木漏れ日をはじくのは
畠壮
木漏れ日をはじくのは
あなたを抱き上げたとき、私はとても嬉しかったわ。私を苦しめていた空虚な穴が、瞬く間に塞がったの。あなたは神様が下さった天使に等しい。
だからほら、よーしよし、泣きやんで。
これからいろんなことを覚えていかなきゃならないわ。私も親からみっちり仕込まれた。何せ生きていく上で、とても大切なことなんだからね。実際、息子はあっけなく死んでしまったわ。私のやることをようく見ていなかったから。
どんなときでも、私から離れてはならないわ。この森にはたくさんの危険が潜んでいる。例えばそこに、細かい毛に覆われた植物が見えるでしょう? あれは絞殺草と言ってね、揺らすとあの毛が飛散するの。それを吸ってしまうと、毛が喉に引っかかって息ができなくなる。毛は植物の種。生物の血を吸って瞬く間に成長する。
息子は、そうね。口から絞殺草を生やした恐ろしい姿になって死んだわ。生き物に寄生する植物だから、絶対数は少なくて、注意を怠らなければ滅多にあれで死ぬことはないの。――ほんと、おバカな息子だった。無邪気で、可愛かったのよ。それなのに――、いえ、よしましょう。私にはあなたがいるのだから。
狩りの仕方を教えるわ。あの憎い絞殺草を使った狩猟法もあるのだけれど、幼いあなたにはまだ早いわね。
狙う獲物はうさぎよ。方法は簡単。罠を仕掛けて待つだけ。
木の枝で檻を作るのだけれど、中々難しいのよね。こうして、こうやって、ほらやってごらんなさい――。
まあ、上手じゃない! これならあっという間に上達しそうね! あなたはとても華奢だし、非力な分、とても器用なのね。私の長い腕と、無骨な手ではなかなかそう簡単には作れなかったもの。神様に感謝しなくてはね。
捕まえたわね。あなたの檻は私が見てきた中で一番良くできている! 息子が作ったやつなんか、うさぎがちょっと暴れただけで壊れちゃってよく逃げられていたのに。
さあ、うさぎの頭を殴ってちょうだい。非力なら、そこらの石を使って殴ればいい。気絶させなきゃ解体できないからね。――え? うさぎが可哀想? それはどういうことかしら? うさぎを食べなきゃ私たちは生きていけないのよ? まあ、どうして泣いているの? あなたは、とても優しいのね。可哀想なんて、思ったこともなかったわ。ましてそんなに泣くだなんて。いい子、いい子。私の大切な娘よ、どうか泣きやんで。いきなりやれって方が無理だったわね。ようく見てなさい。生きるためには、他者を食わねばならないのよ――。
なあに? いつになったら母さんのようになれるのかって? 大丈夫よ、安心なさい。いつかあなたも、私のように腕も長くなって、その身体を立派な体毛が覆ってくれるわ。それまでは、そのララの大葉を使って身体を守りなさい。あなたは他より、とても傷つきやすいのだから。
――しっ! 静かに。音をたてずに、私の後ろへ。
あいつらは、最近この森を侵犯する不届き者よ。これ以上深く、森に入り込まれたら、私たちがどうなるか、よくわかってるわよね? 絶対にこの先には立ち入らせてはならないわ。私たちの聖地を汚されるわけにはいかない。
あいつらの目的は、よくわかっていないの。ただ迷い込んでしまった者ならいいのだけれど、鉄の武器を携えた者はとても危険ね。そう、ちょうど川辺で休んでいるあいつらみたいなのはとくに。
さあ、離れましょう。あの人数に見つかってしまうと、とっても危――――。
* * *
狙いすまして放った一矢が、空を裂いて猿人の肩に突き刺さるのを、大樹の枝に立つコレットは見た。
「くそっ、外した!」
首を狙った一撃がわずかに逸れてしまったのだ。
猿人が藪を揺らしてよろよろと逃げ去っていく。仕留め損ねたうえに、獲物を逃してしまうと副団長としての面子が立たない。川辺で休憩している仲間に聞こえるよう、コレットは指笛を吹いた。
甲高い笛の音に、川辺にいた男たちがさっと森の方へ振り返った。それぞれが大急ぎで各々の武器を携え、森へと分け入っていく。
「コレット! 猿人を一撃でやれんかったんかあ?」
野太い声でそう叫ぶのは、仲間たちよりもひときわ図体のでかい男。年季の入った革鎧に身を包み、背には大振りの大剣を携えている。無精髭をいじりながら、ガレルはなおも叫んだ。
「おい! 返事をせんか返事を!」
指笛よりも反響するどら声に、頭上からやや申し訳なさそうな声が応じる。
