第35話 猪の少女
「これはなかなか……」と嬉しそうに眼鏡のつるを握っているウィルナー。
「何が?」
「見てみれば分かる」
ジーヌの質問に、研究者は眼鏡を外して手渡してきた。訝しげに思いながらも、少女は眼鏡を受け取って装着した。
「何も変わらねえ――」
と言おうとしたジーヌの視界に、見慣れないものがよぎった。もの、というより、人だ。身長およそ百三十もないジーヌよりもさらに背の低い少女。ぼさぼさの短髪をかき上げ、ジーヌに向かって微笑む。八重歯が印象的で、運動が大好きそうな女の子だ。
ちょっと理解が追いつかなくなったので、ジーヌは目を閉じ、擦る。いったん落ち着こうと眼鏡を外し、再度見慣れない少女がいた方向を睨んだ。
短髪少女はいなくなっていた。代わりにぼたんがいた。
「…………」
ジーヌは眼鏡を掛けた。ぼたんがいた場所に問題の少女が立っている。ぼたんはいない。
「……………………。説明!」
「これは、ぼたんを擬人化して見えるようにする眼鏡だ」
つまり。運動大好きそうで八重歯が特徴的な見慣れぬ少女は、ぼたんなのである。
ウィルナー曰く、眼鏡を通した視界に映像を重ねているだけだそうで、実際に擬人化ぼたんに触れようとしてみたところジーヌの手は空を切った。
ここ暫くぼたんの姿を見なかった理由が、この装置の開発だった。猪の動作を人の動作に当てはめるため、設備の整ったトラウィスの街でぼたんはありとあらゆる動きを撮影されていた。意思疎通が可能であることから、サイカはぼたんへ聞き取り調査を行い、猪の動作映像と行動意図を紐付けた。結果、ぼたんがどういった意図の行動を取っているのか、を把握することが叶った。あとはぼたんの身体を適当にモデリングして映像出力する機能を眼鏡に実装して完成である。
出来上がった品がサイカから届いたので、お試ししてみた、ということだった。
「なるほど。で?」
「いや。それで全てだが」
「それで全てだァ? 冗談言うなよ」
説明を終えたつもりのウィルナーと、まだ納得していない様子のジーヌ。
本心から不思議そうにこちらを見る研究者に、少女はわずかにイラつきつつ尋ねた。
「ウィルナーよ。分からないなら訊いてやる。どうしてぼたんが全裸の少女になって見えるんだ?」
そう。
擬人化ぼたんは、素っ裸であった。潔白を証明するかのようにすべて公開されている。
「当然だろう。ぼたんは服を着ていない」
「配慮はねえのか!」
「ぼたんは気にしないと言っていたが」
「アア。キニシナイ」
「お前はそうだとしてもな……」
もちろんジーヌが言っているのはぼたん本人への配慮ではなく、ジーヌへの配慮である。好きな男が別の少女(ぼたん)の全裸を見て過ごすことになると知って、いい気分になるわけがない。
残念ながら、ウィルナーはそういうところへの配慮が完全に抜け落ちている。
ちなみに性格が最悪なサイカは意図的に配慮しないことにしている。その方が面白そうなので。
「いや! まァ、百歩譲って全裸なのはいいとしても、だ! 何故女なんだ! 男でいいだろう、男で!」
「……いや、素直に考えれば女になるだろう」
「意味が分からん。お前の趣味か?」
どうにも噛み合わない会話の末に、ウィルナーはジーヌに問う。
「趣味も何も、何故わざわざ性別を変える必要がある?」
「…………、…………。こいつ、女なの?」
「君、気付いていなかったのか?」
「…………」
「…………」
場が完全に沈黙した。
ウィルナーもジーヌも互いに言うべきことがあって、しかし何から言ったらいいのか分からず空気が硬直してしまっている。
「……メス、ダゾ」
おずおずとぼたんが挙手して、自分の性別を主張した。
眼鏡を掛けっぱなしのジーヌがぼたんを眺めると、ぼたんは恥ずかしそうにもじもじしていた。なんで性別を答えただけなのに恥ずかしそうにしてるんだこの眼鏡壊れてんじゃねえのか。
「分かった。とりあえずぼたんは雌な。了解した。よし、それはいい。悪かった。でもウィルナー、この眼鏡は許可できないから直せ。せめてぼたんに服を着せろ」
「要るか?」
「要るわ!!!!」
少女の咆哮が森の木々を揺らした。
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