第11話 奇跡のムーンサルト
5月7日。体操部の城ヶ崎しげるは体育館で熱心に苦手のゆか練習をしていた。しかし、その表情は鬼気迫るものであった。
「おい、城ヶ崎。あまり無理するなよ」
「中本コーチ、心配ありません。俺大丈夫ですから」
コーチの中本が心配してしげるに声をかけたが、しげるは心配をよそに練習を続ける。
「アキトちゃん、なんか聞いてない?」
「おとといの夜から様子が変だとおばさんから聞いてますけど……。ちょっと心配ですね」
顧問のひかり先生としげるのいとこで教育実習中のアキトも心配そうにしげるの練習を見守っていた。
19:00、練習を終えたしげるは体操部の仲間たちと帰路についていた。
「リーダー、もしかしてこの前のロビンソン亭でのできごと、気にしているのか」
「気にしていないって言ったら、ウソになるけど。はじめてだったんだよ、しかも江戸さんの前で、あんな酔っ払いのおばさんと。早く忘れたいんだよ。忘れたいから、体を動かしかないと思って」
「わかるよ、リーダー」
「わかるわけないだろ!お前、キスしたことあるのか?」
「あるよ、彼女と」
「えっ、彼女いたの、ぐっさん?」
「ああ、最近付き合いはじめたばかりだけど」
「そっか……」
突然の友人のカミングアウトに驚くしげる。
「ま、とにかくインターハイも近いし、俺らもリーダーのように気合いれて練習しないとな」
「そうだな。みんなでインターハイ目指してがんばろうよ。な、リーダー」
「よし、めざせインターハイ!いくぞ、釜高体操部!」
「おお!」
男たちは絆を深めた。
一方同じ頃、ひかり先生、中本コーチ、アキト、そして校医のあすか先生は居酒屋で飲んでいた。どうやら、あすか先生がずいぶん酔っ払っているようだ。
「あんたたちは幸せそうでいいわよね。ひかり、中本くんいつ結婚するのよ?」
「いや、あすか先生、僕らはまだ結婚とかそういうことは……」
「なに言ってんの、中本くん!結婚なんていうのはね勢いなのよ。チャンス逃したら、いつまでたってもできないわよ。ま、うちにみたいに結婚しても苦労することばかりだけど」
「あすか先生、結婚されていたんですか?」
アキトが不意に聞いてみた。
「そうよ。まったく、あのバカ旦那、しょっちゅうどこかに行っちゃうし。この前も久しぶりに帰ってきたと思ったら、1時間くらいしてすぐ出て行っちゃったし。もうなんなの、あのバカ。ルギーのバカー!」
「ちょっと、あすか飲みすぎだって」
ひかりがたしなめる。
「飲まずにはいられないのよ。まったく、あの男は……。なんであたし、あいつと結婚しちゃったんだろう?」
さらに愚痴るあすか。
「あの、旦那さんってどんな顔してるんですか?見せてくださいよ」
「アキトちゃん、見てみる?そんなたいした男じゃないわよ」
あすかが携帯をアキトに渡す。アキトは携帯に写っている顔をみて驚いた。
「この人、まさか……」
5月最終日曜日。S県K体育館ではインターハイ体操競技のS県大会が行われていた。釜揚高校は前日の規定演技で上位8校まで勝ち残り、自由演技に出場していた。
「さあ、始まりました体操競技インターハイ県予選。我が釜高は前日の規定で見事にベスト8に進出。本日の自由演技に出場しております。団体で1位もしくは個人総合で2位までに入れば、インターハイ本選進出です。がんばれ、釜高ジャパン。実況はわたくし放送部の平川、解説はスポーツ観戦同好会の松本でお送りします。松本さんよろしくお願いします」
「よろしくおねがいします」
「本日の見どころはどこでしょうね、松本さん」
「そーですねぇ。釜高は今回初めてベスト8に進出したので、団体での進出は難しいでしょうね。ただ、キャプテンの城ヶ崎くんは昨年の新人戦でもいい成績を残しましたし、個人での出場は望みが高いでしょうね」
「さあ、果たして釜高からインターハイ進出者が現れるのでしょうか?こうご期待です」
各校の自由演技が始まった。男子の体操競技は、ゆか・あん馬・つり輪・跳馬・平行棒・鉄棒の6種目の合計で争われる。釜高部員たちは緊張のためか、なかなか点数を伸ばすのことができない。そんな中、しげるは得意のつり輪で、
「出ました。釜高キャプテン城ヶ崎くん、つり輪で14・5点の高得点を獲得しました!」
