21:聖母(男)の頼み事とは




「あのー、こんにちは……?」



「お、俺の名前は一之宮帝です」



「……よろしくお願いします」



 一方的な会話というのは、こんなにも辛いものなのか。

 俺は完全に締め切られた扉を前にして、早くも心が折れそうになっていた。




 ┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈




「……弟の友達になって欲しい?」


「うん、そうなんだ」


 龍造寺さんの頼みごとというのは、彼の弟と友達になって欲しいというものだった。


「えっと、でも……?」


 どうして俺が?

 そんな疑問が、表情に出てしまっていたらしい。


「実は、弟は引っ込み思案で……たぶん友達がいないと思うんだ。それで……部屋にこもりっきりになっていて……」


 とても言いづらそうに話される事情。


 俺の頭の中に浮かんだのは、よくある引きこもりの姿。

 荒れ果てた部屋、締め切ったカーテン、パソコンの画面だけが明かり、ボサボサの髪にスウェットを着た人。

 典型的なイメージが浮かんでしまい、今に俺に友達になれるのかと、自信が無くなる。


「でも俺……友達なんて……」


「ごめんごめん。友達じゃなくても、部屋の外から声をかけてくれるだけでいいんだ。俺や家族の声は聞いてくれないから……」


「ぐぬう……は、はい……」


 断ろうとしたのだが、ものすごく悲しそうな顔をされて、いつの間にか頷いてしまった。我ながらちょろい。

 視界の中で、御手洗が呆れた顔をしているのが見えた。


「本当か! ありがとう!」


 でも満面の笑みを向けられて、後悔はどこかへ消え去った。


「は、はい。頑張ります」




 ┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈




 こうして安請負をした俺は、龍造寺さんの弟さんがいるという部屋の扉の前で、声をかけているという状況になっているのだ。


 それにしても、とてつもなく強情である。


 何回か声をかけているのだけど、返事どころか何の音もしないのだ。

 龍造寺さんが中にいると言っていたから、いることは確かなのだけれど、全く気配を感じない。


「部屋にこもりすぎて、同化しているのかな? それとも忍びスキルを習得したのかも」


 中にいるのが忍者であれば、気配を感じないのも当たり前である。

 返事がないのに辛いものがあったけど、扉に話しかけていると思えばいいか。


 扉のとっちゃん。


 今更だけど、龍造寺家もなかなかのお金持ちなのか、良い材質を使っている。

 まあ、別荘を持っている時点で、お金持ちではあるか。


 俺は名前をつけたとっちゃんに向かって、話しかけ続ける。


「そういえば、川ではたくさんの魚が泳いでいたよ。素手で掴もうかと思ったけど、御手洗に止められちゃった」


「休むために別荘に来たのに、勉強させられたんだよね。しかも、御手洗の方がスパルタっていうのはどういうわけだろう」


「父親と弟から毎日電話がかかってくるんだ。元気にしてるかなんて、何かあったら連絡するだろうから、わざわざ聞かなくてもいいのに」


「ここら辺、木ばっかりだから道に迷いそうになるよね。最初に迷ったし……御手洗が迷子になるからって、絶対に送迎してくるんだ。さすがに何回も通れば、俺だってここに来るのは迷わないよ」


「俺がにんじんを食べられないって分かってから、毎食にんじんが出てくる。絶対に嫌がらせだよね。にんじんは、うさぎとか馬が食べるものなんだ……でも食べるまで、横でニコニコ立ったまま動かないんだよ。あれは完全にトラウマになる」


 返事が無いのをいいことに、会話の大半が御手洗の愚痴で占めた。

 それぐらい、御手洗に対する愚痴が溜まっていたのもある。


 気を遣って、龍造寺さんは話が聞こえない場所にいた。

 だから思う存分、好き勝手な話が出来る。



 最初は大変だったのに、いつしか愚痴を言うのが日課になっていた。

 未だに部屋の向こうから返事は無いけど、龍造寺さんは俺が来ることを感謝してくれる。

 俺としては、感謝される覚えは無いのだけれど。


 こうして、姿の見えない人との交流は6日続いた。




 ┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈




 7日目。

 今日は俺が、家に帰る日だった。

 別に延長しても良かったのだけど、父親と弟がそれを許さなかったのだ。


 それでも何とか交渉をして、今日の夕方までいることの許可はもぎとった。

 帰る前に、別れの挨拶はしておかなくてはと思ったのだ。


「そうか……寂しくなるな」


 今日で帰ることを伝えると、


「ごめんなさい」


「どうして謝るんだ?」


「結局、部屋から出てきてもらえなかったから。俺、ただ扉に話しかけただけだった。龍造寺さんが頼んでくれたのに……役に立ちたかったのに」


 今日で帰らなくてはいけない。

 その中で、龍造寺さんのことが一番の心残りだった。


「……途中で放り投げて、ごめんなさい」


 それもあって滞在に延長を求めたのだけど、出来なかったので申し訳ない気持ちでいっぱいだ。


「謝らなくてもいい。帝君は、とても良くやってくれたよ」


「でも……」


「弟は、まあ……何とかなるさ。これから、まだまだ時間がある。ずっと、このままでいられるわけがない」


 龍造寺さんは、怒らず優しく笑ってくれた。

 本当に、お兄ちゃんになって欲しいぐらい、いい人である。


「役に立てなかったけど、これからも会えますよね? これでお別れは嫌です」


 ここで切れる縁にするには、とてももったいない。

 そういう打算もあって、俺は関係の継続を提案した。


「そうだな。俺達も休みが終わったら、家に帰るつもりだし。きっと会おうと思えば、会えるだろう」


 俺のそんな打算的な考えを知ってか知らずか、簡単に龍造寺さんは提案を了承してくれる。

 これで、繋がりが切れることは無い。


「また、よろしくお願いします」


「ああ、こちらこそよろしく」


 こんな優しい人は、このまま俺の癒し枠に永久就職である。


「えっと、それじゃあ弟さんにもお別れを言ってきますね」


「ああ、すごい寂しがると思うよ」


「うるさいのがいなくなって、せいせいするんじゃ」


「そんなことは無いさ。絶対に寂しがる」


 断定的に言うけど、全く信じられない。

 俺は適当に返事をして、通い慣れた廊下を進んだ。


 部屋の前に来て、いつもの様に座ろうかと思ったけど、悠長にしている時間が無いのを思い出した。

 だから初めて、部屋の扉をノックする。


「……寝ていたらごめん」


 返事は無い。


「俺、今日で家に帰るんだ。だから最後に、お別れを言っておこうと思って」


 それでも構わず、俺は勝手に話を続ける。


「今まで勝手に話をし続けて、うるさかったよね。ごめん。ほとんど愚痴ばっかりだったし。でも、今日で終わりだから。最後に少しだけ」



「俺はこの時間が、結構楽しかったよ。俺ばっかり話していたけど、文句も言わず聞いていてくれていたから。凄く聞き上手だよね」



「どうして部屋から出てこないのかは、理由とか全然分からないけど、きっと友達は君なら出来るよ。というか、もう俺と君は友達だって。……まあ、いらないなら無理にとは言わないけどね」



 これが最後の会話になるかもしれない。

 そう思い、俺は全てをぶちまけた。


「今日でお別れだけど、もしも部屋から出たら、一緒に遊ぼう。……じゃあ、また」


 そして満足すると、俺は扉の前から離れる。



 部屋の中から、何かが動く音がしたけど、最後まで誰かが出てくることは無かった。




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