高橋晴斗 前編

俺が小三の時、押入れの奥から一冊のアルバムを見つけた。


その中の写真には、一台のバイクを囲んで長いコートの様な服を着た集団が楽しそうにしており、中にはまだ中学生くらいの少年の姿も写っている。


そんな光景が沢山収められているアルバムの楽しそうな雰囲気に心が躍った。


眺め見ていると今とは別人の様な父さんも写っている事に気付き、帰ってきた父さんにその話を聞くと、


「それ見ちゃったのか。昔は父さんも結構やんちゃしてたんだよ。でも勘違いするなよ?他の族とは違ってうちは喧嘩以外何も悪い事はやってなかったぞ。その喧嘩だって殆どは人助けみたいな事ばっかりだったしな。」


何でも中心に写っている男がリーダーで、黒川と言う名のとても漢気のある凄い人だったらしい。


その人の事を語る父さんはとても楽しそうな顔をしており、まるで写真の中の時間が戻って来た様な、今まで俺に見せた事のない顔をしていた。


その話を聞いて以来、俺は写真の男に憧れ何度も父さんに話をせがんだ。


聞けば黒川なる男はいま隣の県でボクシングジムをやっているらしく、いつか習いに行くと誓った。





そして中学に入る直前の事、俺は美容室へと足を向け、


「この写真の男と同じ髪型にして下さい。」


そう伝え、まずは形から入る事にした。


父さんに話を聞く度その在り方や強さに憧れが増していき、より近づこうとしたのだ。


だがそんなに上手くいけば苦労は無い。


中学に上がってから直ぐの事、授業間の休み時間にトイレに向かうと、肉付きの良い男子生徒が下半身裸で立っていたので取り敢えず声を掛けた。


「…お前何やってんの?授業始まるぞ。」


今思えば、心無い言葉だったと思う。


だがその当時の俺は苛めというものに接した事が無く、その男子生徒が本当に何をやっているのか分からなかったんだ。


俺がそう聞いた後、そいつはぼそぼそと何かを呟く様に話し始めた。


「…ない…。ズポン…ない…から。」


「はぁ?聞こえねえって。何だって?はっきり喋れよっ。」


「ズポンとパンツ、持ってかれ…ちゃった。多分…外…。」


言われた通り一度トイレから出て外を見ると、投げ捨てられている制服を見つけた。


「ほらよ、これだろ?もしかしてこれ苛めってやつか?」


拾ったズポンを手渡すと、泣きながら着替え始めた。


この時点でもうとっくに授業は始まっており、俺は諦めてこの生徒の話に耳を傾ける事にした。


「で?お前何で虐められてんの?」


「ふ、太ってるから…臭いって…言われて…。」


「はぁ?別に臭くねえよ。殴ってやりゃいいじゃん。ウジウジしてっから駄目なんだよ。」


話を聞いていくとどうやら俺の一個上らしく、知らずにため口で話してしまっていた。






それから数日経ったある日、昼休みに廊下を歩いていると空き教室から声がするので、何だろうと思い覗いてみた。


「臭えんだよ、おいっブタっ!鳴けっ!おらっ!はははっこいつやっぱ面白れぇ~。」


すると、以前見た裸族の先輩が豚の如く四つん這いになっており、それを五人の生徒が囲み何かの棒で尻を叩いている。


特殊な性癖を持っている訳では無さそうだ。


笑っているのは男が三人女が二人、頭を過ぎるのはあの人、黒川さんならこんな時どうするだろうと思い描く。


そんな事を考えていたら、居てもたってもいられず気付けば飛び出していた。


「…だせぇ真似してんじゃねえよ、先輩。」


「何お前…一年?あんま生意気言ってると締めちゃうよ?」


囲んでいた男の一人がニヤニヤと締まりのない顔で胸ぐらを掴んできたので、思い切り殴った。


すると、思いの他弱くたった一発で足元をのたうち回る。


「偉そうな事言った割にこれで終わりかよ…てめえらもやるんだろ?さっさと来いよっ!」


他の奴らは完全に怖気付いていたので相手にせず、太った先輩を引き摺り廊下に出た。


問題はその日の放課後、俺と母さんが職員室に呼ばれる事になり、中に入ると俺が殴った生徒とその母親らしき姿があった。


「あなたの所の息子さんがっ、うちの子をいきなり殴りつけたんですよっ!どうしてくれるんですっ!」


言っている事の意味が分からず、思わず首を傾げてしまった。


「晴斗…本当なの?お願いだから正直に言って頂戴。」


「よく分かんねえけど、あの太った先輩に聞けばいいんじゃね?虐められてた張本人だし。」


この時はまだ、あの先輩を連れて来れば何とでもなると思っていた。


そしてあの太った先輩も職員室に呼ばれ、これで一安心と思ったが、


「あの…その一年生が…急に、襲い掛かって…」


その言葉を聞いた瞬間、沸騰した様に怒りが込み上げる。


「ふざっけんな!てめえ!何ホラ吹いてやがんだよ!」


「…ひっ………ひぃっ!」


