第8話 勝負の風呂
「ウィルナー、食えそうな野草いっぱいあったぞ」
ジーヌが戻ってくると、男は全裸だった。その痩せ細った身体のすべてを何一つ隠すことなく大自然に曝け出している。
「――――」
「ああ、ジーヌ、ありがとう。その辺りに置いておいてくれ」
ウィルナーはいつも通りの声色で言った。努めて平静を保っているということではない、そもそも裸になっている状態に対して抵抗の感情が確認できない。見た、見られたといったような事柄に、恥じらいの感情が微塵も発生していないようだった。
「――――」
「うん? その辺り、という指示が不適切だったかい。端末の隣にスペースが空いているだろう、そこだ」
ジーヌは停止している。
いや、裸の男を見るのが初めてというわけではない。竜は一般的に服を着ていないので、帝竜として竜を統べている頃には全裸の雄なんて何度見たかも分からないくらい目にしている。
だが、好意を抱いている男の裸を見るのは生まれて初めてだ。男にしては貧弱に過ぎる針金のように細い身体、あばら骨が浮き出ている。抱きしめたら折れてしまいそうだが、まあ正直それはどうでもいい。
いきなり全裸をぶつけられたショックで、ジーヌは動作停止に陥っている。
「――――」
「どうした? そんなふうに固まって、何かあったのか?」
ジーヌの停止を不思議に思ったウィルナーは、何一つとして隠さず、堂々たる歩みで少女に近づいていった。歩くたびに大地が揺れているとジーヌは錯覚した。
「――――、ま」
「ま?」
「先ず、服を、着やがれ変質者が!!」
「お前の暮らしていた街では全裸で少女に近づいても捕まらないのか?」
下着と白衣を着たウィルナーは、少女の前で正座させられている。衝撃的なものを見せた罪は深い。
「私が全裸で近づいたのは竜だ」
「オレは女の子だ」
ジーヌは内心で「都合のいいときだけオレを竜だと呼びやがって……」とイラついた。ウィルナーは内心で「都合のいいときだけ自分を少女だと言うんだから……」と嘆息した。
意識しないところで息の合う二人である。
「で、何してたんだ?」
「湯に浸かろうとしていた」
「湯? 近くに湧いてるのか?」
「いや、違う。これだ」
ウィルナーが指差す先には、人間一人がすっぽり入る大きさの缶が置いてあった。中には水がたっぷり入れられている。
「オレに焚けってのかよ」
「ああ。寒くて仕方ない。全力で頼む」
ならまだ服脱がなくていいだろうに、と思うジーヌである。
「この缶には猛烈な勢いで熱を放出する液体を塗布してある。計算上は、五分ほどの間なら君が缶を燃やそうとしても湯が温まる程度の熱で抑えられるはずだ」
「おォ……言ってくれるじゃねえか」
つまり、勝負の内容はこうなる。
ジーヌはウィルナー開発の耐火液塗布ドラム缶風呂を熱だけで五分以内に破壊させられるか、否か。なお加熱状況を確認すべく、水の状態からウィルナーが入浴する。それに伴い、安全に配慮しウィルナーは濡れ布をかぶって炎の直接攻撃を回避する。
「いくぞ!」
「よしこい」
肘から指先までの皮膚を爪で傷つけ、流れた大量の血を缶に塗りたくる。猟奇事件でもあったかのようにすっかり血で染まった缶に息を吹きかけると、すぐさま缶は炎上した。
ウィルナーは水が温まってきたことを感じる。
血をさらに追加。炎の色が変化、温度が上昇する。強度を考えれば融解してもおかしくない熱の直撃を受けても、缶は何の変化もない。水が完全に湯になった。
ジーヌは呼吸の続く限り息を吐き続ける。炎は渦を巻き、缶を包んで全方位から熱を加え続ける。それでも缶は溶けることなく、また燃え尽きることもなく湯を沸かす。ウィルナーは鼻歌を歌い始めた。
その後、五分間に渡ってジーヌは缶を燃やそうとしたが、缶は無事だった。
勝負はウィルナーの勝利となった。ウィルナーは久々に浸かった湯の快適さに眠くなってきた。
「いい湯だ……」
「かーっ! 死ねテクノロジー!」
このまま安眠できそうなウィルナーの様子に限界が訪れ、ジーヌは最後だとばかりに缶に両手を触れさせた、指と指を合わせて歪な筒型を形作ると、穴から息を吹き込んだ。指向性を持った炎、もとい爆発が発生し、缶の表面を衝撃が襲う。耐火液の効果で熱的防御は高い缶だが、衝撃を吸収する効果はない。その威力は缶を通して湯に伝わり、四方八方に広がるはずの湯は缶に遮られ、結果として唯一の逃げ場である上方向へと噴き上がった。内容物ごと。
分かりやすく言うと、湯の噴水が起きてウィルナーが上空に吹き飛んだ。
当然ながら全裸である。
全裸の男が華麗に宙を舞う。時間がスローモーションになった。直立姿勢で上昇するウィルナー、何故か身体の前でクロスに腕を交差させるウィルナー、前方向に回転するウィルナー、貧相な両脚で見事着地するウィルナー、勢いを殺し切れず顔面から転倒するウィルナー。ジーヌはいろいろなウィルナーを目撃した。
顔面をしたたかに打ちつけた後、男はぴくりとも動かない。
「……大丈夫か?」
ジーヌは動かないウィルナーに近づく。検証方法が馬鹿の所業だったとはいえ、事故の原因は少女なのでちょっぴり気にしてしまう。顔面を打ったくらいで気を失うほど貧弱ではないはずだが、だとしても顔に傷とか付いていたらどうしよう。勿体ない。
ウィルナーが急に起き上がった。顔は無傷だった。ジーヌを見ると、興奮した様子で少女の手を握る。
「今一瞬だけだが火傷しそうなほど湯が熱くなった。私が指定した五分は過ぎていたが、まだ耐久度には十分余裕があったはずだ。君の炎が私の想定を超えた可能性があるぞ、ジーヌ、頼むもう一度試してみよう」
「服を着ろ」
元気に喋り立てるウィルナーに、ジーヌは胸を撫で下ろした。
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