「すまないガレル。その通りだ。しかも、見失ってしまった」
「気にすることじゃねえが、しかし、お前が獲物を見失っちまうってのも珍しいなあ」
するすると木の幹を伝って降りてくるコレットに、ガレルはそう声をかけた。
コレットは首を振って答える。
「あんな図体のでかい獲物なのにね。――それにしても、ここら辺は葉の大きいララが密生してるから、木上にいても視認が困難だわ。そう遠くには行っていないだろうけど」
立ち止まった彼らは周囲に目を凝らす。コレットの言うように、あたりは人の背丈よりも高く、笹の葉を巨大化したようなララと呼ばれる植物が密生していて、かなり視界が悪い。神経を研ぎ澄まして気配を探るも、梢を飛び交う小鳥のさえずりが聞こえるばかりで、猿人が近くにいるとは思えなかった。ララを掻き分ければ音がするはずで、もしかしたら木の枝を伝って逃げているのかも知れない。
「川でテントを設営するチームと、猿人を仕留めるチームとに分かれるしかねえ。森林開拓のためには、獰猛な猿人どもを森の隅へと追いやらねえとな!」
ガレルの指揮で男たちは二つのチームに分かれた。
男たちの着用する鎧には、剣を咥えた狼の紋章が付いていた。近頃、急速に名を上げている傭兵団のエンブレムだ。
強者どもを束ねる団長〈魔獣狩りのガレル〉の二つ名こそ、彼らが無力な人々や近隣諸国に頼られ、引く手数多の傭兵団となった所以である。
猿人がいた近くのララの葉には血が飛び散っており、よく見ると、点々とその血が森の奥へと続いていた。
* * *
「猿人は人にあらず、野蛮なる獣なり」
草を掻き分け、先を行くガレルの呟きに、コレットは思わず笑った。同道するほかの仲間たちも笑いを堪えきれず吹き出している。
名言めいた文句だが、これはガレルの持論であって、人に危害を加える存在はみな、例外なく彼に獣呼ばわりされてしまうのだった。
「あん? なにが可笑しいんだお前ら?」
振り返り、眉をひそめる団長に、コレットは答えた。
「いやなに、そういえば、ガレルの可愛い一人娘が口達者な青年に奪われたときにも、似たような文句を聞いた気がしてね」
「気のせいじゃないっすよコレットさん! あいつは人にあらず、野蛮なる獣なり、ってそりゃあもう耳にタコができるぐらい、俺らも聞きましたからねえ!」
どっと笑いが起き、ガレルは顔を赤くして叫んだ。
「うるせえぞお前ら! 近くに猿人がいるんだから静かにせえ!」
笑い声よりも大きなどら声に、また笑いが起きる。
ガレルは憤然とした顔を装いながらも、どこか楽しげに森を進んでいく。
魔獣を狩るのは無論、命がけの仕事である。それは団員みんなも承知していることだし、現に大切な仲間を失ってもいる。けれどこうして風通しのいい傭兵団であり続けているのは、ひとえにガレルの人柄と人望の厚さにあると、コレットは見ている。
(魔獣に、目の前で両親を奪われてなお、私を抱きしめ心配してくれた……)
コレットは、ガレルの幼馴染であった。
二人が生まれたのは、どこにでもある小さな村だ。裕福とは無縁の暮らしだったけれど、子供ながらにこれほど穏やかで幸せな日々はあるまいと確信していた。いずれはガレルと結ばれて、新たな家庭を築いていきたいなんて、ませた夢を抱いてもいた。
神は無情であると知った、あの日。
コレットはガレルの家で一緒に遊んでいた。突然家に激震が走ったかと思うと、壁をなぎ倒した魔獣が目の前にいた。瓦礫に足が挟まってもがくガレルの父を、魔獣は容赦無く喰らいつき、引き千切った。ショックを受け、白目を向いて倒れたガレルの母も、すぐに魔獣の腹に収まっていた。物陰に隠れた二人は、その様子を傍観することしかできなかった。その間、ガレルはコレットの口を塞ぎ、震える体を抱きしめてくれたのだった。
こうして魔獣を憎む二人の人間の出来上がり。
なんて陳腐で、残酷なのだろう。
「おい、コレット! ぼけっとすんな! これを見ろ」
ガレルの呼びかけに、はっと我にかえったコレットは見た。
いつの間にかララの群生地帯を抜け、視界が利くようになった森の中に、突如として無数の檻が積み重ねられている。中には何匹もの可愛らしいうさぎが、忙しなく鼻をひくひくさせていた。
「なに、これ? いったい誰のしわざ?」
思わずそう呟くコレットに、仲間のひとりが答えた。
