20:それはまるで聖母のような優しさでした




「はい……はい……そうです。えっと帝君? そうですそうです。今はこちらに別荘の……住所は……」


 心地よい声が、電話をしているのが聞こえてくる。

 電話の相手が今どんな感情なのかを想像すると、気が遠くなりそうだけど人の家で迷惑はかけられないので我慢する。


 現在、俺は川で出くわしたお兄さんにお世話になっていた。

 あの時、勢いよく飛びついた俺を受け止めてくれたお兄さん。

 そして、うまく説明できなかった俺の話を、きちんと理解してくれた上に、彼が滞在している別荘まで連れてきてくれた。


 今は、おそらく御手洗に、俺の身柄を確保したことを電話で伝えてくれている。

 これで、騒ぎになる事態は避けられた。


 それにしても、電話をしている姿を見ていると、まだ高校生にも関わらず、落ち着いていてしっかりとしたお兄ちゃんという感じだ。


 一緒にいて安心する。


 俺を落ち着かせるために淹れてくれたココアは、はちみつが入っているのか甘くて美味しい。

 迷子になっていたという事実に、恥ずかしさから落ち込んでいた俺にとって、涙が出そうなぐらい優しい味だ。


「今、君の家の人に連絡したから。すぐここに来てくれると、言ってくれたよ。だから安心して……そういえば迷子だったんだよね、帝君。怖かっただろう。よく頑張ったね」


 視界が潤んでいたのを、何かしら勘違いされたのだろう。

 電話を終えたお兄さんは、俺の隣にしゃがみこんで、頭を撫でてくれた。


 その優しさが、この世界で初めてのものだった。

 俺という人間を知らずに、ここまで優しい。


「う、うえっ」


 気が付けば溜まっていた今までの苦しみが、涙とともに溢れでてきてしまった。



 ┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈



「ずびっ……迷惑をかけてしまい、すみません」


「いいんだよ。子供のうちは、我慢せずに思い切って泣いた方がいいから」


 子供のように泣いた俺は、全ての涙を感情と共に出し切って、ようやく落ち着いた。

 その間、ずっと頭を撫でてくれたお兄さんは、本当に心の底からいい人である。


 この人の前では、本当に子供になったような気分だ。


「ありがとうございます。おかげで、とても助かりました」


「いやいや、当然のことをしたまでさ。そういえば、俺の自己紹介がまだだったな」


 くしゃりと笑った彼は、俺の頭を撫でて自己紹介をした。


「俺の名前は龍造寺りゅうぞうじ政宗まさむね。よろしくな」


 その名前に、また既視感を覚えた。


「りゅうぞうじ、まさむね……」


 あと少しで何かを思い出しそうなのに、そのあと一歩のところが出てこない。


「ん? 大丈夫か?」


 思い出そうとして頭を抱えた俺を、心配そうに龍造寺さんが覗き込む。


「だいじょうぶです」


 その何かが、俺にとっては重要な意味を持っている。

 根拠は無いけどそんな気がして、思い出そうとしたのだけれど。


「迷子の迷子のお坊ちゃまは、ここですか?」


 ノックもせずに扉を開けて入ってきた御手洗に、完全に邪魔をされた。


「み、御手洗」


 迷子になって心配をかけてしまったのだ。

 本当ならば謝って、そして御手洗のところに行かなければいけない。


 でも俺は、その場から動けなかった。


 だって、御手洗の顔が怖い。

 絶対に怒っている。


 こんな面倒を掛けさせて、どう落とし前をつけるつもりだ。

 そう表情が物語っていた。


 これは、近づいたら待っているのはお説教しかない。


「えへ、えへへへへ」


 その恐怖に、自然と体が動いてしまった。

 俺は龍造寺さんの服の裾を掴み、後ろに隠れた。


「……お坊ちゃま?」


 俺の行動のせいで、御手洗の声が絶対零度のものに変わった。

 余計に怖くなり、自分の行動が間違っていたことに気がつく。


 そっと龍造寺さんの後ろから覗き見た表情は、完全に鬼だった。

 どうして、そこまで怒っているのか。

 俺は小動物のように体が震える。


「えーっと、まあまあ、落ち着いて。えっと、そんな怖い顔をしたら、怯えてしまいますから、ね?」


 間に入ってしまった龍造寺さんは、なんと優しいことに仲をとりもとうとしてくれた。


「帝君。よく見てごらん。怒ってるんじゃなくて、心配していたんだよ。だから、すぐに来てくれた」


「御手洗さん、でしたか。帝君は迷子の

 だった不安で混乱しているみたいで、まだまともな思考が出来ていないんですよ。あなたが必死になるのも分かります。でもここは冷静になって、落ち着いて話をしましょう」


 俺と御手洗、それぞれに言い聞かせるように優しく、そのおかげで俺達は冷静になる。


「お坊ちゃま。申し訳ありません。護衛の者から見失ったと聞き、その後随分と離れた場所で発見したという電話があり、少し焦っていたようです。……怒っておりませんので、無事な顔を見せてください」


「……あ、御手洗。ごめん。ぼーっとしていたら、迷子になっちゃって。来てくれてありがとう」


 誤解をとくように、俺達は感動の再会をして、仲直りをした。

 俺は心配をかけてしまった御手洗に、ゆっくりと近づいて頭を下げる。

 御手洗も安堵の表情を隠そうとせずに、俺の体に傷が無いか、くまなく調べると大きく息を吐いた。


「もう、こんな心臓に悪いことは、二度と起こさないでください。私だって、あなたを心配しますから」


「うん、ごめんなさい」


「ああ、お昼は抜きですよ」


「ちょ、そこは、とっといてくれているんじゃないの?」


 いつも通りの空気に戻って、俺達は笑い合う。


「良かった良かった。もう迷子になっちゃ駄目だぞ」


 俺達の会話の内容が聞こえていたはずなのに、龍造寺さんは良かったと頷いた。

 多分冗談だけど、お昼抜きだと言っているのに。

 きっと人の醜い部分なんて、知らないで生きてきたかのような感じに見える。


 圧倒的光のオーラを放ち、そのうち後光でもさしそうだ。

 俺よりもきっと純粋な気がした。


「お礼を言うのが遅くなり、申し訳ありません。この度は、帝お坊ちゃまを保護していただき、誠にありがとうございます」


 今更取り繕った御手洗が、恭しく微笑みながら礼を言う。


「そんな大したことはしていませんし。こんなに小さい子が困っているんですから、当たり前のことをしただけですよ」


「いえ、それ相応の謝礼はさせていただきます」


「そんな別にいいですって」


「いえいえ、それでは私の気がすみません」


 お礼をするしないの問答は、終わりが見えない。

 俺には何も出来ないので眺めていたら、龍造寺さんとバッチリ目が合った。


「……それじゃあ一つだけ、お願いを聞いてもらってもいいですか?」


「はい、なんなりと」


 頼み事は絶対俺に関係することなのに、御手洗が勝手に返事をした。


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