第31話 再会の涙

 氷刃竜ユランとの邂逅から三日が経過していた。

 雪原を脱出したジーヌとぼたんは、森の中で野宿を続けている。出血多量で昏倒しそうになってから、ジーヌは一度身体を休めることにした。すると調子が戻るどころか余計に具合は悪くなり、昨日まではまともに走ることさえできない状態に陥っていた。

 隣にいるのは喋る猪だけ。

 騒がしい炎上男も、愛しの研究者もいない。

 動けないジーヌに代わり、ぼたんが木の実等の食料を採ってきて分かち合い休息する日々。今まで雑に扱ってきた猪に世話されるという状況は屈辱的でもあったが、心底からこちらを思いやる様子が微妙に可愛く思えてきたので、今後の態度改善を密かに決定した竜の少女である。


「……そろそろ行くか」


 少女は立ち上がり、身体を伸ばす。

 昨日まではまともに走れなかったが、今朝はすっかり健康体だ。

 氷刃竜ユランが追ってくる気配はなかった。諦めたとは考えにくいが、そもそもユランは他の竜と争っている最中のはずだ。それを放り出してまで優先する事項ではなかった、というだけだ。もし今後ジーヌを狙うことがあるとすれば、安定した地位を得、戦う相手がいなくなった後だろうか。


「だが……」

「ドコヘ、ムカウ?」


 ジーヌの言葉をぼたんが補完した。

 ウィルナーと約束した以上、彼が戻るまでの間、ジーヌは生き抜かなければいけない。生きることそのものは簡単だ、万が一にもユランのような脅威と直接対峙しない限りは、ジーヌが死ぬ要因はない。だらだら暮らすだけならいくらでも待つことはできる。

 しかし、ジーヌはできるだけ早くウィルナーと再会したい。

 だからウィルナーと再会しやすい場所を選びたい。彼と別れた場所まで戻ろうかも考えたが、少なくとも今は控えておくべきだ。あの場所は、ユランの生息地に近いはずだ。また再会するようなことがあれば逃げてきた意味がなくなる。

 ではいつになれば探しに行っていいのか、という問いに対しても、少女は最適な解を持たない。一週間ならいいのか、ひと月ならどうか、半年、一年なら。それを判断する役目の研究者が今は隣にいないのだから。


「…………、そうだな。トラウィスに行こう」


 悩んだ末に、少女は目的地を定める。

 前回の来訪では散々な目に遭わされたが、サイカはウィルナーに精通していて、またウィルナーを重要視している。事情を伝えれば、協力してくれる可能性は非常に高い。

 焔の男が役に立たなかったことの連絡がてら、ウィルナーを救う手段について相談してみよう。おかしな知識や技術をたくさん身につけているあの女だ、案外すぐにウィルナーと会えるようになるかもしれない。



 その予想は、見事的中することとなった。




 ジーヌは西方の砂漠地帯に辿り着くと、記憶を頼りにトラウィス周辺までやってきた。以前のように数年ぶりの来訪だったら街の近くまで来ることもできなかったと思われるので、そういう意味では、あのクソイベントも一応は効果的に作用していることになる。浴場での媚薬散布とか今後は本当にマジで止めてほしいけれども。

 トラウィスに来るのが初めての場合はここで無限回廊に囚われるのだが、ジーヌとぼたんは過去に街を訪れている。故に、分かりやすく巨大な門が見えてくる。砂の大地に立つ、武骨な鉄の二枚扉。砂山の中に埋まる異質な門は、まるで魔法か、計算されつくした美術品のようにも感じられる。

 錆びついた扉はわずかに開いていた。閉め忘れではなく、形状が歪んでいるのでもない。意図的に開放しているのだ。隙間から内に入ると、門番が少女に槍を向けた。


「あぁ? 死にたいか?」

「何者だ……って、ああ、ジーヌさんですか。どうぞ中へ」


 少女の角と尾を見て、門番はすぐさま武器を下した。


「サイカ様の屋敷までご案内しましょうか?」

「門を見張っとけ。お前の役割だろ」

「お気遣いありがとうございます」


 門番は爽やかな笑みでジーヌたちを見送る。

 門の先ではすぐさま空間が広がり、横幅数十メートルほどの階段が先の見えない地下へと続いている。灯りは少なく、全体的に薄暗い。一歩下るごとに地中へ落ちていくのだ、という感覚が強まっていく。進むほどに灯りは減少し、ついには暗闇に程近くなる。必然、歩くペースも遅くなる。自分の足音だけを頼りにして、ゆっくりと進んでいく。

