159:御手洗、話をしましょう





「全く、何をなさっているのですか。お坊ちゃま」


「み、み、み、御手洗、お、起きて?」


 目を開けた御手洗は、ソファから転げ落ちた俺を見て、呆れた顔で笑った。


「頬を触られれば、誰だって起きるでしょう。それよりも、お坊ちゃまは、どうしてここに?」


「え、っと……桐生院先生に教えられて。もしかしたら御手洗が、ここにいるかもしれないって」


「あいつ……」


 御手洗は軽くあくびをしながら、低い声で呟いた。

 その声を聴いて、桐生院先生に未来を憂い、申し訳ないと心の中で無事を祈っておく。


「……御手洗、どうして一之宮家の執事を辞めたの?」


 もう少し話をしてから言うつもりだったけど、いつの間にか口から零れてしまった。


「俺のことが、嫌になった? 俺が御手洗に頼りすぎたから、だから辞めたの?」


 ずっと考えていた。

 どうして急に、御手洗が辞めたのかと。


 どう考えても、理由は俺以外に無かった。

 俺が御手洗にばかり助けを求めていたせいで、嫌になって辞めた。

 それが真実なのだろう。

 俺に何の相談もしなかったのが、その証拠である。


「お、ねがい。俺の前から、いなくならないで」


 ソファから落ちて、床にへたり込んだまま、俺は祈りを捧げるように、御手洗の膝に額をつけた。

 涙が出そうになるが、もう困らせたくないから、何とかこらえる。


 御手洗は、何も言わなかった。

 でも、そっと柔らかく頭に触れられ、優しく撫でられる。


 拒否されてはいない。

 それだけで救われた気分になるのだから、現金である。


「お坊ちゃま」


「なに? 御手洗?」


「皆様との誤解は解けましたか?」


 俺の頭を撫でながら、まるで親のような優しさで御手洗が問いかけてくる。

 話をそらされたのかと思ったが、御手洗がいなくなる前、それで俺が落ち込んでいたのだから、結果がどうなったのか気になるのは当たり前か。


「ちゃんと誤解は解けた。転入生とは、まあ。まだ微妙なところだけど、たぶんリコールされることは無くなったと思う。そういえばね、生徒の誤解を解くために放送室をジャックしたんだ」


「それはそれは。ぜひとも現場にいたかったものですね。とにかく誤解が解けようで何よりです。それなら、私の力はもう必要ないですね」


「……御手洗、何言っているの。必要ないって、何?」


 褒められて調子に乗りそうになったけど、続く言葉に絶句するしかなかった。

 必要ない、御手洗は何を言っているのだろう。


「お坊ちゃまと会った時から、すでに決めておりました。お坊ちゃまがリコールされる心配がなくなれば、お坊ちゃまの元から離れようと」


「何それ。御手洗は、どこまで知っていたの?」


 御手洗の言い方だと、まるで俺がこうなることを初めて出会った時から知っていたようだ。

 もしもそうだとしたら御手洗は、


「ええ、知っておりました。お坊ちゃまが薔薇園学園の生徒会長になり、そしてリコールされることを」


 物語を知っていたことになる。


「み、たらいは、前世の記憶があるっていうこと?」


「そうでございますね。私は、この物語を前世で読んだことがございました」


 まさか俺以外に、あの物語を読んだことのある人がいたなんて。

 しかもそれが御手洗だったなんて。

 誰が予想出来るのだろうか。


「俺が、破滅するかもしれないって分かっていて、それで何も言わずにいたの?」


 前世の記憶があるのなら、あると教えてくれた方が作戦も立てやすかったのではないか。

 でも全く教えてくれなかったのは、俺が失敗してリコールしても構わないと思ったからだ。


 俺は一気に御手洗が信じられなくなり、そっと後ずさりする。


「お坊ちゃま、少し私の話を聞いていただけますか」


「話なんて、そんな……分かった」


 もう、御手洗の話なんて聞きたくない。

 そう思ったけど、あまりにも真剣な表情に、俺は渋々了承した。


「昔の私には、妹がおりました。病気がちだった妹は外に出ることが出来ず、寂しさを埋めるように物語を書くのが趣味になりました。そして書いた物語を、私に見せてくれたのです」


「それって」


「賢いお坊ちゃまであれば、もうお分かりですね。妹の趣味は変わっていて、それは男性同士の恋愛を描いたものでした。それでも妹が病気のことを気にせずに、生き生きと書いているから、私は生きる糧になるのならと嬉しかったのです」


「それじゃあ、この世界は御手洗の妹さんが作ったものなの?」


「そうなります。私も初めは驚きました。まさか物語の中に生まれ変わるなんて。そんなフィクションのような話が、自分の身に起こるとは思いもしませんですからね」


 俺が前世で読んでいた物語は、前世の御手洗の妹さんが書いたもの。

 情報量が多すぎて、頭が沸騰してしまいそうだ。


「どうして教えてくれなかったの? 前世の記憶があるって。言ってくれれば」


 御手洗が言ってくれれば、ちゃんと信じたのに。

 そんなに俺は信用出来なかったのだろうか。


「私は言うつもりはございませんでした。私という存在は、この物語の中では異質でした。何か行動した結果、もしも物語が思わぬ方向に進むのが怖かったからです」


「それじゃあ、俺の傍にいなかったら良かったんじゃないの。物語に関係ないんだから、そのまま別の人生を歩んでいれば、物語通りに進んでいたはずでしょ」


 俺の質問に、御手洗は困った顔をして、そして顔をそらしながら小さな声で答えた。


「私が、お坊ちゃまを助けたいと思ったからです」





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