第29話 ミッフィーのキセキ


 2月14日、18:00。とある総合病院に救急車が一台やってきた。救急車から一人の患者が担架に運ばれてくる。


 担架が向かった先には、救急救命室。たくさんのベッドが並べられ、点滴、心電図などの医療器具も揃っている。そこへ眼鏡をかけ青い服を着た長身の男性医師がやってきた。


「戸塚先生、クランケはバスに激突、右ろっ骨骨折、内臓破裂による出血の模様」

「血圧は?」

「80の60です」

「脈拍は?」

「55です」

「オペ室の準備を」

「はい」


 医師たちは緊迫した状況であるにもかかわらず、淡々と、かつ手際よく手術の準備をする。担当医師は患者の顔に見覚えがあるようだが、普段と変わらぬ対応をしている。


 患者がオペ室に運ばれていく。病室の外にいた三日月モモがベッドに駆け寄ろうとするが、看護師に近寄るのを止められた。


「今から手術だからね。大丈夫よ、戸塚先生は名医だから」


 看護師に説得させられ、少し落ち着くモモ。すると、後ろから担当医師が現れた。モモがその医師の顔に見覚えがあるようだ。


「ルギー……じゃなくてタックさん?」

「ああ、モモちゃん。大丈夫、任せて」


 タックは右の親指を軽く立てて、そのままオペ室に入って行った。


「お願い、タックさん、ヤスケンを助けて……」


 モモはオペ室の前で手を合わせて祈るしかなかった。


 タックは手を消毒し、手袋をはめ、腕を上げたまま手術台の前に立った。


「血圧は?」

「80の60です」

「脈拍は?」

「55です」

「輸血の準備は?」

「確保できました」

「では、ただいまからオペを始める。麻酔注入」

「はい」


 安永に麻酔をかけてしばらくして、


「麻酔完了しました」

「よし、メス」

「はい」


 タックが安永の腹部をメスで切っていく。切った瞬間安永の腹部から大量の血液が噴き出してきた。


「先生、血圧下がってきてます」


 看護師が焦った声で状況を説明する。


「血が出てるから、仕方ないよ。それよりも俺らが焦っちゃいかんよ。エアーで血液を吸引、そのあと内臓の止血に入る」

「はい」


 医師団は手術を続けた。


 手術が開始されてから一時間、オペ室の前ではモモだけでなく、安永の両親、兄、叔母のナンシー、そしてルギーが集まっていた。そこへ、あすか先生がやってきた。


「あすかちん」

「ナンシー、で手術の様子は」

「うん、始まって1時間くらいかな。大丈夫かしら?」

「うちの旦那、腕はいいから大丈夫よ」

「そう、そっちは任せるしかないけど。こっちがね……」


 ナンシーが指を指した先ではずっと泣いているモモの姿があった。あすか先生がモモに近づく。


「ぐすん。あしゅかせんしぇい」


 モモは涙で目が真っ赤、鼻からは鼻水が垂れていた。


「モモッチ、目が真っ赤じゃない」

「だって、だって。あたしのせいでヤスケンが……ヤスケンが……」

「大丈夫だから、きっと助かるから。もう、ひどい顔じゃない」


 あすか先生はティッシュでモモの涙と鼻水を拭いた。それでもモモは泣き続ける。


「でも……でも……ヤスケンが死んじゃったら……」


 バシン!あすか先生がモモの頬を叩く。


「バカっ!あぁたがそんなこと言ってどうするの!あぁたが信じてあげなきゃダメでしょ!ヤスケンがきっと助かるって」

「はい……そうですよね……。信じなきゃいけませんよね……」

「モモッチ、今日はもう帰りなさい。ねっ」

「はい、わかりました」

「じゃ、俺送るよ」

「ありがとうルギー。お願いね」


 モモはルギーの車に乗り、家路に着いた。


 モモは自分の部屋に戻ると、おもむろにアルバムを開いた。まず目にしたのは大勢直立不動で映っている写真だ。


「始業式の写真だ。みんな緊張してるな。ヤスケンとは結構離れているな……。あ、なんでリーダーが隣?ぷははは」


 次に目にしたのは、サッカーのユニフォームを着た男の背中の写真。


「インターハイ予選の写真だ。恥ずかしくてヤスケンの後ろ姿をしか撮れなかったな。得点を決めた時はかっこよかったけど、あのPKは残念だったな」


 次の写真は、運動着を着たクラスメートたちと写っている。


「球技大会のときだ。何気に隣同士、ふふふ……」


 次の写真は玄関での集合写真。ルギーやロビンソン、なっちゃん先輩も写っている。


「合宿の写真だ。練習は大変だったけど、いろんな事件があって面白かったな。あ、ロビンソンだ。もうこの人が来るといつも何かが起こるから。で、ヤスケンがいつも被害者」


 続いては、楽器を持っている集合写真。安永は旗を持っている。


「文化祭の写真だ。緊張したな……。でも、うまくいってよかった。なっちゃん先輩が大泣きしちゃって、もらい泣きしちゃったよ。マーチングバンドのおかげかな、ヤスケンとの距離が近くなったのも」