「猿人の仕業だとは思います。よく、この森に入った猟師やなんかが、奴らの仕掛けた罠を見かけてますし、一度見せてもらったこともあります」
そう言いつつ、彼は首を捻りながらつづけた。
「けど、これはなんだか、精巧に出来すぎているんです」
彼の言うとおり、継ぎ目となる蔦の結びや格子の均一な間隔を見るに、丁寧すぎるものがある。しかも、それがいくつもとなると、猿人が作ったのかと疑わしくなる。
「猟師が仕掛けたんじゃないのか?」
「いえ、それはないと思います。彼らの使ってる仕掛けは鉄製ですから、こんな木製のものは作りません」
「わかったぜ俺は、人間の仕業だ!」
「ガレル、こんな奥まで来る人間は、私たちぐらいだろう」
「おいおい、コレット。いつもの観察眼はどうした? 足元を見ろ、人間の足跡だぜ」
ガレルの太い指の先、少し湿り気のある地面にはたしかに、人間の足跡がくっきりと残されていた。それはララの群生地帯とは反対の、緩やかな登りになってる斜面へと続いていた。
「こんな些細な痕跡に、あのガレルが気づくなんて。悪いものでも食べた?」
「食べてねえよ。俺は意外に視野が広いのさ。――にしても、この大きさだと、もしかしたら子供の足跡じゃねえか、これ?」
「しかも、素足だね。こんな深くにまで子供が迷い込んだんだろうか? うさぎの入った檻はそいつの仕業? んー、よくわからない。――どうするガレル? このまま猿人の探索を続けるか、それとも――」
「そりゃあ決まってるぜ。猿人に襲われちまう前に、子供を保護するのが優先だ。さあ行くぞお前ら」
* * *
急に陽が翳り、森の中がさあっと薄暗くなった。梢を透かして空を見れば、暗い雲が空を覆っている。先程まで快晴と言って差し支えない天気だったのに、こうも山の天気は移ろいやすいものなのか。
雨を予感させる雲行きに、ガレルは内心で舌打ちした。もう正午を過ぎてから、結構な時間が経っている。迷い込んでしまった子供を保護するにしても、テントの設営地まで戻らなくては危険である。
(雨だけは勘弁してほしいぜ)
辿っている足跡が消えるばかりでなく、自分たちの体温を奪い、手負いで気が立っている猿人の接近を察知しにくくなるのだ。
一行はガレルを先頭に、縦列となって進行している。コレットを含め弓を扱うものが三人、ガレルの後ろについている。短槍を扱う二人は少し離れて殿を務めていた。
ガレルはさきほどから、妙な胸騒ぎを感じていた。腰に差した短刀の柄をずっと握っているのもそのためだ。団員の中でも優れた兵を連れてきているから、戦闘になっても問題はないはず――なのに、どうも落ち着かない。そうガレルが思ったときだ。
「ガレル!」
コレットの叫び声がすると同時、ガレルは地面に伏せていた。
すぐの頭上を何かが勢いよく横切った。何事かと、過ぎ去った方を向けば、長く垂れた蔦にしがみついていた人影が、ちょうど木の枝に飛び移るのが見えた。
くるりと振り向くその姿は、まさに少女のそれだった。ララの大葉に身を包み、伸び放題の黒髪から覗く、鋭い眼光には明らかな敵意がこもっている。右手には粗く削った木の杭が握られており、おそらく先にガレルの首を狙った得物であろう。
弓を構える仲間たちを手で制しつつ、ガレルは少女に向かって叫んだ。
「おーい、嬢ちゃん! そんな高いとこにいたら危険だぜえ! 降りてこいよ!」
森に反響するどら声を、少女は威嚇と捉えたのか、低い唸り声を発しながら歯を剥き出し、右手を前にだらんと垂らした。
その対応に、ガレルたちは驚いた。
「おいまじかよ。まるっきり猿人の戦闘モードじゃねえか!」
「葉っぱの衣装に、木の杭に、猿人の構えときちゃあ、疑いようがないね」
「あれっすか? こいつがいわゆる〈拐い子〉ってやつっすか?」
拐い子――魔獣に拐われ育てられた子。理由はわからないが、自らの子を亡くした魔獣が時折人の子を拐うことがあるのだ。多くは魔獣の生きる環境に耐えられず死ぬか、餌となって食われるかだが、こうして完璧に育てられたケースはガレルも初めて見る。
「ガレル……」
「ああ、わかってるぜコレット……。――なあ嬢ちゃん! 俺はあんたを助けたい!」
拐い子なんて可哀想だ。見たところ、少女の歳は十二かそこら。本当の親が生きてる可能性は十分あるし、保護すれば今からでも人の暮らしに戻れるかもしれない。
(魔獣は、いったいどこまで人の運命を歪ませたら気が済むのか!)
