03:和解? そして早くもラスボス登場



 父親が落ち着いた頃を見計らって、俺は抱きしめていた足をはなした。

 ずっと抱きしめていたせいか、少し寒さを感じたけど、これ以上やっていたら調子に乗りすぎだと怒られてしまいそうだ。


「ごめんなさい、お父様。お仕事の邪魔をしてしまいました」


 色々と怒られる理由があるので、言われる前に先に謝っておく。

 むしろ今まで好き勝手にして、未だに怒られていないことの方が、おかしい話なのだ。


「……いや、構わない。ああ、あと……」


 俺は頭を下げて、そのまま部屋から出ようとする。

 しかし呼び止められてしまい、緊張しながら立ち止まった。


「なんでしょうか?」


 怒られるのは嫌だな。

 そんな気持ちを顔には出さないように、必死に抑えて澄ました表情を意識する。

 昔の俺が、怒られないために習得した悲しい特技だ。


 珍しく口ごもった父親は、少し視線をさまよわせると、早口に素っ気なく言う。


正継まさつぐが落ちこんでいたから、様子を見てきてくれ」


「……はい」


 その名前に、俺は澄ましていた表情が崩れる。

 視線が外れていたおかげで、父親が気が付かなかったのは幸運だ。

 そうじゃなかったら、何でそんなに顔色が悪いのかと指摘されていただろう。


 俺は絞り出すように返事を口にすると、他にも何かを言われる前にと、部屋から出た。


「……あと、誕生日おめでとう」


 扉が閉まる直前で聞こえてきた言葉は、父親が絶対に言うはずのないものだったので、俺の空耳だったのだろう。



 ┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈



「……はあ、行きたくない」


 父親に言われてしまったから、仕方なく部屋に向かっているが、先程以上に自分の部屋に帰りたかった。

 父親と和解できたのかだって微妙なところなのに、これから行く先を思うと、ため息しか出てこない。


 正継は、俺の2つ下の弟だ。

 父親も母親も同じ、まだ3歳の可愛い弟。

 それなのに、何故行くのが嫌なのかというと、俺からすれば死活問題の理由はあるからだ。



 薔薇園学園物語の主人公である転入生は、最後に自身を支えてくれたキャラと結ばれる。

 そのキャラは、生徒会でも風紀でも先生でも無い。

 立ち位置を第三者だと名乗っていたのだが、その正体は一之宮グループの次男。


 つまり、今から行こうとしている俺の弟である。



 弟は、幼少期から俺を恨んでいる設定だった。

 そのせいで、俺が転入生に惚れてうつつを抜かし仕事を放棄すると、真っ先にリコールをするために動き始めるのだ。

 リコールが決まり、家から勘当された俺に対し、吐き捨てるように言った言葉は、今でも簡単に思い出せる。


「今までずっと、あんたのことが大嫌いだった。こうなって、せいせいしたよ」


 この言葉だけで分かる。

 俺がどれだけ、弟に恨まれて嫌われていたのかが。

 他人事だった時は、特にこのセリフを何とも思っていなかった。むしろ生徒会長可哀想と、少しだけ馬鹿にした気持ちもあった。

 でも当事者になった今は、全く持って笑えない。


 つまり、物語においても俺にとっても、弟はラスボスなのだ。

 その弟の部屋に、今から行こうとしているのだ。

 ストレスで、胃がキリキリと痛む。


「弟はまだ3歳。弟はまだ3歳。弟はまだ3歳。だから嫌われていないはず。大丈夫。きっと大丈夫」


 廊下を誰も歩いていないのを良いことに、俺は何度も自分に言い聞かせて、気持ちを落ち着かせた。

 その姿は誰かに見られたら病院を紹介されそうだけど、こうでもしないと今にも逃げ出してしまいそうだから仕方が無い。


 迷子にでもなれたら、行かなくて済む言い訳にもなったのに、無駄にハイスペックな脳みそが忘れることは無かった。


「……嫌だ」


 一回も迷わず、部屋に辿り着いた俺は、大きなため息を吐く。


 父親の部屋の扉よりも、更に大きく威圧感があった。

 この向こうにいるのは、俺を破滅に追い込む存在。


 迂闊な行動をとれば、恨まれて憎まれるルートに入ってしまうのだ。

 どんな鬼畜ゲームなんだと、現実逃避をしたくなる。

 それでも父親に言われてしまったから、顔だけでも見なくては帰れない。


 俺は弟の顔を見たら、すぐに部屋から出ていこうと決めて、扉をノックした。

 部屋の中から、返事は無い。

 ノックが小さくて聞こえなかったのか。

 俺はもう一度、今度は強くノックした。

 それでも返事は無い。


「……寝ているのか?」


 寝ているなら寝ているで、帰ってもいいだろうか。

 今は会って話をする余裕がないから、その方が嬉しい。


 一応、中の様子を確認してからにするか。

 俺はそっと扉に耳を付けて、中の音を聞こうと集中する。


 初めは何の音も聞こえなかった。

 しかし耳が慣れてきて、微かな音を拾い始める。

 不規則に聞こえてくる何か。

 それが何の音か最初は分からなかったけど、聞いているうちに予想が付いた。


「もしかして……泣いている?」


 正体が分かれば、もうそうとしか聞こえない。

 そして分かってしまったら、聞こえないふりをして部屋に帰ることなんて出来なかった。

 俺の中の良心が、ちくちく痛む。


「ああ、もう。勘弁してくれよ」


 言葉ではそう言いつつ、俺は静かに扉を開ける。運のいいことに、鍵はかかっていなかった。

 部屋の中はカーテンを閉め切っているせいで、まだ昼間なのに薄暗い。

 それに空気がジメジメとしていて、キノコでも生えていそうな感じだ。


 すぐにでもカーテンを開け、太陽の光を入れたい。

 俺としてはそうしたかったが、視界に入ったベッドの上に、明らかに人のサイズに膨らんだ布団があったので、そうもいかなかった。


 あの中に、絶対弟がいる。

 中からすすり泣くような嗚咽が聞こえてくるから、幽霊じゃない限りは弟しかいない。



 実は弟は、母親の死を目の前で見ている。

 むしろ弟を助けて、母親は死んだのだ。

 まだ3歳だから完全に全てを理解しているわけではないだろうが、それでも自分のせいだと責めているのかもしれない。



 そして物語の中で、俺は弟に対し、その事実を突きつけ責めて責めまくったことが、兄弟の関係にヒビが入るきっかけになるのだった。





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