第3話 ひなまつりとマグロカツサンド

 安永とモモが公園で出会った翌日の月曜日、駅の改札で朝からうろたえている男子高校生が一人。体操部の「リーダー」城ヶ崎しげるだ。


「あー、ない。ない、ない、ない。どうしよう……」

「おはよう、少年。朝からどうした?」


 一人の女性がしげるの肩を軽くたたいた。


「あ、おはようございます、あすか先生。実は定期が見つからなくて」


 声をかけた女性は、しげるがあこがれる保健室のあすか先生だった。


「そう。今から家に帰っても、遅刻しちゃうしね。じゃ、電車賃貸してあげるよ」

「え、いいんですか?」

「かわいい生徒のためだからね。はい」


 あすか先生はしげるに千円札を一枚差し出した。


「ありがとうございます!……ところであすか先生って最寄りの駅ここでしたっけ?」

「いや、違うんだけど。昨日ちょっとコレのうちに泊まってたのよ」


 あすか先生の横にはもう一人あすか先生と同世代であろう大人の女性がいた。


「コレって何よ、まったく。おはよう、リーダー。定期忘れるなんてドジね」

「あ、おはようございます、ひかり先生」


 もう一人の女性は体操部の顧問、ひかり先生だった。


「ほらほら、早く買いに行かないと遅刻するぞ。遅刻したら、一週間あんたの苦手なゆか練習だからね」

「えー、勘弁してくださいよ」


 ひかり先生にせかされ、しげるが切符売り場に行こうとした瞬間。


 バシッ!


 しげるは突然後頭部をはたかれた。


「いててて、なんだよ」


 しげるが後ろを振り返ると、女子高生が。三日月モモだ。


「おはよ、リーダーくん。これ定期だよね。昨日美容院で落としていたよ」


 モモは美容院でみつけた定期入れをしげるに差し出した。


「あ、ありがとう。……でも、はたくことないだろ、『木琴』さん」

「なに、『木琴』?あたし三日月ですけど」


 モモはしげるをにらんだ。


「あ、三日月って言うんだ。玉木がいつも『木琴』って呼んでいるから、『木琴』って名前だと思ってた」


 玉木はモモが所属する吹奏楽部の指揮者だ。モモのことをいつも担当楽器の『木琴』呼ばわりしている。


「ほらほら、少年少女、早くしないと遅刻するぞ。行った、行った」


 あすか先生が二人を急かせる。


「はーい。それじゃいってきます、先生」


 モモは足早に改札に向かった。


「はい。先生ありがとうございました」


 しげるはあすか先生に千円札を返し、定期入れを大事に抱えながら改札に向かった。


 11:58。しげるはクラスメートとひそひそと話している。


「おい、今日はあの日だな」

「そうそう、マグロカツサンドの特売日だ。ありゃ絶品だよ。あれ食べるとここの高校来てよかったと思えるんだ」


 しげるたちの高校では月に一度売店でマグロカツサンドの特売日があるのだ。その人気は絶大で長い行列ができ、買うまで最大で30分以上もかかってしまう。


「はやく、チャイム鳴らないかな」


 しげるが昼休みを待ち遠しくしている頃、体育の授業が少し早めに終わった安永は教室に戻る途中、エプロンをつけて大きな箱を持っているかわいらしい女性を発見した。


「あ、のりさん。こんにちは。今日はなんでここに?」

「あら、拳ちゃん。ここの高校だったの?うちの店で月に一度マグロカツサンドの特売やってんのよ」


 のりは安永の父が足しげく通う漁港の食堂「ロビンソン亭」の看板娘、海の男たちにとってのマドンナだ。


「重そうですね。手伝いましょうか?」

「じゃ、あそこの車にまだ箱があるから持ってきてくれない?売店までね」

「はい、わかりました」


 安永は車に積んである箱をひょいと持ち上げて、のりと一緒に売店に向かった。


 12:15。しげるはマグロカツサンドを買う生徒たちの行列にはまっていた。


「あー、ちょっと遅れたかな」


 5分後、やっと売店にたどり着いたしげるは、売店のお姉さんの隣で手伝っている男子をみて怒りがわいてきた。しげるは早々とマグロカツサンドを買うと、売店の男子に向かって、


「この女ったらしが!」


 と捨て台詞を吐き、走り去った。思わぬ罵声をあびた安永は驚きを隠せない。


「拳ちゃん、お友達?」

「いや、違うけど。なんだ、あれ……」


 その3分後、マグロカツサンドは見事に完売した。のりさんは安永にマグロカツサンドを一つ差し出した。


「拳ちゃん、お疲れ様。ほんと助かったよ」

「いえいえ、父ちゃんがお世話になってますから、これくらい手伝わないと」

「でさ、日曜日空いてる?友達とひなまつりパーティーをするんだけど来ない?」

「あ、いいですね。行きますよ、いやぜひ」

「じゃあ、日曜日昼の1時に駅ね」

「はい、わかりました」


 おいおい、何か忘れていないかい、安永!