歯を剥き出したまま警戒姿勢を崩さない少女に、ガレルは精一杯の救いの手を伸ばす。
「嬢ちゃん、名前はなんて言うんだい? 俺は、ガレルって言うんだが、こっちの連中はみんな俺の仲間でな。何、悪いことはしねえから、降りてこいよ。な?」
敵意がないことを示すように、笑顔で呼びかけるも、少女は応じない。
「ガレル、きっと彼女、言葉なんて通じていないよ。だから――」
「諦めろってか? コレット、いったい何十年の付き合いだ? 俺が魔獣に絶対屈しないってこと、一番よく知ってんだろうが」
「でも――」
「でもじゃねえ! 忘れたのか? この森は、人が暮らす街に生まれ変わるんだ。そのために、俺たちが雇われ、先んじて猿人どもをぶっ殺すんだろ。開拓を始めたとき、もしこの哀れな少女が森にいたら、あの冷酷な国軍どもは何をすると思う?」
問われ、コレットは何も言えなかった。
彼らを雇った〈西の国ウエスタ〉の国軍は、敗戦国に対し冷酷非道な略奪を行うことで有名だ。ウエスタはいま隣国と紛争状態にあり、開拓を進められずにいる。
それもあって、軍に代わって猿人討伐するという仕事を貰えたわけだが――。
依頼を受けたときの、軍師の冷たい眼が頭をよぎる。ガレルの最も嫌いなタイプ。よく大人しくしていたと褒めるべきだろうと、コレットは思う。魔獣を殺すためなら、どんな奴からでも依頼を受ける。それは魔獣から人々を守りたいとするガレルの願いのあらわれであり、魔獣によって人生を狂わされた少女を目の前にして、何もせずに帰る男ではないという何よりもの証左なのであった。
ガレルは、コレットが黙って判断に従ったのを見てとると、木上の少女へと振り仰いだ。
「俺たちは、あんたに危害を加えるつもりは毛頭ねえんだ。ほら――」
そう言って、身に付けていた短剣と大剣を外して地面に置いた。仲間たちにも目配せして、同様に武器を手放すよう命じる。がちゃがちゃと地面に武器が置かれていく様子を見下ろしている少女は、少し戸惑っているようだ。しきりに状況を理解しようと、少女の目が怠りなくガレルたちの動きを観察している。
「ア、アア、オ?」
微かに開いた少女の口から、かぼそい声がもれた。ガレルに向かってゆっくりと手を伸ばし、その姿形をなぞるように指先を動かす。
瞳が、わずかに揺れた。
随分昔に口にしたはずの言葉。それは、光にかすむ。包むようで、思い出せない。あったかい、誰かに向かって、なんだっけ、それは――
「オ、ト、オト、ウ、サン?」
少女のぎこちない呟きとともに、遠く、猿人の咆哮が森を渡って響いた。
* * *
少女の呟きを受け、ガレルは目を見開いた。
「お、おい! 聞いたかコレット! 今、お父さんって言ったぞこの子!」
「ああ聞いた! ――それより猿人が、こっちに近づいてきてる」
コレットは急いで弓を拾い上げ、周囲に目を走らせる。ふいに、風が低い唸り声を上げ、あたりの木々をざわめかせる。次々に武器を拾い上げる傭兵たちも、神経を尖らせ、あさく円を描くような陣形をとって構える。
猿人の叫びは森全体に反響してしまって、どこから聞こえてきたのかわからなかった。
コレットは、背後でガレルの大剣が鞘から抜き放たれる音を耳にした。
緊張した空気を裂くように、ガレルは叫ぶ。
「お前ら! この嬢ちゃんは絶対に連れ帰るぞ! わかったか!」
「「うっす!」」
気合を入れる傭兵たちを嘲笑うように、また猿人の雄叫びが森を駆け巡る。左側から聞こえたと思ったら、すぐの後方から聞こえたりと、四方八方から響く叫びに、まるで猿人の群れに囲まれてしまったかのように錯覚させられる。時折強く吹き抜ける風が、傭兵たちの不安を煽った。
何かの気配を感じ、コレットはすばやくそちらへ弓を向けた。
血塗れの男が、こちらへ向かって走ってきている。よく見れば川辺にテントを設営していたはずの仲間だった。彼はコレットたちのそばまでやってくると、へなりとその場に倒れ込んでしまった。
「大丈夫か? 何があったんだ?」
息を荒げる仲間は、ここにくるまでに相当量の血を失ってしまったせいか、青白い顔で、薄らぐ意識をなんとか保たせながら経緯を説明した。
「と、とつぜん、猿人が現れて……、俺たち、テント立ててたから、油断――。武器を取るの、遅れて……、す、すまねえ。お、俺は仲間を、見捨てちまった。……全員、あいつに……殺されちまった……」
命がけで運んできてくれた仲間の話を聞いて、コレットは猿人の思わぬ策略に舌を巻いた。肩に矢を受けたとき、すぐさま気配を消して、拐い子を囮にして自分たちの注意を引き、自らは川辺の付近の木立に潜んでいたのだろう。敵の力量を見極め戦力を分散し各個撃破するなど、並の猿人ではないということか。
