんかったか? わしはな、神が大嫌いなんじゃよ」


 と笑った。

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