96:嫉妬だってするんです




「……そう、会いたいんだ」


 静かな弟の声に、俺はいつの間にか下げていた顔を上げた。


「ま、さつぐ……?」


 その雰囲気が恐ろしくて、俺は今までで一番の恐怖を感じる。

 逃げようとしたけど、その前に俺の手首が掴まれた。

 ちょうどロープで縛られていた所だったので、鋭い痛みが走った。


「い、痛いって」


 顔をしかめて外そうとするけど、全く外れない。


「どうしたの」


「いつも兄さんは、御手洗さんばかりだ。2人でこそこそこそこそ、何かを隠している。どうして御手洗ばかり頼るんだよ」


「隠しごとなんか、していないよ」


「嘘つくなよ!」


 そのまま引き寄せられ、俺はカップを倒しながら、弟の体に飛び込んだ。

 紅茶がテーブルに広がり、床にこぼれるのが横目に見えたけど、今はそれどころじゃない。


「正嗣……」


「兄さん……俺じゃ頼りない? 兄さんが俺のことを、どこかで怖がっているのには気がついている。俺の何が怖いの? 俺が何かをした? どうしてだよ、兄さん!」


 悲痛な叫びは俺の心臓を直接握りしめるぐらい、すさまじい威力を持っていた。

 抱きしめる力は強くなり、息が苦しくなるぐらいだ。


 振り払うことが出来なくて、でも背中に手を回すのも違う気がした。

 ここで抱き締め返したら、よく分からないまま受け入れてしまったことになる。

 それは、誰に対しても誠実じゃない。


「……お願い。俺だけを頼って。俺だけを見て。俺だけを受け入れて」


 肩を濡らすのは、弟の涙か。

 小さな子供のように、俺に必死に抱きつきながら、要求を重ねていく。

 小さい頃だったら、可愛らしいお願いだと受け入れていたかもしれない。


「出来る限り、正嗣のことは頼るし。出来る限り相談する。…………でも、正嗣のことだけを見たり受け入れたりすることは……無理だ」


 抱きしめられながら、これはヤンデレなんだろうかと、どこか冷静な頭が考える。

 監禁とか言い出されないだけ、レベルとしてはそうでもないのか。


 本当ならばこの場だけでも受け入れた方が、弟の精神を安定させられるだろう。

 でも嘘はつきたくなかった。


 今、俺の前には分かれ道があり、この選択肢で何かが決まる。

 どこかで、そう感じた。

 そして俺は、あえて弟を突き放す道を選んだ。


 このまま受け入れたら、絶対に共依存の関係性になってしまう。

 裏切られることは無いが、一生弟と2人きり。

 それが幸せな結末だとは、到底思えない。

 俺のためにも、弟のためにも。


「そう。無理か……はは。そうだよね」


 俺の肩にうずめていた顔を上げ、弟は乾いた笑いを出す。

 抱きしめる力をゆるめ、そのまま離れていこうとしたので、今度は俺が捕まえるために抱きしめた。


「……離して」


「ごめんなあ」


「離して!」


 逆に逃げようとする弟の力は強い。

 でも俺だって、伊達に鍛えているわけじゃないのだ。

 俺よりもまだ体格の小さい弟ぐらいだったら、体勢の不利がなければ抑え込むことは簡単である。


「俺を受け入れてくれない兄さんなんて、いらない! いらない! いらない!」


 逃げ出すのは無理だと悟ったのか、俺の胸を力の限り殴り付けながら、いらないと叫ぶ。

 これは青アザになるな。

 殴られる度に息が詰まるが、それでも優しく抱きしめた。


「正嗣だけを見られない。でも、正嗣を捨てるわけでもないし、ましてや嫌いになんて頼まれてもならない」


「……いらない。いらない」


「俺は正嗣が大好きだから」


 恋愛ではなく、兄弟としてだけど。

 俺の脳裏には、初めて会った時の可愛い弟の姿が浮かんでいた。

 あの時から、俺はずっと同じことを考えている。


 もし弟に裏切られたとしても、絶対に嫌うことは出来ないと。


 母親を間接的に殺してしまい、精神を病みかけていた弟は、とてつもなく危うい状況だった。

 俺の存在で救えたのかは微妙だけど、元気になってくれた。

 そこから俺を慕うようになって、お兄ちゃんと可愛く笑ってくれる姿を見続けて、好きになる以外無かった。


 多分裏切られてからも、その思い出は一生消えない。


「大好き。ずっとずっと、大好きだよ」


「………………兄さんは、ずるい。……………………でも俺も兄さんのことが、大好きだよ……………………」


「……ごめんね」


 俺の好きと弟の好きは、多分種類が違う。

 気持ちは嬉しかったけど、応えられるかとなると、それは難しかった。


 この世界での俺の目標は、可愛い女の子と結婚する、だ。

 恋愛を見るのはOKでも、自分が巻き込まれるとなると、全力で逃げるつもりである。


 俺に対する気持ちは一時の迷いだろうから、応えて目を覚まされて捨てられるより、傷が少なくて済む。


「…………兄さんのこと、御手洗さんも心配していた」


「え、御手洗が?」


「なんでそこで反応するの。本当にムカつく」


「ご、ごめん」


「……違う。兄さんにムカついているわけじゃないから、謝らなくていい」


 大きくため息を吐き、本当に叶わないなと呟いた弟は、また俺の肩にぐりぐりと顔を押し付けてきた。


「御手洗さんも、兄さんに会いたいと思っているはずだよ。今度、連絡してみな」


「うん、そうしてみる」


「……敵に塩を送る趣味はないんだけどね。こんな役得がなければやってられないよ」


「どうした?」


「何でもないよ……兄さんは知らなくていい」


 今度は適度な力加減で抱きしめながら、弟はまた大きなため息を吐いた。





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