「あんたは、仲間を見捨ててなんかいない。よく、ここまで来てくれた。必ず仇は取ってやるから、安心してくれ」
「ぁ……ぁ――」
口を開きかけ、そこで仲間は意識を手放してしまった。瞳から光が退き、物言わぬ遺体となった。
そっと仲間を横たえさせ、まぶたを閉じてやる。
ガレルが怒りをぶちまけた。
「ちくしょうがっ! 猿人の野郎め! 仲間の仇は俺がとる! この大剣を前に、生きて帰れる魔獣はいねえ! 生きて帰すものか、ぜってえに!」
「ガレル、落ち着いてくれ。団長の君が、怒りに冷静さを欠くと、全滅もあり得るんだ。敵は並の猿人ではないし、策も用いるほどだ。油断していると――」
コレットが言い終える前に、後ろで警戒していた仲間が悲鳴をあげた。
「ぐわああっ!」
慌てて振り返れば、木上から蔦を使って飛び降りた拐い子が、弓兵の首筋に木の杭を突き刺し、噴きだす血潮に赤く染まっていた。
「くそっ、言ったそばから――油断した!」
杭が抜かれ、糸の切れた人形みたいに力なくくずおれる弓兵。その後ろで、ゆらりと猿人の構えを見せる拐い子に、コレットは弓を引き絞る。
「待て! 矢を射るんじゃねえ!」
「どうして! 躊躇してる場合か!」
「お、俺がなんとかして取り押さえて――」
「団長! ぜ、前方から猿人が猛スピードで突っ込んできます!」
槍兵のひとりが指し示す先、接近に気付いた弓兵が放った矢を、その長い手で弾きながら、猿人が風を切って疾走してくる。
反射的に、全員を庇うように前へと飛び出したガレルは、大剣を盾のように構え、コレットに指示を飛ばす。
「俺らで猿人をぶっ倒す! コレット、なんとかその子を無力化してくれ!」
言い切った直後、真正面から速度のった猿人の一撃がきた。愛用の大剣でそれを受け、衝撃を堪えるために踏ん張ったガレルの足が地面を深く抉る。
純粋な力比べ。
みしりと鳴る骨の悲鳴に、ガレルは獰猛な笑みを浮かべた。
* * *
「仲間が殺されといて、甘いよ全く!」
背後で猿人とガレルたちの戦闘音が響く中、いましがた下った団長命令に、コレットは愚痴をこぼす。もはや見るべきは正面。木の杭を携えた右手をだらりと垂らし、一定の距離を保って相対する拐い子。木上でお父さんと口にしたときの、あの困惑した表情はどこにもない。鋭い目つきで、コレットだけを睨み据えている。
「――お互い、女同士。仲良くいこうか」
そう言って弓を置き、腰に差していた短刀を構えた。もちろん、鞘に収めたままである。ガレルのわがままには散々付き合ってきて慣れてもいるが、今回ばかりは厳しいものがある。少女を睨む目つきに、殺意がこもるのを、抑えられない。
(――いいかい。あんたはもう、人殺しなんだよ。誰が、なんと言おうとね……)
じりじりと距離を縮めるコレットに応じるように、少女は隙のない動きで後退していく。次第にガレルたちと離れ、集中する二人の耳に、彼らの戦闘音は届かなくなっていた。
先手を打ったのはコレットだった。まるで散歩するみたいな自然な動きで距離を詰め、まっすぐに少女の額を狙って短刀を突き出す。人を相手にするのはおそらく初めてであろう少女はしかし、完全に突かれた不意打ちも、優れた反射神経で首をひねり回避する。が、素早く短刀を引き、その流れで放たれたコレットの蹴りが、少女の顔面を捉えた。
ごっ、と鈍い音とともに少女の身体がのけぞる。
この隙を逃すほど、コレットは甘くなかった。がら空きの胸部に、追撃の回し蹴りがめり込む。
「ぐぶっ――」
少女は口から血を吐いて吹っ飛び、仰向けに倒れる。呼吸ができず、苦しいのだろう。酸素を求めて喘ぐ少女がしきりに地面を掻いては身悶えしている。傭兵として長年戦いに身を置き、命のやりとりをしてきたコレットの、手加減なしの一発だ。無事で済むわけがない。
「あんたとは、経験が違うからね」
コレットは、少女のそばにしゃがみ込むと、苦悶に歪ませた顔を覗き込む。
追い詰められた猛獣のごとく、少女の眼は鋭くコレットを睨み上げた。
その射るような眼差しを、しかしコレットは静かに受け止める。
「言っとくけど、ガレルの命令がなければ、私はあんたを殺していた。仲間を手にかけた奴を、私は許せないからね」
これは本心だった。いくら拐い子とはいえ、仲間が殺され、仕方がないね、では済まされない。心の広いガレルの命令に、この子が救われたことは確かだろう。それとは別に、コレットがどうしても許せないものがある。
(何より、仲間を守れず、あんたを人殺しにしてしまった、私の無力さに腹が立つ)
この子が、戸惑った表情でお父さんと口にしたとき、自分たちが危険ではないと理解してもらえたんだと勘違いしてしまった。猿人がすぐそこに迫り、大怪我を負った仲間に意識を奪われてしまった自分の未熟さが招いたことだ。