 約束の日曜日、12:15。モモはペットのミッフィーを抱え、公園で安永を待っていた。


「安永くん、遅いな。もしかして忘れちゃったのかな……。このままだとなっちゃん先輩との待ち合わせに間に合わなくなるよ」


 少し不安になったモモの目線の先に、足の長い男の走る影が見えた。安永だ。急いできたらしく髪はボサボサだ。


「あー、ごめんごめん。寝坊しちゃって」


 安永はモモに頭を下げる。


「寝坊って、もうお昼なんですけど。結構なお寝坊さんだこと。もしかして、あたしとの約束忘れてたんじゃない?」


 モモはわざと意地悪なことを言った。


「い、いや、そんなこと無いよ。ちゃ、ちゃんと来たし」


 あせる安永。そんな安永にモモは追い討ちをかける。


「ちゃんと?15分も遅刻して?」

「いや、それはごめん!ほんとにごめん!」


 安永は何度も頭を下げた。


「わかったよ。じゃ、ミッフィー、安永くんと遊んできな」


 ミッフィーは安永に向かって転がっていった。転がるミッフィーを見て、微笑む安永。そして、安永の笑顔にときめくモモ。

 しばらくして、ミッフィーと戯れていた安永の携帯が鳴った。


「もしもし、のりさん?え、駅?あー、すみません今すぐ行きます!」


 それと同時にモモの携帯も鳴った。


「もしもし、三日月です。なっちゃん先輩?もう1時って、すみません!」


 二人が携帯を切ると、声を合わせたかのように、


「「ごめん、このあと約束があって、駅に……」」


 はっとする二人。


「あれ、安永くんも駅?」

「三日月さんも?」

「じゃ二人で行こうか」


 駅に向かおうとするモモに対し、安永は


「三日月さん、ミッフィー忘れてるよ」


 急いでミッフィーを抱え、駅へ向かった。


 13:15。安永とモモは駅についた。すると女性二人が待っていた。


「よ、モモ15分遅刻」

「すみません、なっちゃん先輩」

「拳ちゃん、その子彼女?」

「いや、友達ですよ、のりさん。たまたま駅まで一緒だったもので」

「よっしゃ、行くかモモ」

「いくよ、拳ちゃん」

「それじゃ、三日月さん」

「じゃね、安永君」


 モモと安永は駅で別れるかと思ったが、四人の向かう方向は同じだ。


「あれ、三日月さん、どこ行くの?」

「ん?ひなまつりパーティー」

「俺もだ」

「じゃ、前の二人は知り合い?」

「その通りだよ、モモ」


 四人はとある店についた。なっちゃん先輩がドアをあけて、誰かを呼んでいる。


「店長!来ましたよ」


 店の奥から小柄な女性が走ってきた。その姿に安永は驚く。


「あれ?ナンシーおばさん」

「あー、拳ちゃん。のりちゃんのつれてくる子って拳ちゃんだったの?」

「え?店長の知り合い?」

「うん、あたしのかわいい甥っ子よ」

「へえ、拳ちゃん店長の甥っ子だったんだ」

「俺も驚きましたよ、のりさんとおばさんが知り合いだったなんて」

「じゃ、みんな入った入った」


 ナンシーおばさんが4人を店の中に入れると同時に、ポストに手紙が入っているのに気づいた。ナンシーが手紙をあけると、字がにじんでいてよくわからない。


「『  い わ     わ     』?なんだろう?わかんないや」


 ナンシーは手紙をゴミ箱に放り投げた。

 奥の部屋に入っていった5人は、立派なひな壇を見つけた。


「わー、きれい……」


 モモはひな壇の美しさに目を奪われた。ひな壇の前のテーブルにはちらし寿司や菱餅、雛あられが所狭しと並べられている。


「ささ、みんな座って。食べよ、食べよ」


 全員でちらし寿司や菱餅、雛あられを食べる。


「うーん、おいしい」


 モモが勢いよく食べていく。その姿になっちゃん先輩があきれる。


「モモは相変わらずの食いっぷりだな」

「拳ちゃんもモモちゃんに負けずに食べなさいよ!ほら」


 ナンシーおばさんは白酒を飲んですっかり出来上がっていた。ミッフィーも部屋の隅でちゃっかりちらし寿司を食べている。


 18:00。ひなまつりパーティーが終わり、すっかり日も暮れてしまった。モモと安永、そしてミッフィーは家路に向かった。


「楽しかったね。安永君のおばさんっておもしろいね」

「面白いって、単なる酔っ払いだよ。いつもあんな調子なんだ。ほんと参っちゃうよ」


 しばらく歩くと、話のネタも尽きたのか、一瞬の沈黙が。モモの一声が沈黙を破った。


「ところでさ。安永くん、バレンタインのチョコもらった?……いや、たとえば下駄箱になんかチョコが入ってたりなんかしちゃったりして」


 モモはうつむきながら、少したどたどしく訊いてみる。


「うん?もらってないけど」


 安永は即答した。


「え?あっそう……」


 モモは一瞬驚いて、またうつむいた。


「それじゃ、あたし家こっちだから。じゃあね」

「じゃあね。って、ミッフィー!ミッフィー忘れてるよ」

「あ、ごめん。それじゃ」

「じゃ、明日」


 モモは安永からミッフィーを受け取り、交差点で二人は逆方向に進んでいった。


「安永くん、受け取ってなかったんだ……」


 モモはミッフィーを抱えながら、ため息をついた。

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