結局言い分は通らず俺だけが停学となり、母さんは泣きながら相手に謝っていた。


今冷静になって考えれば、苛めをエスカレートさせない為にそう言うしかなかった事も理解出来る。


だがその日から家で母さんと口を聞く事は殆ど無くなった。


停学明けの学校では、周りが俺を危険人物とみなし誰も近寄ってこなかったので、卒業自体は何も問題無くする事が出来、隣の県の高校に通いたいと父さんに告げた。


すると意外にもすんなりアパートを借りてくれて、そこから通う事を了承してもらえた。







隣の県まで来たのは、ここに黒川さんのボクシングジムがあると聞いたからだ。


そして遂に憧れの漢がいるジムの戸を叩き、込み上げるものを抑えながら足を踏み入れた。


「あ~、良いですねぇ。その動きがねっ、腰を引き締めるんでねっ、そうそう良いですねぇ~。」


そこには近所の奥さん相手にエクササイズの指導を行う、少し老けた黒川さんの姿があった。


(なんだよ…これ。俺が見たかったのは、こんなんじゃねえ………くそっ!)


これ以上見たくないと言わんばかりに背を向け帰ろうとすると、


「あれ?もしかして君が晴斗君?お父さんから話聞いてるよ。トレーナーの桐野きりのです。」


運動着を着た男に声を掛けられ、拒否するも強引に奥へ通される。


「もう入会金もらってるから、この用紙書くだけで良いよ。」


その顔をじーっと眺めていると、見覚えがある様な気がしてきた。


(あのアルバムに乗ってた子供って、この人じゃねえか?)


「もしかしてガッカリしてる?でも中々練習生来なくてね、こうでもしないと食ってけないんだ。はははっ。」


理想だけで食っていけるほど現実が甘くないのは何となく分かっている。


それでも、あの人だけはカッコいいままでいてほしかった。


「じゃ、さっそくやろっか。まずは構え、そしてジャブからね。」


見た目は結構優男なのに強引に引き込まれ、俺はいつの間にか鏡の前に立たされている。


モヤモヤしたものを抱えつつ取り敢えず通い続け、基本を一通り教わった頃にはそれなりの日数が経っており、桐野さんの提案で他のジムに出稽古に向かう事になった。


「晴斗、基本しっかり確認。特にジャブ、丁寧にな。」


そう言われ軽めに叩いていると、俺の性には合わずストレスが溜まっていく。


そして相手のパンチをもらった瞬間、頭に血が昇り指示を無視して力任せに叩きまくった。


俺の圧力に負けた相手は防戦一方。


(何だよ。こっちの方が俺に合ってる。ちまちまやる必要なんか無えじゃん。)





その日ジムに帰ってから、話があると言われトレーナーと向かい合う。


「まあ、ああいう戦い方がお前に合ってるのは分かってる。それでも今は耐えて、基本を覚えていってくれないか?」


「………必要性が分かんねえ。ガンガン行きゃ勝ててたじゃんか。」


少し拗ねた様な口調で反論すると、桐野さんは真面目な顔を見せる。


「…応用ってのはな、基本あってのものだ。お前…勝ちたくねえのか?」


今までの桐野さんには無いプレッシャーを感じた。


結局その後も心の中で愚痴をこぼしながら、ちまちまとした事を続けた。





「晴斗ちゃん、リンゴ食べる?もう切ってあるから、ほらお食べ。」


「晴斗ちゃん彼女とかいないの?若いのに~、勿体無い。」


このジムは何故か俺以外エクササイズのおばさんばかりだ。


自然に俺の扱いはまるで愛玩動物の様なものとなっている。


「実家はこっちのほうじゃないんでしょ?じゃあ、お母さん寂しがってるわねえ~。」


母さんの事を持ち出されると、急に気分が悪くなった。


「別に、母さんは俺の事なんかどうも思ってねえよ。」


「そんな事あるわけないでしょう。訳があるならおばちゃんが聞いてあげる。話してごらん?」


グイグイと踏み込んでくるおばさんに、気が付いたら今までの事を全て話してしまっていた。


「それは絶対お母さんと話さなきゃダメよ!絶対後悔してるから。」


取り敢えず分かったとだけ伝えその場を凌いだ。







それなりに長い事ここにいると、色々分かる事もある。


どうやらおばさん達は体を動かす為だけにここに来ている訳では無い様だ。


おばさん連中と会長の話を聞いていると、時々よく分からない事を話し合っている。


桐野さんにその事を尋ねると、


「あの人お節介だからね、ご近所トラブルの相談持ち掛けられたり、夫婦仲の相談聞いたり色々してんだよね。こっちの仕事がその分増えんだけどさ、ま、そういうとこが好きなんだけどな。」


もしかして俺が憧れたカッコよさは何も変わっていないのかもしれないと、その時感じた。


因みにこのジムも、実質桐野さんの為に建てた様なものらしい。

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