06:状況が理解できません




 Q:弟と唇がくっついています。これはどういうことでしょう?


 A:完全なキスです。


 頭の中で、誰かとクイズを出し合うぐらい、俺は混乱していた。

 今もなお、くっついている唇の柔らかさに、どうしたらいいのか全く分からなかった。


 それにしても、長くないか?

 くっついているだけとはいえ、もう一分ぐらいは経っている。

 さすがにされていることは理解できたが、されている理由が全く分からない。


 この世界では、兄弟同士ならキスをしても普通なのか。

 そんな考えも浮かんだけど、俺の記憶がそれを否定する。

 さすがに口と口のキスは、いくら仲が良くてもありえない。



 それなら、今の状況は何だ?

 引き剥がそうと思えば、力では俺が強いから簡単に出来る。

 でも可愛い弟に、そんな乱暴なことはしたくない。


 それにキスをしてくる前に、弟は言った。

 だーいすき、と。

 言葉から判断すると、純粋な好意でこうしているのだ。

 きっと、好意を伝える方法を勘違いして、こんなふうに間違った方法になってしまっただけ。


 そう思えば、目をつぶって必死な顔をしているのが、可愛く思えてくるぐらいには余裕が出てきた。

 さすがの首を伸ばしてキスをし続けるのは大変みたいで、ぷはぁっと息を吐いて、ようやく弟が離れる。


「……急にどうしたの? 正継?」


 キスをしている間は何が起こるか読めないので、口を開かないようにしていた。

 そのおかげかどうかは分からないけど、大惨事にはならずに済んだ。


 俺はどうしてこんなことをしたのか、弟に問いかける。

 上手く答えがまとまらないようで、口をもごもごと動かしていたが、悲しそうな顔でこちらを見てきた。


「……いやだった? ごめんなさい」


「ち、違うよっ。嫌だったわけじゃないけど、どうしてこんなことをしたのか聞きたかっただけ」


 今にも泣きそうに顔をゆがめるから、俺は慌てて言い直す。

 そのおかげで、泣かずにすみ安堵する。


「あのね、あのね」


 何故か機嫌が良くなった弟は、目を輝かせて話し始めた。


「ほんでみたの! すきなひとには、ちゅってするんでしょ? ぼく、おにいちゃんがだいすきだから、ちゅってしたの!」


 言い方は可愛いけど、言っている内容に頭が痛くなりそうだ。

 これでほっぺにされたのなら、まだ良かったのに。

 何をどう勘違いしたのか。最初から最後かもしれない。


 もしかしたら、このままにしておくと俺以外にも、同じようなことをしでかす可能性がある。

 そうなる前に、正しておかなくては。

 俺は弟の将来のため、一肌脱ぐ。


「あのね。まさつぐ」


「なあに? おにいちゃん?」


 他意は無いとはいえ、とろけるような表情で、好きという気持ちがたくさん含まれている様子を見ると、ものすごく心臓に悪い。

 ときめかないように注意しながら、俺は分かりやすく説明をする。


「好きな人にちゅってするのは合っているよ。でもね、それは結婚したいぐらい好きな人にだけなんだ。俺と正継は兄弟だろう? だから、口と口でちゅっとするのは駄目なの。分かった?」


 キスをちゅっと言うのは恥ずかしかったけど、キスが何かと聞かれたら、説明する方が恥ずかしいので、心を無にして口にする。

 俺の言いたいことは伝わったのか、楽しそうだったのに、どこか怒ったような表情に変わってしまった。


 表情の変化についていけず、戸惑っている俺に、とてつもなく不機嫌な声が聞こえてきた。


「ぼくが、なにもわかっていないっておもっているんだ! おにいちゃんのばかばか!」


 きっと本気で怒っていると思う。

 でも見た目が見た目なせいで、微笑ましい光景にしか見えない。


「ごめんごめん、俺が悪かったから」


「ぜったいわかってない! ばか!」


 弟の言うとおり、俺は何も分かっていないけど、とりあえず謝った。

 そうするとさらに怒らせてしまい、お手上げになる。


「本当にごめんね。でも正継が怒ると、お兄ちゃんは悲しい」


 弟に嫌われたら、完全に詰みだ。

 怒ってはいても、まだ憎しみや恨みを感じないから、今のところは冷静でいられる。


 寂しい顔をわざと作れば、今度は弟が慌てる番だった。


「ご、ごめんね? ぼく、おこってないから! なかないで!」


 必死な姿に良心が痛むけど、種明かしはしなかった。

 意地悪ではない。


「お坊ちゃま、朝食のご用意が出来ました。旦那様がお待ちです」


 静かなノックとともに、使用人の一人の声が聞こえてきたので、話を中断するしかなかった。


「わ、分かった。今行く」


 俺が返事をすると、扉の向こうの気配が消える。

 押し問答をしている間に、だいぶ時間が経っていたのか。


 鏡を見る前に、着替えておいて良かった。

 弟も部屋着から着替えているので、このまま迎える。


「正継。ご飯だって。一緒に行こうか」


 未だに腕の中にいる弟と目を合わせ、俺は離れるように促した。


「……ちっ」


「正継……?」


「どうしたの? おにいちゃん?」


「ううん、何でもない。気のせいだったみたい」


 こんなにも可愛い弟が、舌打ちなんかするはずがない。

 天使の笑顔を見せると、一度強く抱きついて、そして離れていった。


「いこう! おにいちゃん!」


 いつの間に好感度が上がったのか、笑顔を見せてくれるようになって、本当に嬉しい。

 俺は弟の手をとり、指を絡めてしっかり握った。


 こんなに小さくて、純粋な弟は、俺が守らなきゃ。

 握った手の温かさに、そんな使命感が胸を占めた。



 ┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈



 弟との仲が良くなって、順調にいっていると油断したのが悪かったのか。


「……今、なんて、言いましたか? お父様」


 食事が終わって良かった。

 そうじゃなかったら、カトラリーを落としていただろう。


 視界に入る弟も、大きな口を開けて驚いている。

 そろそろはしたないと父親に怒られるだろうから、口を閉じた方が良いと思うのだけど。

 少し遠いから、注意が出来ない。


 でも良かったことに、父親の視線は俺に向いているから怒られなさそうだ。

 それに安心したかったけど、こちらはこちらでまだ問題が残っている。


「聞こえなかったのか。もう一度言うぞ」


 いつもだったら、ここで静かに怒られるはずだが、今日はまだ機嫌がいいらしい。

 父親は分かりやすく、ゆっくりと丁寧に同じ言葉を言う。


「誕生日パーティを延期しただろう。今日の夜、やることになったから、準備しておきなさい」


 別に、ゆっくりはっきり言わなくても、最初の時で聞き取れていた。

 俺はすぐそこに差し迫った波乱の予感に、現実逃避をしたくなった。

 もしかしたら少しぐらいは、口から魂が抜けかけたかもしれない。




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