小ぶりの雨が降り出し、二人を濡らす。
コレットは、喘ぐ少女の手から木の杭を奪い取り、遠くへ放り投げた。近くにあった蔦を切り取って縄をつくり、少女の両腕を後ろ手に拘束した。その間、少女は抵抗する気も見せずに、大人しくしていた。
立たせた少女の肩を掴み、振り向かせたコレットは、ろうそくの炎のように揺らめく少女の瞳を正面から見つめた。
「――あんた、お父さんって口にしたね。……よく、頑張ったよ。もう魔獣に遊ばれる必要なんてないんだ。私たちが、本当の親御さんのもとに連れて行ってやるからね」
通じていなくてもいい。ただ少女の心に訴えたかった。
コレットは蔦を握りしめ、少女の背中を押し、ガレルたちの元へと向かった。
* * *
猿人目掛けて振るった大剣が、またもや空を切り、ガレルは舌打ちした。
ガレルの背丈の倍はあるであろう猿人が、木々の葉を散らし、ガレルたちの周りを縦横無尽に動き回っているのだ。長い腕を伸ばして木の幹や枝を掴み、身体を引っ張って生まれる遠心力を利用して、強烈な打撃を放ち、その勢いを殺さず回避へとつなげる。援護で放たれる矢も、突き出される槍も、当然のように当たらない。
ガレルは打撃を受けるのではなく、回避し、カウンターの一撃を放った。けれど器用に捻って分厚い刃を躱す猿人の身体は相当に柔軟なもので、これまた虚しく空を裂くばかり。前屈で手が地面に届かないガレルにとっては羨ましい限りである。
(こうも好戦的な猿人は初めてだ)
ガレルは一度後退し、猿人と距離をとった。
猿人もまた、速度を落とし、木立の間を悠然と歩きながら、こちらの様子をうかがう。しなやかな体躯を黒く張りのある体毛が覆っている。長い両腕を常に木々の一部に触れさせ、即座の回避や攻撃に移れる油断なき構えだ。
「えらく対人戦闘に慣れきってるじゃねえか」
息を整えながら、ガレルは猿人の左肩を注視した。黒い体毛のせいでわかりにくいが、体毛が赤黒く濡れそぼっている。コレットの放った矢が命中した痕である。
「おい、ネムス。次、俺が攻撃を受けたら、あの左肩を狙え」
ネムスと呼ばれた最古参の弓兵は、はいっと小さく返事をし、新たな矢をつがえた。
「アルとユリは、挟み込むように散開して、左右に回避した猿人を突き刺すんだ」
「了解っす、団長!」
「任せてください」
若いが、槍の扱いに優れた兄妹アルとユリは、それぞれ慎重に左右へ広がっていく。
ガレルも大剣の柄を握りなおし、猿人を見据えた。
気づけば小降りの雨が、張り詰めた緊張の中、対峙する彼らを包んでいた。
不気味な沈黙。さあっと降る雨音だけが耳元で囁いている。
だしぬけに、猿人がガレルへ向かって突進してきた。防御の構えを取ったガレルだったが、大剣越しに、猿人が急旋回するのを見た。両手をついて方向転換した先は――
「ユリ! 避けろ!」
右手へ回り込んでいたユリだった。ずっと攻撃対象がガレルだったこともあり、咄嗟の反応ができず、彼女は防御の構えを取ってしまう。そこへ、鞭のように振るわれた猿人の右腕が襲い掛かる。折れ砕け、木片を散らす槍とともに、ユリは悲鳴もあげれず身体をくの字にされ吹っ飛んだ。
「てめえ、よくも!」
妹をやられ、怒りを爆発させたアルが、腕を振るってがら空きになってる猿人の背中へ無闇に突進していく――と、ガレルの危惧したとおり、猿人が振り向きざまに放った一撃が、たやすくアルの身体を吹き飛ばした。
瞬く間の出来事に、しかしガレルとネムスは冷静に対処する。
二撃も放ち、その場から動けずにいる猿人の左肩へ、吸い込まれるようにネムスの矢が突き刺さる。苦痛の叫びをあげる猿人に、さらにガレルの振り払った大剣が、牙をむく。
骨ごと肉を断つ、鈍い音。飛び散る血潮を身体に浴びながら、ガレルは猿人の左腕が地面へ落ちるのを見、次にはもう振り払った大剣を、その身を守る盾にしていた。
怒りのままに振り下ろされた猿人の右拳が、ガレルを大剣ごと打ち据える。
強烈な衝撃。全身の骨が悲鳴を上げ、ガレルはたまらず血反吐を吐く。大剣ごと押し潰さんと体重をかけてくる猿人を、鋭い眼光で睨みあげる。
「なあ、終わりだぜえ。――もう、お前さんは、腕ひとつだ。対してこっちは二人なんだからよう!」
はっと顔をあげる猿人の右目に、ネムスの放った一矢が突き刺さった。
苦悶の呻きが、ガレルの頭上で響く。もがく猿人の下、舞い散る血と雨のしぶきを浴びて、魔獣狩りはその極厚の刃を振るった。
* * *
雨はやんでいた。
