41:今を楽しむことも大事です




 涙も止まり、すっかりぬるくなってしまったハーブティーを飲みながら、俺は恥ずかしさに襲われていた。


「写真だけじゃなく、動画を撮っておくべきでしたね。お坊ちゃまの成長記録として、後で見返すために」


「止めて。というか、いつの間に写真を撮っていたの。それも消して」


「ふふふ。きちんとお坊ちゃま専用のファイルに入れておきます。安心してください」


「全く人の話を聞いていないね。え? 待って。俺専用のファイルって何? 何があるの。今すぐ見せて、全部消させて!」


「ふふっ」


 楽しそうに笑う御手洗は、完全に元通りである。

 それにつられて俺も、いつものようになったのだから、もしかしたらこれもわざとやっているのかもしれない。


 でも、写真は消してほしい。

 絶対に今後、完璧なタイミングで俺の傷をえぐるために使用されるはずだ。


 誰に見せられるのか予想も出来ない時限爆弾は、早めに処理しておくに限る。

 そう考えて、カメラを取り上げようとしたのだけど、御手洗の方が1枚も2枚も上手だった。


「お坊ちゃま、私は旦那様からお坊ちゃまの成長を記録するように、申し付けられております。その仕事を取り上げられてしまえば、仕事もろくに出来ない人間として、解雇されてしまうかもしれませんね」


「うぐ……で、でも」


「もしそうなれば、もうお坊ちゃまを助けるどころの話ではなく、路頭に迷うことになるでしょう。ですが、お坊ちゃまがそこまで消したいというのであれば、それも仕方の無いことでしょうね。ええ、もちろん分かっております」


「あー、もう、分かったよ! 消さなくていいから、恥ずかしい写真は撮らないようにして!」


「かしこまりました」


 完全に負けた俺は、ガックリと肩を落とし、条件をつけることしかできなかった。

 それも御手洗にかかれば、あってないようなものだろう。


 もう、他の人に見せなければいいか。特に桐生院先生。

 最低ラインが低すぎて、本当に俺は御手洗の主人なのかと思ってしまう。


「お坊ちゃまは、たまに吐き出させないと爆発するのは、よく分かりました。ここしばらく、様々なことがございましたからね。ストレスが溜まるのも、無理はないでしょう」


「お見苦しいところを見せちゃって、ごめんなさい」


「いいのですよ。見ていて、とても興味深かったですから」


「これからは、ほどほどにストレス発散する。そうする」


 ハーブティーを飲み終えると、何も言わずにお代わりを淹れてくれた。

 ちょうど飲みたかったところだったから、それが伝わっていたみたいで、むずがゆい気持ちになった。


「それも大事ですが、お坊ちゃまは真面目すぎるのですよ」


「真面目すぎる? そんなつもり無いけど」


「正嗣お坊ちゃまに対してもそうですが、誰に対しても裏切られるのではないかと怯えすぎです。そういったことばかり考えていれば、精神的に追い詰められるのは当たり前です」


「そう、言われてもさ。俺が何かをして、嫌な気持ちにしたら、破滅のきっかけになるかもしれないでしょ」


 温かいハーブティーを飲んで、俺は息を吐く。

 誰も彼も、完全に味方じゃない。

 信じられるのなんて、


「御手洗しかいない」


「……何かおっしゃいましたか?」


「ううん。何でもない」


 俺が完全に信じられるのは、物語では出てこなかった御手洗だけだ。

 だからこそ、情けないところも本音も言える。


「とにかく、お坊ちゃまは少し肩の力を抜いて、人に接するべきです。あなたが思っているよりも、味方は多いのですから」


「んー、まあ、頑張って力抜いてみる」


「すでに矛盾したことを言っておりますが、頑張ってください」


「ありがとうね、御手洗」


 俺の執事でいてくれて。

 さすがに恥ずかしくて言えない本音は飲みこんで、俺はティータイムに集中する。


「いたみいります」


 たぶん言葉だけを受け取った御手洗は、恭しく頭を下げた。




 ┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈




 全ての人が敵ではない。

 御手洗はそう言ったけど、さすがにすぐには警戒心を解くことは出来なかった。



 父親と弟と話をする時、まだ裏の意味を考えてしまう。


 弟はこの前宣言したように、今のところは仲のいい家族でいてくれるようだ。

 5歳らしい姿は、色々あってからは少し複雑な気持ちになる。


 父親は、いつ俺に見切りをつけるか分からない。

 俺が跡取りとしての価値が無かったとしても、家族でいてくれるとは到底思えなかった。



 まだ信じきれない。

 でも、それじゃ駄目なのは確かだ。


 信頼していない人間を、信頼する人なんていない。

 つまり俺が頑なな態度をとればとるほど、周りはどんどん俺から離れて行ってしまう。


 少しずつでいい、今好意を向けられている人に、ちゃんと好意を返そう。

 それが俺の目標になった。





 まずは、身近なハードルの低いところから始めてみよう。

 そう決めた俺は、好感度でいうと高い方に位置している桐生院先生に狙いを定めた。

 ショタコンではあるけど、だからこそ今の俺に対して見切りをつけることはそうそうない。


「桐生院先生」


「お、どうした? 何か用か? 帝から話しかけてくるなんて、珍しいこともあるもんだな」


 まさか話しかけるだけでも喜ばれるとは思わず、そこまで俺は放置しすぎてしまったのかと反省する。


「えっと、その、いつもありがとうございます。先生のおかげで、授業も分かりやすいし、学校が楽しいです。えっと、それだけ言いたかっただけで。くだらない用でごめんなさい」


 手っ取り早く感謝を伝えようとしたのは良いけど、言っている途中で恥ずかしくなる。

 慣れないことはするものじゃないと、最後の方は早口にまくしたてて、その場から離れようとしたのだけど、腕を掴まれて逃げられなかった。


「き、桐生院先生。は、放してください」


 痛いわけじゃないけど、絶対に逃げられない絶妙な力加減。

 さすがはショタコン。傷はつけないというわけか。

 変なところで感心していたら、ふわりと頭を撫でられた。


「急にどうしたのか分からないけど、ありがとうな。おかげで、やる気出てきた」


 何度か頭を撫でられ、それだけ言うと、あっさりと腕は解放される。

 そしてそのまま背中を向けて、その場から離れていってしまう。


 桐生院先生にしては冷たい態度に、何か企んでいると思われたかと、感謝の気持ちを伝えたことを後悔しそうになる。

 でも、桐生院先生の耳が真っ赤になっているのに気が付いて、作戦が上手くいったと分かった。


 完全に照れている。

 俺の気持ちは、ちゃんと伝わったみたいだ。


「……真司先生! これからも、よろしくね!」


 駄目押しとばかりに、背中に向かって声をかければ、ひらひらと手を振って応えてくれた。


 誰かに気持ちを伝えるのは、こんなにも簡単で、そして自分も嬉しくなるものなんだ。

 後ろ姿を見ながら、自然と顔がにやけてしまう。

 今まできちんと言葉にしてこなかった自分を叱りたい。



 桐生院先生が上手くいき、調子に乗った俺は、他の人にも伝えることに決めた。





  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る