「これは今のところ1番高い得点ですね。さすが、城ヶ崎くん。得意のつり輪でしっかりと得点を重ねていきましたね」
「3種目終えて、城ヶ崎くん個人総合で3位になりました。これはインターハイが近くなってきました」
その後、跳馬と鉄棒でも着実に点数を伸ばすしげる。そして、最終種目のゆかを迎えた。
「さあ、インターハイS県予選自由演技、残すところは最終種目のみとなりました。団体では残念ながら釜高インターハイに進出できませんでした。が、しかしまだ希望はあります。城ヶ崎くん、現在個人総合第3位。最終種目のゆかで13・3点以上であれば、逆転でインターハイ進出となります。いけ、城ヶ崎、その闘志を燃やせ!」
「うーん、たしかにゆかで13・3点以上出せば逆転できるのですが、なにせ城ヶ崎くんゆかは苦手ですからね。なかなか高得点を出すのは難しいんじゃないでしょうか」
「なに言ってんですか、松本さん!エンドルフィン出せば、何でもできるんです!インターハイへのドリームロードはすぐそこだ、行くんだ城ヶ崎!釜高ジャパン!運命の70秒です!」
「ちょっと平川さん興奮しすぎですって……」
実況席での興奮はさておいて、ゆかに望むしげるは緊張で手に汗にぎっていた。
「これで失敗したら、インターハイへの道が……。ああ、いかんいかん、こんなネガティブな気持ちじゃ。集中、集中しなきゃ」
しげるは不安で下を向いたままゆかに向かおうとしていた。そのとき、観客席から、
「へのつっぱりはいらんですよ!」
と、言葉の意味はよくわからないがとても自信のある声が聞こえた。しげるにとっては聞き覚えのある声だった。しげるはその声を聞いて緊張がほぐれた。
「ありがとう、おじさん」
しげるは顔を上げ、最後のゆかの自由演技を始めた。
前方宙返り、後方宙返り、側転、十字倒立などを決めていくしげる。ときどき着地で安定を欠いたが、苦手種目にしては上出来である。そして、最後の決め技に入った。
「ここで、城ヶ崎くん。後方2回宙返り1回ひねり、ムーンサルトだ!着地も決まった!城ヶ崎くん、満面の笑みです。果たして、得点はどうなっているのでしょう。出ました!なんと13・34点!城ヶ崎くん、逆転でインターハイ進出決定です!城ヶ崎くん、ガッツポーズです!泣いております。喜びの涙です、城ヶ崎くん」
喜びで泣いていたのはしげるだけではなかった。体操部の仲間、観客席で応援していた顧問のひかり先生、中本コーチ、しげるのいとこのアキト、そしてマネージャーの江戸サキも泣いていた。
「すばらしい演技でした、城ヶ崎くん。お見事です。とくに最後のムーンサルトは……すみません、不肖松本、感動のあまり解説できません……」
みんなが歓喜に沸いているころ、観客席から静かに出て行く男を見つけたアキトは男を追いかけた。そして、ロビーで男に声をかける。
「た、貴之さんですよね」
男はアキトに気づいた。
「ああ、君はしげるのいとこのアキトちゃんだっけ?あ、しげるにおめでとうって言っといてくれ」
「ま、それは言っておきますけど。それよりも奥さんのことですよ!かなり悩んでいたみたいですよ」
「あすかのこと、知ってるの?」
「ええ、今教育実習でお世話になっています」
「そっか、わかった。今度帰るかな。んじゃ、またね」
しげるにどことなく似ている男、貴之はアキトに手を振りそのまま体育館を後にした。
「まったく、大丈夫かしら?」
アキトは心配そうにその後姿を見送った。
その夜、体操部の部員たちとマネージャーの江戸サキはレストラン「すこやか」でしげるのお祝いパーティーを行っていた。
「では、リーダーのインターハイ進出を祝って、いただきまーす!」
「いただきまーす!」
みんなが「すこやか」のハンバーグをほおばった。
「キャプテン、どうぞ」
サキがハンバーグを一切れしげるに差し出した。
「ほら、リーダー『あーん』ってしなきゃ」
「え、恥ずかしいよ」
「それ、あーん!あーん!」
「しょうがないな」
仲間たちにあおられ、しげるは恥ずかしそうに口をあけ、サキのさしだしたハンバーグを食べた。しげるにとって至福のひと時であった。
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