穏やかに差しこむ木漏れ日に、水滴をきらめかせた緑の中を、コレットは蔦縄で拘束した少女を連れて歩いていく。木々の葉にはじけて鳴る雫の音があたりに響く。地面が湿ったせいか、土の匂いがむっと鼻をついた。
ほどなくすると、一段と日の差す明るい場所に出た。ガレルと別れた場所である。
戦いの痕を見るたび、冷たい何かが、しんと胸に下りてくる。眼前に広がる光景もまた、コレットの心を冷たくさせるに十分であった。
大の字に倒れた猿人のはらわたが陽光を受け、にぶく輝いている。切断された左腕の断面からも絶えず血が流れ、もうほんの少しで、浅く上下する猿人の胸が静かになることをうかがわせた。
地面に突き刺した大剣に背中をあずけ、座り込んでいるガレルが、死へ向かっている猿人を静かに見守っていた。
後ろからでも、拐い子が衝撃を受けているのが伝わった。
ばっ、と拐い子が駆けだし、コレットは手にしていた蔦縄を離した。
「ア……アア、……アア! アアアアアアァ!」
拐い子は、手を拘束されたままで抱きしめることもできず、猿人の身体にすがりつくようにして泣き叫んだ。頬を押しつけ、声のかぎりに、泣き叫んだ。
その慟哭を耳にするたび、コレットの胸はきりりと痛んだ。それは傭兵となってから、何度も耳にした、魔獣に大切な人を殺されたものたちの悲痛な叫びだった。
「――アルとユリがやられた。いま、ネムスが手当てに回っている」
そばに来たコレットに、ガレルがそう呟く。その声に、いつもの快活さはなかった。
見れば離れたところで、アルとユリの手当てに励むネムスの姿があった。ガレルがいながら、猿人相手にここまでやられたことは未だかつてなかったことだ。川辺に残した仲間も全滅。ガレルも怪我を負っているとなれば、しばらく傭兵団として活動できなくなるだろう。無論、今回の任務は失敗である。猿人の首一つでは、あの冷淡な軍師は雀の涙ほどの報酬しか出さないだろうから。それも、嘲笑のおまけつきで。
「……でも、あの子は救えたよ、ガレル。魔獣のおもちゃから解放されて、あの子は人の暮らしを取り戻す……」
しゃがんで、ガレルの肩に手を置いてそう言うと、彼は静かにうなずいた。
「ああ。――だが、なんだろうな。あれを見てると、自分のやったことに、自信が持てねえ。……俺らは、たしかにあの子を救えたんだよな?」
ガレルの目は、泣きやまぬ哀れな少女から離れなかった。
「何を言ってるのさ。……ガレル、私に言っただろ? 国軍がここを開拓するとき、あの子がいたら、どうなるのかわかってんのかって。――私は、救えたと思う。だって、猿人を殺して、解放できなかったら、あの子は人間のおもちゃにされてたかもしれないんだから」
コレットは立ち上がり、ネムスを手伝うと言ってガレルのそばを離れた。
(なあ、コレット……。俺らは、魔獣と同じなんじゃねえのか?)
忘れはしないあの日に誓った魔獣への復讐。今日に至るまで、数多くの魔獣を討伐してきたガレルには、戦う術のない無力な人々を救ってきたという自負がある。だがいま、その自負が揺らいでいる。魔獣に拐われた少女が、魔獣のために泣いているのだ。
(俺は、あの子にとって、親も同然の魔獣を、殺したのか……)
だとすれば、俺は――。
不意に地面が消え去り、身体が宙を落下する感覚に襲われた。
はっとして顔をあげれば、猿人の右手がゆっくりと少女に伸びていくのが見えた。
危ない、そう思って立ち上がり、短剣を引き抜いたが、猿人の右手は少女の頭を優しく愛しむように撫でただけだった。
仲間を介抱していたコレットとネムスも、動けぬと思われた猿人の不意の動きに、即座に反応して警戒していた。
いま、この瞬間だけは、決して奪ってはならない。
そう感じ、ガレルはコレットたちに手出しは無用だと、目配せした。
降り注ぐ木漏れ日が、流れつづける少女の涙をきらめかせる。その儚い輝きは、すぐにでも復讐の刃へと変わり、自分たちに向けられるだろう。
猿人の手が、にぶい動きで少女の後ろ手に縛られた蔦縄をほどくのを、ガレルは黙って見ていた。このとき、自由になった少女の手に、猿人が何かを手渡していたのだが、ガレルの位置からはそれが見えなかった。
ついに猿人の右手がだらんと力なく垂れ、事切れた。
少女は、愕然と目を見開く。虚ろになった母の瞳に、無力な自分がいた。懲りずに溢れ出てこようとする涙を、少女はきゅっと目を瞑って切り払った。
立ち上がり、痛ましいほどに鋭く尖った眼差しを向ける少女に対し、ガレルはただ、そこにあの日の自分を見ていた。物陰からのぞく、あの燃えるような眼差しを。
「――ァァアアアアアアアアアアアア!!」
地雷のような叫びを響かせ、少女はガレル目掛けて、ララの葉を丸めた玉を投げつけた。
「ガレル!」
