第2話

出逢い


 僕は「ねぇ」なんて妙に馴れ馴れしく呼びかけられた事にちょっと驚いた。それでも少女の話し方は図々しいというより、方言のような、その地域での自然な話し方のように聞こえた。

「ああ、実家に帰る所だよ」

と僕は故郷の町の名前を言ったけど、少女は知らなさそうだった。

「君もかい?誰か大人と一緒じゃないの?」

それに対し、少女は考え深げに言った。

「ううん。故郷から出てきたとこなんよ。これからは私が大人にならんといけんの」

その言葉で、この娘は高校を出たばかりなのかなと考えたりした。だからそのつもりで卒業の事を聞こうと、

「高校を卒業したばかりなの?」

と聞くと無言の後

「行っとらんけど」

と答えたので、あ、これはいけない、きっと高校もやめないといけない、あるいは最初から行けない身の上なんだと思った。それで慌てて話を変えて 「僕は終点近くまで行くけど、君はどこまで行くの?」

と聞くと、少女は

「まだ決めてない。それでさっきの女の人にもどこか良さそうな所がないか聞いたんやけどよく分からんの」

 僕はあらためて少女を観察した。どの駅で降りるかも決めてない少女。家出娘ではないだろうか?それでも田舎の子らしく日に焼けた肌に真紅の頬をした女の子のあどけない表情や子どもっぽいピンクのオーバーコートを見ると、とても道を踏み外そうとしている娘には見えなかった。

「どこで降りるか決めてないんなら帰った方がいいんじゃない? 親とか兄弟とか心配してるんじゃないかな。君の事を大切に思ってる人達がさ」

「家族もウチが外に出た方がいいと思っとるんよ。ウチのとこは大家族やけ、みんなのためにも外の世界で大人にならんといけんの。それでみんなと別れてきたんやもん」

「そうなの?  君みたいな子どもを行く先も分からない外の世界に出そうなんてよく分からないよ。本当に子どもの事を大切に考えているのかな」

生意気な大学生の言葉だったと思う。この言葉に対し少女は静かに反発した。

「そんな事ない。ウチの家族はウチをそれにみんなの事を大切に考えとるけ、旅に出させたんよ」

さっきまで子どもだと思っていた子とは思えない大人びた口調だった。僕はふとこの娘を自分の故郷に連れて帰ってはどうかと考えた。僕の実家の温泉旅館ならこのような十代の少女でも安全に働ける仕事はいくらでもある。母は責任を持って彼女を引き受け、一人前になるまで親代わりに面倒を見るに違いない。

 そう思ったのも急にこの少女に好感と友情を持ったからだった。当時は自分の周りの連中は何かと言うと社会の責任にして自分は何もしないのが流行りみたいになっていて、自分もその一人ではあったけど、結構ウンザリしていた。

そのうち僕はよくある空想の世界に浸ってしまった。いつかこの少女は妹のような存在になるかもしれないという…。空想の中で彼女と実家の近くの田舎道を散策したり、蛍を見たりしていた。春夏秋冬の景色を思い浮かべたりもした。彼女は隣にいて決して誰かの悪口や噂話をしそうになかった。温泉の煙の漂う田舎町はそれまで自分にとって見慣れた、と言うより見飽きた風景だったのが、急に新しい町に生まれ変わった。

 言っておくけど、自分は決して年下の少女を偏愛するような趣味ではない。むしろその頃の自分は年上の女性に惹かれていた。大学は学部の関係で男性が圧倒的に多かったものの、女生徒もいて、その中でカップルになる連中もいた。でも僕はサバサバした女生徒と友達としてしか関わらなかったし、近所の女子大の生徒達と知り会うパーティみたいな場所に誘われても断っていた。キャーキャー騒ぎ立てる女子大生に何の魅力を感じなかったし。その代わりと言ってはなんだけど、行きつけのスナックでそこに勤めている年上の女性と知り合い、付き合った事はある。正確に言うと二年半付き合い、こっぴどくフラレた。

 僕が東京で過ごす未来に灰色のイメージしか持っていないのはこの失恋が原因でもあった。相手の女性への想いと言うより、全てに対し絶望的で無気力になっていたのだ。だからか弱い少女の決してか弱くない決心と精神状態が羨ましかったのかもしれない。

「もし良かったら、僕の故郷の町で就職しない?  家が旅館を経営しているけど、割とちゃんとした所なんだ。両親は面倒見が良い方だから…」

「わあ、見て!あれ何やろ。白い花びらみたいな、綺麗なのが飛んどるよ」

「え?雪だと思うけど。雪が珍しいの?故郷でも東京でも冬は雪なんか珍しくないんだけど」

「これが雪って言うん。初めて見た。本当にキレイ。お兄ちゃんの所ではこれが珍しくないん?」

少女は僕の事を勝手にお兄ちゃんと呼び、向かいの席に腰掛け、黒豆のようなキラキラとした瞳を向けて聞いた。

「ああ、積もる位」

「じゃあ決めた。ウチ、お兄ちゃんの所で働く事にする」

 雪がこの変わった少女と故郷まで帰る縁を結んだのだと思うと不思議な気がした。窓をほんの少し開けただけで入ってくるヒラヒラした雪が額に心地よかった。窓にかじりついていた少女は口に入り込んだ雪片の冷たさにうっとりとしていた。その黒い瞳の中には降り続く雪が満天の星のように映っていた。

電車がその直前に停まった駅は雪が降るぎりぎりのラインの地方の駅だった。故郷に向かう際、電車に乗っていてもこの駅で温度がぐっと下がって冷やっとするのが分かる位。夏は逆に涼しくなるからいいんだけど。地元ではそんな駅のある町の事を北の入り口の駅と呼んでいた。

 僕は少女の横顔を観察した。初めは正直、少女は美しくない部類の子だと思っていた。黒豆のような小さな目と下がり気味の眉にポカンとした口元の子。リンゴのような頬は熱でもあるんじゃなかろうかという位だったし。でもさっきの「みんなのためにも外の世界で大人にならんと」「自分を大切に思っとる」という言葉を聞いた時、その顔立ちに気品が漂い、美しさの片鱗があるのを感じた。このちっぽけな女の子が中学生や高校生として学校に通っている時はどんな感じだったんだろうと考えた。実際には高校は中退したか最初から進学しなかったのかどちらかだ。もし通っていればきっと真面目な優等生で、そのくせ放課後には先生にくっついて家での出来事をあれこれ幸せそうにおしゃべりするタイプかな、なんて空想した。少しおっちょこちょいで先生を苦笑させるタイプでもありそうだ。

 あるいはその頑固さで少し孤独なタイプかもしれない。授業の合間に窓のその真っ青な空を眺めて自由な蝶に憧れを持つような。そう言えば‥とふと思い出した。僕がフラレた年上の女性はそんな学生時代の思い出話を時折していた。高校時代には授業中先生の話も聞かずいつも教室の窓から外を眺めていたと。そして今のがんじがらめの生活からいつか自由になりたいと考えていたと言う。その話を聞く度少し斜に構え冷めた感じのクールな女の子の姿が浮かんできていた。場末とは言え都会の商業地で強く生きている女性の爽やかな十代の頃の姿。もしかしたら目の前にいるピンクのコートの女の子は少しアイツに似ているのかもしれないなんて、180度も違う二人の接点を探すのだった。

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