第30話 人の性

「距離がそう遠くなければ、転送座標の指定もできるのだけれど。遠くなると、そうもいかなくって~」


 ウィルナーの義体を作りながらサイカは話している。

 全身の機能を代替するパーツのスペアは、漏れなくサイカの元に置いてある。通常、数年に一度の定期的なメンテナンスで来訪したときにしか使われない部品だが、現在それらすべてが作業机の上に並べられ、匠の早業により組み上げられている。骨組みはおよそ完成、臓器と肉体部分を配置中。着々とウィルナーの肉体が出来上がる。

 ウィルナーの意識が込められたチップはというと、ひとまず保存領域から意識の移行は完了。回路へのダメージで一部データが欠損したが、消失の危機は避けられた。さらに聴覚機能とスピーカーを繋いである。サイカの声を聞くことと音声出力が可能なので、既に他者との意思疎通は可能となった。


「なるほど。だから、彼を使ったのか」

「正解~。あの男の灰を転送用の楔にしたのよ~」


 デスク上に置いてあった焔の男の指を、サイカは抓んで持ち上げる。にっこり笑ってピースをした。決めポーズなのだが、残念ながら視覚を持たない今のウィルナーにはまったく見えていない。

 対象物の転送技術をサイカはとうに確立させている。ウィルナーも経験済みだ。ウィルナーたちがトラウィスの街を訪れた際、地上からサイカの部屋までの短距離転送が行われている。あの時、彼らは砂の中に飲まれたにも関わらずすぐに砂粒の感触が消え、闇のトンネルを落ちるような感覚を抱いた。トンネルの正体は、物質転送時の亜空間である。

 僅かな距離――具体的には、トラウィスの街中と周囲の砂漠――であれば転送対象・座標の指定は可能だが、それ以上となると現時点のサイカの技術では実現できていない。しかし、という条件の下で動作させれば距離の制限はなくなる。

 サイカは事前に焔の男の破片を自室に置いておき、焔の男が死亡したタイミングで転送が起きるように設定していた。その身体が付着した物すべてをトラウィスに、サイカの部屋に運ぶよう指定した。

 焔の男がサイカの命令を絶対のものとして扱うのならば、ウィルナーの前に必ず焔の男が死ぬこととなる。もしその時点で焔の男の周囲にウィルナーがいれば、続いて死ぬのは間違いなく彼だ。そうでなくとも危機的状況に陥っていることは確かである。

 彼女の予測はある程度までは適切に働き、ウィルナーはトラウィスまで転送されてきた。ただし、粉々の破片となった姿である。まさか愛しき研究者がバラバラ死体になっているとは思わなかったので、焔の男に対する信頼度が急降下しているサイカであった。

 どうやらしっかりと躾けないといけないようだ。


「にしても……う~ん」

「直るか?」

「直すわぁ。けど、もう少し待ってね~」


 手を動かしながらサイカは悩んでいる。

 完全に破壊されてしまった義体に、どこまで身体機能を戻すべきか。肉体を徐々に挿げ替える形で機械に変えてきた経緯から、基本的にウィルナーの身体は生身の人間と遜色ない機能が実装されていた。ただ、それを完全に再現するには相当の時間がかかる。とりあえず身体を取り戻すべきこの状況では、極力機能を省いておきたい。


「ウィルナー。相談なんだけれど、どこまで欲しい?」

「何を?」

「人間としての機能。たとえば、味覚とか、嗅覚とか、あとは……生殖行為に関する部位とか~」


 にっこり笑顔で是非を問う。

 ウィルナーは即答した。


「必要ない。できるだけ省いてくれ」

「あら~。そんなに早く動きたいの~?」

「そうじゃない。んだ」


 想定外の返答に、サイカが目を細める。真意を窺うように、静かに質問を重ねた。


「それは何故?」

「人間の悪性を改めて認識したから」


 ウィルナーは答える。

 悪と断じるだけの出来事。いくつもの情報から導き出したそれは、まだ予測の範疇を出ていないが、大きく誤ってはいないだろうと彼は思っている。

 研究者はずっと考えていた。

 竜の争いはどうして起きたのか。

 最初は種の頂点を争っているのかと考えた。帝竜メリュジーヌの後を継ぐ、次なる王の座を巡った闘争。それもあるかもしれないが、だとしても時期が遅すぎる。メリュジーヌが討伐されてからゆうに三十年は経過している。いくら竜の寿命が長いとはいえ、何も無しに動き出すというのは違和感を覚える。

 争いが発生する切欠となった何かがあるはずだった。

 氷刃竜ユランの発言から、ウィルナーは切欠を予測した。ユランの言葉が真実であるとすれば、氷刃竜には貧弱な子供がおり、行方不明になっている。「お前がボクの子供を攫ったのだろう」という当てつけは、敵対する竜との覇権争いを起こすに足る理由となるはずだ。