 大階段を下り終えた頃に、再び灯りが増えてくる。さらに明るさを増す通路、遠くから聞こえてくる雑踏。通路を進んでいくと、急に空間が開け、巨大な街が来訪者を歓迎する。

 来訪者が必ず通過する闇と光のトンネル。一度闇の中に落とし、そうして灯りで安心感を与える。まるでトラウィスが楽園であるかのように錯覚させる為の作りだった。逆に街を出ようとする場合、暗闇の中を上り続けることとなる。一歩ごとに足は重くなり、光は見えず、諦めたくなる。精神的負荷をかけ、脱出を困難としているのだ。

 無論、そのトンネルは普通の住人や来訪者が使用することを意図しており、街の主であるサイカ、それと重要なゲストであるウィルナーおよびジーヌには別の移動手段が提供されている。端的に言うと門の近くにエレベーターが隠されている。しかし使用にはパスコードと生体認証が必須で、コードの記憶をウィルナー任せにしてきたジーヌは利用できなかったというわけだ。

 トラウィスの街を眺める。地下とは思えない明るさ、賑わう街の中で、最も大きな建造物がサイカの屋敷だ。巨大ではあるが装飾の類はほとんどなく、長方形が組み合わさったシンプルな構成。病棟のようでもあり、街を統べる長の屋敷にはとても見えない。

 屋敷の入り口に鍵はかかっていない。施錠の必要はどこにもない、サイカに対する脅威はこの街のどこにも存在しないのだから。通路を進み、サイカの部屋の前までやってくる。

 扉をノックもせず、ジーヌは中に入って叫んだ。


「サイカ! ウィルナーが大変なことになったんだ!」

「やあ、ジーヌ。数日ぶり」


 サイカはいなかった。

 代わりに、大変なことになったはずのウィルナーが部屋にいた。

 さすがに想定外すぎて、叫んだ体勢のままジーヌが固まった。硬直が解けるまでたっぷり五分を費やし、それからジーヌは改めて研究者の名を叫んだ。


「ウィルナー!」

「心配させたようだね。すまなかった」

「お前ェ……本当に……ぐずっ」


 少女は泣きだした。あまりにらしくない言動に、今度はウィルナーの方が固まる。

 ジーヌは少女となってからウィルナーと長期間離れることがなかった。元々は彼への興味と、貧弱な存在を見守らなければいけないという使命感から。次第に恋しさや愛おしさで。いつ会えるか分からないという不安に苛まれながら孤独を過ごすことがなかった。

 そんな、彼女自身でさえも把握できていない不安が解消され、安心と共に零れた涙だった。


「ウィルナーぁ……」


 研究者の方は、ガワも含めて外見上は元通り、氷刃竜に壊される前の状態に直っていた。僅かなデータの欠損はあるが、研究活動に支障はない。泣きじゃくって近寄ってきた少女を抱き留め、頭を撫でる。


「うぐぅ……良かったぁ……。マジで……」

「いろいろと話すべきことはあるが、それよりも。君と再会できて良かった。約束を果たすことができた」


 ウィルナーの声を聞いて、ますます少女は泣いた。

『君が自暴自棄にならないように。君が死を選ぶことがないように。私は、何を費やそうとも君の元に戻ると約束しよう。だから君は絶対に死ぬな。戦いを避け、花を守り、また私と会うまで生き延びろ』

 ウィルナーはきちんと約束を守り、こうして少女の前にいる。


「約束……」


 ならば、少女も約束を守らなければ。


「ああ、オレも約束を守った。生きて、それから――」


 ジーヌは懐に忍ばせてあった小箱を取り出し、ウィルナーの前で開く。


「花も、ここにある」


 休息していた三日間、心も身体も弱っていた期間、ジーヌは花を見て約束を思い出していた。ウィルナーがいつか自分の元に帰ってくることを誓ったのならば、自分も彼から預かったこの花を、飛竜花のドライフラワーを守り、返さなければ。

 少女は両手で小箱を支え、男の前に差し出した。溢れ出る喜びを湛えた頬に、少女の涙が伝う。

 瞬間、


「――――、

 

 ウィルナーの記憶が同期した。

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