ドラゴン少女は研究者に恋をする

大河

プロローグ

第1話 二人の朝

「おい! 起きろウィルナー!」


 鬱蒼とした森の中に少女の声が響いた。

 聞き慣れた音で目を覚ますと、ウィルナーと呼ばれた男は上半身を起こした。薄汚れた白衣を着た痩身の男だ。ひび割れた丸眼鏡を無意味にかけている。男は澱みのない動きで立ち上がり、首を右と左に一度ずつ回す。両手を合わせて掌を身体の外に向けて腕の筋を伸ばす、のち、屈伸を三度。軽い運動を済ませてから声の主たる少女のもとに向かう。

 寝起きとは思えない、機械じみた動作だった。


「遅いぞ! 三十秒も待たせやがって。まったく」

「いつも通りじゃないか」


 少女は簡易設営のテントから出てきた男を罵倒する。

 ウィルナーの朝は少女ジーヌに起こされる場面から始まる。昨日も一昨日も、一年も二年もその前からずっと同じ声で呼ばれ、似たような言葉を叩きつけられている。大昔には可愛いと感じた時期もあったはずだが、今では目覚ましと同等の価値しかなくなっていた。


「おはよう、ジーヌ。朝飯だろ。少し待っていてくれ」


 ウィルナーは携帯保管庫から食材を取り出す。朝飯とは言うものの、保存してある獣や魚を捌いて、焼く、煮る、炒める、いずれにしても火を通すだけだ。作業手順としてはそう難しい内容ではないはずだが、少女はいつまで経ってもウィルナーを呼ぶばかりで手伝おうとさえしない。

 手伝わない以上は上達するはずもなく、結果、日々の料理はウィルナーの担当となっている。


「君、一度くらい手を貸そうとは思わないのかい?」

「オレが? ハッ、馬鹿言うな」


 物は試しとぶつけた問いを、ジーヌは一蹴する。

 何もしていない割に偉そうだ。


「ま、火ィ付けるくらいはしてやる」


 ジーヌは周囲から小枝や枯れ葉を拾い集めると、山型に組んでから距離を置く。牙かと見紛うほどに尖った歯で親指を挟み、皮膚を噛み千切る。真っ赤な血が指から零れ、わずかに流れた。

 鮮やかすぎる紅。

 を、口元に構える。

 大きく息を吸い込んで、吐き出した。彼女の息が血と接触した瞬間に空気は炎と化した。灼熱の炎が目標めがけてまっすぐに伸びていく。炎が到達した瞬間、小枝は容易く着火した。激しく音を立てて燃え上がる。


「ほらよ」

「ありがとう。助かるよ」


「もっと感謝してもいいんだぜ!」とふんぞり返っているジーヌの頭を撫でる。

 左右合わせて二本、存在を主張する角を避けるようにして、撫でる。

 少女の口には人間から到底かけ離れた形状の歯が、牙が生えている。少女の肌は鉄のように硬く、並大抵の剣ならば弾いて通さない。二つに結った髪は、その先端に近づくにつれて深紅色に変化している。少女の着用する衣服の隙間からは筋肉質な太い尾が見え隠れしている。


 少女の血は炎を呼び、万物すべてを焼き尽くす。


 ただの人間であれば異常であるそれらは、しかしジーヌという少女にとって当たり前の状態だ。彼女は竜である――かつては竜であった。竜として生を受け、少女となった存在。

 ウィルナーはジーヌの頭から手を離し、食材を焼きにかかった。ぶつ切りにした肉類を、枝を使って串刺しにしてから焚き火の周りに立てて並べる。


「いつもより数多いな!」


 並んでいる肉類を見て、ジーヌがはしゃいで言った。ウィルナーは「それはそうだろう」と頷いて、


「残っていたものを全部焼いたからね」

「いや、なんで全部焼いたんだよ。ついに頭に蛆でも湧いたか?」


 ウィルナーが即座に返せたのはぎこちない笑みだけだった。平時なら「ほーん」とか興味なさそうに言うだけなので、まさかまともな返答をされるとは思ってもみなかったのだ。元竜に行いの拙さを諭される経験など、もしかしたら人類史上初かもしれない。


「え、本当にどうにかした? さすがに大丈夫だよな?」

「……心配ない。少し意外だっただけだ」


「何が?」と首を傾げる竜の少女をスルーして、ウィルナーは説明を始めた。


「目的地はすぐ近くだ。近隣の街を襲っている獣がいる」

「狩りか」

「ああ」


 狩り。すなわち、今日の仕事だ。

 ウィルナーとジーヌは極力人と関わらないよう、二人きりの旅をしている。だが、文明の一切を断っているわけではない。日常的にテントで寝泊まりしているし、食料や資材を持ち運ぶのに携帯保管庫を利用している。そういった文明の利器を手に入れるために行っているのが、何でも屋、もとい狩人。

 主には街で必要な物資が手に入るだけの依頼を集めてこなす。何でもするのは事実だが、手軽に多額の金銭を得る依頼となれば自然と厄介者の排除が多くなる。故に、事実上の狩人というわけだ。


「なるほどな。もうすぐ肉は手に入る、報酬で加工品も買える、と」

「そうだ」

「だから全部焼いて今日は宴というわけか」

「その通り。たまにはいいだろう」

「そうだな! たまには騒ぐか! ……じゃねえわ。急に知能落ちるのバグかなんかか?」


 依頼未達のときの可能性を考慮しろ、と説教し始めたジーヌである。食い物に対してだけは強い関心と真っ当な思考があることを、長い付き合いで初めて知ったのだった。その後、しきりに反省を促されたウィルナーだったが、「なら料理を手伝ってほしい」と伝えるとジーヌは沈黙した。

 他者の領分にはめったやたらに踏み込まない方がいい。

 竜の少女は少しだけ賢くなった。

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