111:扉越しの説得をしましょう
久しぶりに、この扉の前に立った。
無機質だがそれなりに高そうなドアは、来ていなかった年月を表すかのように、所々に見覚えのない傷がある。
その傷をそっとなぞると、これまで話したことが思い出せそうな気がした。
息を吐き、俺は扉の向こう側に呼びかける。
「……久しぶり。俺のこと覚えているかな? 前にこうやって話しかけていたことがあったんだけど……随分と前のことだから、覚えていないかもね」
前と同じように、向こう側から返事は無い。
それでも俺は、いつもと変わらず勝手に話を続けた。
「俺、2年生になったんだ。薔薇園学園、知っているだろう? 君が……えーっと、宗人君も行こうかと思っていたと聞いたけど……」
この部屋の中に、本当に人がいるんだろうか。
龍造寺さんが言わなければ疑ってしまうぐらい、向こう側はとても静かだった。
身動きする音すらも聞こえない。
「もし宗人君が来てくれていたら、俺達同級生になっていたんだよね。君がいたら、もっと楽しかったんじゃないかな。そう思わない?」
これは本心だ。
今まで出会った人達とは、最初は色々あっても、全員と仲良くしてきている。
きっと宗人君だって、その輪の中に入れたはずだ。
「面白い先生もいてさ、前に話したよね。ショタコンの人。その人が薔薇園学園にまで来てさ。また担任になったんだよ」
薔薇園学園の話をして興味を持ってもらおうと、俺は学園の話をする。
これで興味を持ってくれれば、一番いいのだけど。
「それで生徒会長、まあ元になるんだけど、すっごく人使いが荒い人でさ。おかしいと思ったのは、パンケーキ屋をやれと言われた時だな。なんでパンケーキ? なんで学園で? ……まあやったけどさ。というか今も、権利を譲渡して別の人がやっているけどさ」
あの時は大変だった。
パンケーキを作ったことが無かったから、プロの人に一から教わって何とか完成させた。
それを美味しいと言って食べて貰えた時は、達成感から泣いてしまいそうになったぐらいだ。
そんな感じで、突然よく分からないことを言い出した雅楽代会長に振り回されて、俺は何度も走った。
最初はなんでこんな意味の無いことをと思ったけど、最終的にその全てが大成功に終わり、俺も満足してしまうのだから不思議なものだ。
俺は分からないが、たぶん全てが意味のあるものなのだろう。
それを教えてくれないから、とてつもなくタチが悪い。
でも何だかんだ楽しんでしまうのも、確かだった。
「次の生徒会役員は、変なランキングで決めるんだ。そのランキングって言うのがさ、驚くかもしれないけど、抱きたい抱かれたい人を選ぶものでさ……改めて考えると大分おかしいな」
物語を知っていたし、1年も学園に通っていたせいで麻痺していたが、冷静に考えるとツッコミどころ満載だ。
よくこれで、親からの苦情が出ないと感心してしまう。
そこはたぶん、物語によくあるご都合主義というものなのだろうけど。
「……うぬぼれかもしれないけど、俺はたぶんランキングに入って、生徒会役員になると思う。出来れば生徒会長になりたい。でもなるだけじゃ駄目なんだ。大事なのは、なった後だ」
生徒会長になるのは簡単だ。
でもなった後に、継続するのが大変である。
失敗する未来が示されている今は、どうにかしてそれを避けるしかない。
「俺は立派な会長になりたい。生徒達が楽しい学園生活を送れるように、より善い学園にしたい」
でもこの1年で、それだけじゃなくなった。
雅楽代会長の突拍子もない思いつきを実現するために、一緒にたくさんの人と関わっていくうち、モブと呼ばれる生徒にも、一人一人個性があることに気づいた。
当たり前の話だが、俺は全員が同じものだと、いつの間にかくくっていたのだ。
一人一人の生活があり、夢があり、家族や友達がいる。
主要なキャラにばかり目がいっていたせいで、そんな簡単なことにも気づいていなかった。
でも気づいてからは、大事にしていこうと、すぐに思った。
みんな生きている。
そして同じ時に、同じ学校に通っている。
たくさんの奇跡の積み重ねで、俺達はその場にいるのだ。
大事にしようと思うのは、当然の結果だった。
その時に、俺はもう逃げようと考えるのはやめた。
信じてくれる人が1人だけいればいいなんて、そんな女々しい考えはいらない。
俺は俺自身の力で、あがいてあがいてあがいてあがいて、幸せを掴み取る。
転入生に、それを邪魔する権利なんてないし、もしも邪魔をするようだったら全力で迎え撃つ覚悟だ。
喧嘩上等、家の権力を使うことだって、ためらいはない。
「理想論だって馬鹿にされるかもしれないけど、俺はみんなに楽しいと思ってもらいたいんだ。大人になって思い出す時に、いい思い出だけにしてもらいたいんだ……それでさ、もし良かったらだけど……」
俺はそこで一旦止め、深呼吸をする。
手が震えそうになったけど、上からもう一つの手でおさえた。
「宗人君も薔薇園学園に来て、その生徒の一人になってみない?」
言ってしまった後に、早く提案しすぎたかと後悔しかけたが、言ってしまったものは取り消せない。
「楽しい学園生活にすることを保障する。だからさ、一緒に通おう」
大きな賭けだった。
これで失敗したら、取り戻すのに大変な苦労がかかる。
俺は扉を睨むように見つめながら、息を飲んだ。
さて、結果はどうなるか。
こめかみに一筋の汗が流れた時、今まで動きのなかったドアが開くのが、まるでスローモーションのように俺の目に映った。
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