コレットの呼ぶ声が、どこか遠くに聞こえる。避けることもできた。できたのだが——。
ちかっ、と目の裏で火が散った。
額にぶつかった葉玉は、衝撃に中身をぶちまけ、小石が数個足元に散らばった。
つうっと額から血が流れ、目の前にはちらちらと光を受けて輝く、細かい糸くずのような毛が舞っていた。
少女に何事か、声をかけようとしたガレルは、不意に喉に違和感を覚えた。
魚の骨か何か、刺さったときのようなちりちりとした痛み。唾を飲み込んだ瞬間、熱せられた炭を飲んだみたいな、激痛が走った。
「っあ――、ぁあ、ぁがっ――」
たまらず息を吸おうとするも、何かが喉にはりつき、空気を堰き止めているようだった。喉の奥で、むくむくと何かが膨れ上がる感触。それはまるで胎児が腹の内で暴れるみたいに、ガレルの気道の中でのたうった。視界が霞み、遥か遠くに悲鳴を聞く。薄れゆく意識の中、喉から迫り上がる何かを堪えようと――。
「――ごばっ!」
ついにガレルの口から天へ向かって、絞殺草がその花を咲かした。ガレルの喉を苗床に、気道や肺へと根を張って、生き血を啜るその花色は紅蓮。花弁から滲み出た魔獣狩りの血は、木漏れ日をむなしくはじき、言いようのない哀しみの底に落ちていった。
* * *
激情がコレットを突き動かした。
視界に映るは、得体の知れぬ花を咲かせて事切れたガレルを、立ちすくんだまま見つめる人殺しの姿だけ。一気に駆け、ぶん殴ろうと、その肩を掴んで振り向かせる、と。
少女は怯えきった目を丸く見開き、小刻みに唇を震わせていた。
一瞬、振りかぶった拳に迷いが生じるも、全力で少女の顔面を殴り飛ばした。
鈍い音が鳴り、倒れ込む少女。コレットはさらに馬乗りになって少女を殴る、殴る。
「このっ! このっ! おまえ、なんか! 死ねば、いいんだっ!」
殴るたび、骨が鳴り、血が散り、歯が飛んだ。
なおも振り上げた拳が、慌てて駆けつけたネムスによって抑えられ、さらには羽交い締めで拘束される。
「くそっ! 離せ!」
「やめてくださいっ! それ以上やると、本当に死んでしまいますよコレットさん!」
「うるさい! こんなやつは、最初から殺してやればよかったんだ! 私は馬鹿だったよ! ――離せっ! 離せよネムス! 悔しくないのか! ガレルが、あんなっ! あんな死に方するなんて……!」
不意に涙が溢れ、頬を濡らす。嗚咽が漏れ、コレットはネムスに背中を預けるようにして少女の身体から離れた。
少女は、怯えていた。怯えていながら、一体何に恐怖を感じているのか、猿人に育てられた少女には、わからない。絞殺草によって冒涜的な死をガレルにもたらしてしまった、自らの行いにあるのだと、わかるわけもない。そしていま、自分をひたすらに殴っていた女が、一転して大きな涙をこぼす理由もまた――
そのとき、少女は初めて『大切な人の死』というものを直感した。
「――ゥッ、ゥゥウ、……ウウァアア、アアアアア!」
「な、にを。なにを、泣いているんだ? なぜ、お前が泣く? お前に、お前なんかに、泣く権利なんかないぞ! ガレルは、ガレルはお前を助けようとしてたんだ! それなのに、それなのに!」
突然赤子のように大声で泣き出した少女に、コレットは目を剥いた。鎮まりかけた怒りが再び沸き起こり、何度も何度も罵声を浴びせた。ネムスがいなかったら、短刀で少女の喉をかっさばいていたかもしれない。
激しい怒りに駆られてる間も、頭の片隅では理解していた。
猿人は、紛れもなく少女の親だった。言語を持たない猿人がどうやってここまで人間の子供を育てたのかは不明だが、そこには言葉以上の何かがあったに違いない。
無力な人々のためにと振るった刃は、実はただ盲目に、魔獣は悪だと決めつけて振るわれた、傲慢で浅はかな刃だったのだ。自分たちは見誤り、人知れず森の片隅で育まれてきた小さな幸せの芽を、あの日の魔獣と同じように、摘んでしまったのである。
コレットは唐突に、少女の手を取って抱き寄せた。はっとする少女が身体を固くするも、構わず強く、抱きしめる。
この子を、育てなくてはならない。
言葉を教え、人と魔獣の違いを教え、私たちがどうして君を助けようとしたか教えよう。そうして、私たちの過ちのせいで、君の大切なものを奪ってしまったと謝ろう。
君が、本当の両親のもとへ帰れるように。
君が、本当に大切なものが何かを、違えてしまわぬように。
少女をきつく抱くコレットは、森の奥を見据えている。その眼差しに怒りの色はなく、まして悲しみの色もない。ただ、固い決意の色を湛えていた。
木漏れ日をはじくのは 畠壮 @hatanotakeshi
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