 ただし、竜が子供を攫うかといえば、ウィルナーは否を返す。研究者が知る限りでは、敵対関係にあるとはいえ子供を攫うような真似はしない。搦め手よりも真っ正直な対峙を行うはずだ。相手が滅びることになったとしても、それは真っ当な勝負の結果であり、弱みを握っての一方的な暴虐ではない。

 子供を攫うような悪辣さは、竜に力で対抗できない者こそが発揮する性質である。

 少し思考を逸らし、別の事件を思い出す。

 ぼたんは竜を喰った猪だ。街と近い森に生きていたが、生後間もない竜の子供を喰ったことで竜としての特性、高い知能を得た獣だ。

 ここに一つ異常がある。本来、人里の周辺に竜の子供などいない。

 さらに関連して、異常な光景が思い当たる。飛竜花もそうだ。飛竜花は通常ならば人の寄り付かない僻地にのみ根付く花であり、竜の巣は飛竜花の生息地に作られる。

 竜の子供も、飛竜花も。街の近くに存在するはずがないのだ。

 飛竜花は竜以外の生物を殺すほどの強い毒性を持っている。だが、ウィルナーの人工肺がそうであったように、人間は毒に対処する方法を知識として習得している。毒に対処する前提であれば、飛竜花を利用して竜以外の獣を排斥する比較的安全な行路を作り出すことができるだろう。

 そして別の情報を追加する。ユランと出会った雪原における、ぼたんの様子だ。ぼたんは冷たさを心地好く感じているようではあったが、一度たりとも寒さを訴えたことはなかった。耐寒装備のおかげかと思っていたが、仮にそうではなかったとしたら。喰った竜が元々寒さへの耐性を備えていたとすれば、竜の特性を得た猪が寒さに強くなるのは必然である。


 つまり。

 争いが起きたのはユランの子供がいなくなったからであり。

 ぼたんが喰った竜は、氷刃竜ユランの子供であり。

 子供を攫ったのは、街に住む人間である。


 何を目的にしているのか、どこまでが意図した内容なのかは分からない。けれど、おそらく、今回の竜たちの争いは人間の悪意が切欠となっている。

 だから人間になりたくない、とウィルナーは主張した。

 サイカは「まぁ~その通りねえ」と呟いた。


「人間は醜い種よぉ。生存の為の悪意に限度がない、酷い生き物なのでしょうねえ~。でも、だからといって貴方が人間から遠ざかる必要性はないんじゃない? ただ嫌い、というだけで遠ざかるのは、合理性に欠けると思うわぁ~」


 多少とはいえウィルナーは街の施設を利用している。時折だが何でも屋として依頼をこなすのも、人間の文明を使いたい場面があるからだ。自然、街の人間とも多少なり交流は出てくるのだから、人間らしさを維持していた方が何かと都合がいいのは道理だ。

 人間としての機能を極力捨てるということは、街に馴染めなくなることを意味しているのだから。


「そうかもしれない。けれど、なんとなく、そうしたいんだ」


 なんとなく、とウィルナーは言った。

 感情論。気分の問題。

 そういった答え。

 当然だ、ウィルナーの中に答えは存在していない。解答となるべき感情は欠落してしまった。回路へのダメージで欠損した一部データとは、ジーヌへの想いである。自覚なき想い、失われてしまった心こそ、ウィルナーが人間から遠ざかりたい理由だった。

 ウィルナーは、ジーヌに嫌われたくなかったのだ。

 竜から少女になったとはいえ、ジーヌの性格や性質は竜に寄っている。だから、争いの発端が人間の悪性にあると知れば、少女は人間を強く憎悪するだろう。ウィルナーは無自覚に予感していた。

 人間というカテゴリの中に、無論ウィルナー自身も該当している。たとえ全身が機械に置き換えられていたとしても、ウィルナーはいまだ人間として自己を定義している。

 嫌われたくない。

 絶対に嫌われたくなかった。

 研究素体から距離を置かれると困るから、ではない。竜の少女を研究し足りないから、などではない。

 ウィルナーは、あの時――氷刃竜と会う直前、ジーヌと再会を誓った時――ジーヌと失うのが恐ろしいと思った。少女のことを想い、少女との日々を想い、愛おしいと思った。あの場面で、ウィルナーは少女に対して確かな愛を抱いていたのだ。

 けれど、その感情は失われてしまった。

 ただ、その残滓が、嫌われたくないという意思として現れている。


「…………。なんとなく、ねぇ~」


 サイカはぼやきながら、機械の身体を組み立て続けた。

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