 次にモモが見つけたのは、シェフの格好をしたモモと安永、そしてひなた寿司の洋ちゃん。


「クリスマスの時のだ。大変だったな。それなのに全然食べられなかったし。

 でも、そのあと……むふふ……。あの時のあたし、大胆だったな」


 そして、モモと安永のツーショット写真。


「ビレバンでなっちゃん先輩に撮ってもらった写真だ。かわいいな、ヤスケンの照れてる顔」


 モモは写真をみているうちに、涙が流れてきた。


「ひっく……ヤスケン……ヤスケン……。うえーん……」


 2月15日。モモはアルバムを見て、そのまま寝てしまったようだ。

 急いで服を着替えて、朝ごはんを食べるモモ。朝ごはんを食べて外を眺めていると、ミッフィーが小屋から外に出ていた。ミッフィーを眺めるモモ。すると突然、


「わかったよ、ミッフィー」


 とモモは言い、大きな袋を持ち出して、外にいたミッフィーを袋に入れた。


「お母さん、これから病院に行くから」


 と言い、ミッフィーを連れたモモは家を出た。


 モモが病院に着くと、城ヶ崎しげると菊地萌子がロビーにいた。


「リーダー、菊ちゃん」

「ああ、モモッチ。モモッチもお見舞いに?」

「うん」

「ヤスケン先輩大丈夫ですかね?」

「おじさんが手術は成功したって言ってたから、大丈夫だよ」

「ならよかった~。じゃ、病室に行きましょ」

「うん」


 3人が病室に向かうと、なにやら騒がしくなっている。


「血圧急激に低下!」

「昇圧剤は!」

「今すぐに!」


 モモが病室を覗くと、タックを中心とした医療団が安永の緊急治療を行っていた。


「心拍数ゼロ!」

「電気ショック用意して!」

「はい!」


 電気ショックの機械が病室へ運びこまれると、タックが安永の胸に電極を当てた。


「3、2、1、はい!」


 安永の心臓に電流が流れる。しかし、心電図は波を打たない。


「もう1回!3、2、1、はい!」


 安永の心臓に再び電流が流れる。しかし、安永は何の反応も見せない。その後、何度か電気ショックを試みるが、安永は動かないままだった。そして、タックが脈や呼吸、瞳孔などを確認しつぶやいた。


「午前11時15分、心肺停止。ご臨終です」

「イヤー!」


 菊ちゃんの叫びが病室中に響いた。


「なんでだよ?!手術成功したっていったじゃないか!」


 しげるがタックに言い寄り、タックの襟をつかんだ。黙ったまま唇を噛みしめるタック。モモは何も言わずにその場で膝を落としてしまった。モモが膝を落とした瞬間、袋からミッフィーが飛び出した。ミッフィーは跳ねながら、安永のベッドに向かった。そして、動かない安永のお腹の上に乗っかり突然跳ねだした。


「ミッフィー、そんなことしてもヤスケンは生き返らないよ!もうやめてよ!」


 モモがミッフィーを見ると異変に気づいた。安永のお腹の上を跳ねているミッフィーの姿が次第に消えてきた。そして、ミッフィーがモモを見ると完全に消えてしまった。すると、


「戸塚先生、心電図が!」

「なんだって?!」

「呼吸も回復しています!」


 なんと、安永の心臓と動き出し、呼吸も回復した。そして、


「あ……腹減った……」


 安永の意識が戻った。


「ヤスケン!」

「拳!」

「拳ちゃん!」


 安永の家族、親戚、しげる、菊ちゃんが次々と抱きつく。抱きつかれた安永は苦しそうだ。そして、安永は集団の奥にいるモモを発見した。


「よかった……よかった……」


 モモは喜びの涙を流していた。


「モモッチ……」


 安永は一言いうと、再び目を閉じた。


「ええ、ちょっとちょっと!」


 周りが慌てて騒ぎ出すと、


「ンガー!フンガー!」


 なんと、安永がいびきをかいている。


「ははははは!」


 病室は爆笑に包まれた。


 2月28日。モモと安永は釜揚噴水公園の噴水の前にあるベンチに座っていた。


「退院おめでとう、ヤスケン」

「ありがとう、モモッチ」

「意外と早かったね」

「うん、タック先生も驚いてたよ。骨折も内臓もすっかり治ってるって。これもミッフィーのおかげだね」

「でも、病み上がりだからあまり無理しちゃだめだよ。ミッフィーからもらった命なんだから。大事にしないと」

「はい、わかりました」


 二人は立ち上がり、公園を散歩しに行った。


「もうすぐ卒業式だね、ヤスケン」

「うん。で、モモッチはいつウィーンに行くの?」

「うーん、3月20日だったかな?」

「じゃ、見送りに行くよ」

「ありがと。ヤスケンはいつから修業なの?」

「俺は4月から」

「そっか、がんばってね」

「うん。こうして二人で会えるのもあと少しなんだよな」

「ん、寂しい?」

「寂しくないって言ったら、嘘だけど」


 すると、モモがいきなり安永に口づけをした。


「な、なに?なんで、なんで?」


 慌てふためく安永。


「おまじないよ」

「何の?」

「あたしを忘れないように。そして、浮気しないように」

「う、浮気なんてするわけないだろ」

「ふふふ、念のためよ」

「帰るよ!」


 安永は少し怒った振りをしてモモの手を引いた。


「はーい」


 モモは安永の腕に抱きついた。安永は抱きついたモモに対して特に抵抗もせず、二人はそのまま家に帰って行った。


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